Yahoo!ニュース

財政再建で英国防省が最大4万3千人削減も【英総選挙2015年(3)】

木村正人在英国際ジャーナリスト

総選挙で避けて通りたいテーマ

5月に迫ってきた英国の総選挙で、与党・保守党と自由民主党、最大野党・労働党が避けて通りたいテーマがある。北大西洋条約機構(NATO)が掲げる国内総生産(GDP)比2%の国防予算をどうするかである。

ロシアのプーチン大統領によるクリミア編入とウクライナ危機で安全保障の重要性が改めてクローズアップされている。NATO加盟の28カ国中、2%のガイドラインを達成しているのは2013年時点で米国4.4%、英国2.4%、ギリシャ2.3%、エストニア2%のわずか4カ国。

フランスは1.9%、ドイツは1.3%といずれも2%を下回っている。第二次大戦以来、米国との「特別な関係」を誇ってきた英国も財政再建のための国防費を削減せざるを得ず、2%の維持が難しくなってきた。

一方、ロシアは国防予算を13年の2.1兆ルーブルから15年には3.29兆ルーブルに増やす計画だ。プーチン大統領が軍事力増強を背景に今後、NATOに加盟しない旧ソ連諸国に勢力圏を広げていく恐れが強いとみられている。

米国の強い懸念

一般のウェブサイト「英国公的支出(UK Public Spending)」によると、英国の国防費はGDP比で下がり続け、2014年には1.97%(推定)と2%を下回る恐れが出てきた。

8億ポンドの軍人恩給を組み入れることで何とか2%のガイドラインを維持したと報じられている。

UK Public Spendingによると、15年は1.91%、16年は1.77%と2%割れが予想されているにもかかわらず、保守党のキャメロン首相も、自由民主党のクレッグ副首相も、労働党のミリバンド党首も国防費「GDPの2%」にコミットしようとはしていない。

このため、米国のサマンサ・パワー国連大使はブリュッセルで「われわれはお互いに公正な負担をすることが不可欠だ」とNATOの欧州加盟国に2%達成を訴えた。レイモンド・オディエルノ米陸軍参謀総長も英国の国防費削減に強い懸念を示した。

英国の外交・安全保障政策は、核ミサイル搭載型原子力潜水艦による核抑止力、空母と戦闘機の前方展開能力を柱に、米国との同盟関係、国連安全保障理事会常任理事国の立場をテコに使うもので、国際社会で実力以上の影響力を行使してきた。

アフガニスタンでの作戦で疲弊した英国(英国防省HPより)
アフガニスタンでの作戦で疲弊した英国(英国防省HPより)

しかし、長期化したイラク、アフガニスタンという2つの戦争、そして世界金融危機で英国は疲弊してしまった。国民の多くは英国が身の丈以上の振る舞いをこれ以上、続けることを望んでいない。

ウクライナ危機ではメルケル独首相とオランド仏大統領がプーチン大統領との交渉に臨み、キャメロン首相は完全に蚊帳の外だった。国際政治への影響力より、欧州連合(EU)から離脱するかどうかが総選挙の大きな争点になっている。

これまで通り英国が国際社会での影響力を維持したいのであれば、国防費「GDPの2%」は必要最小限度の達成目標である。しかし、その熱意はまったく感じられない。

イラクとアフガニスタンの悪夢

アフガニスタンの治安維持を目的に13年間にわたって国際治安支援部隊(ISAF)の下、駐留してきた英軍は昨年10月、南部ヘルマンドの基地をアフガニスタン側に引き渡して戦闘部隊を撤退させた。

イラクとアフガニスタンでの作戦で死亡した英軍兵士の数はそれぞれ179人と453人。

前線から帰還した後も精神障害に苦しむ人の数は2011年の3927人から13年には5076人に急増している(英国防省調べ)。

「戦争で負った心の傷は、肉体に負った傷と同じだ」と元英陸軍関係者はいう。国防省報道官は兵士が精神上の健康についても注意を払うようになったことが精神障害の件数増加の理由と説明するが、14年もその数はさらに増える傾向がはっきりしている。

イラク・アフガニスタン帰還兵の精神障害問題に取り組む元陸軍大佐スチュアート・トゥータル氏は英メディアに、「英陸軍は10年以上もイラクやアフガニスタンで厳しい任務を強いられたことを見逃すわけにはいかない」と精神面でのケアの必要性を呼びかけている。

トゥータル氏はアフガニスタンの激戦地ヘルマンドで部隊を指揮した。現政権の歳出削減で2010年には10万2千人だった陸軍は18年に8万2千人にまで削減される。兵員不足は予備役の増員で補う方針だ。

英国防省は最大4万3千人削減

国力以上の役割を担ってきた英国は財政の限界に直面している。英王立統合軍防衛安全保障問題研究所 (RUSI)の報告書によると、次の10年間で英国は350億ポンドの国防費削減を強いられる。

オズボーン財務相の案が通れば最大で兵員3万人、文官1万3千人が削減される。楽観シナリオでも兵員1万5千人、文官6千人のカット。スコットランド南部クライド湾の造船所や軍用機の製造工場が閉鎖される可能性もあるという。

画像

英国の国防費(対GDP比)が膨らんだのはナポレオン戦争中の1814年の22.43%、第一次大戦中の1918年の47.04%、第二次大戦中の1945年の51.73%。

大英帝国の最盛期で、「パックス・ブリタニカ(英国による平和)」を実現した19世紀から20世紀初頭にかけての国防費は英BBC放送によると、平均で約2.7%だったという。

プーチン大統領の拡張主義を抑えこむためには、英国をはじめNATO加盟国がガイドラインの2%に近づく努力を怠るわけにはいかない。しかし、国防費はどんどん削減されているのが現実だ。有権者は国防費より大学授業料や年金に関心があるからだ。

キャメロン首相は2%の目標を達成するため、次のような秘策を検討している。これまでは国防費に入れていなかった対外情報部(MI6)、対内情報部(MI5)、政府通信本部(GCHQ)の予算を国防費としてカウントするという。

軍人恩給の算入といい、これでは完全な帳尻合わせと言うしかない。英国は国際社会で影響力を行使する意志も能力も失いつつある。オバマ米大統領のアジア回帰政策が強まる中、欧州は軍備拡張と武力行使をためらわないプーチン大統領にさらに振り回されることになりそうだ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事