英大衆紙から名物の女性トップレス写真が消える

女性のトップレス写真が消えた英大衆紙サン(筆者撮影)
女性のトップレス写真が消えた英大衆紙サン(筆者撮影)

英メディアは19日夜、大衆紙サンの表紙をめくって3ページ目に掲載されてきた女性モデルのトップレス写真「ページ3(スリー)ガール」が消えると一斉に報じた。

1970年11月に企画が始まってから約44年2カ月。さまざまな物議を醸してきた英国名物が静かに幕を閉じる。金曜日の16日号が最後となった。サン紙は公式には何もコメントしていない。

2007年7月に新聞社のロンドン特派員として赴任した筆者は毎朝すべての新聞を隈なくチェックするのが日課で、ページ3ガールにはほぼ毎日お目にかかっていた。

3ページから女性のトップレス写真がなくなった(筆者撮影)
3ページから女性のトップレス写真がなくなった(筆者撮影)

地下鉄に乗っていると、金融街シティで働くトレーダーが高級紙フィナンシャル・タイムズの中にサン紙を挟んで、こっそりページ3ガールを鑑賞している姿を何回か目撃した。

サン紙の姉妹紙である大衆日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)の盗聴事件を機に新聞の慣行や倫理を検証した独立調査委員会(レヴソン委員会)で、サン紙の編集長は「ページ3ガールは無害な英国の制度で、もはや英国社会の一部だ」とまで言い放った。

伝説的ロック・バンド、ビートルズのジョン・レノンと妻のオノ・ヨーコさんが1972年、「Woman is the N***** of the World(女は世界の奴隷か!)」を発表した。

歌詞は女性の解放と自立がテーマになっており、タイトルが「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」を連想させる。ジョンは、女性の自立を訴えるヨーコさんの影響を強く受けた。

もともとページ3ガールは堅苦しくて保守的な英国の文化でも、伝統でもなかった。オーストラリア出身のメディア王、ルパート・マードック氏が69年11月に買収したサン紙の発売部数を増やすため、ちょうど1年後に掲載したのが始まりだ。

最初は空いた紙面の埋め草企画で、片方の乳房がのぞく控えめな構図だった。

マードック氏に買収される前まで、サン紙は深みのある長文の記事を掲載する硬派の新聞として知られていた。しかし、マードック氏がセックスとスキャンダルを中心に紙面展開し、ページ3ガールも両方の胸を丸出しするなど大胆になってきた。

一部の地方自治体が公立図書館からサン紙を排除すると、「ペ○×の表面にできたニキビ野郎」と大げさに反発してみせ、ミニスカートのサン・ガールズに追いかけ回される同自治体の78歳になる老首長の写真を掲載する一大キャンペーンを張ったのだ。

第二次大戦で大英帝国は崩壊、長期の停滞期に入り、重苦しい空気が垂れこめていた英国社会は憂さ晴らしを求めていた。ページ3ガール効果でサン紙の販売部数はわずか1年で倍増し、250万部を超えた。

しかし、ドル箱企画になったページ3ガールにも曲がり角が訪れる。いまやTVのリアリティー番組ではカップルが箱の中に入って性行為を行い、インターネットではアダルト・ビデオの動画が氾濫。

14年9月に入って、ページ3ガールは4日連続で紙面から姿を隠し、マードック氏が「ページ3ガールは時代遅れだ。流行の服を着た方がもっと魅力的になるのでは? あなたの意見を聞かせてほしい」とツイートした。

ロンドン五輪が開かれた12年夏、ページ3ガールは一時、かなり後ろのページに移された。女優のルーシー=アン・ホームズさんはこの出来事をきっかけに「ノーモア・ページ3」というソーシャル・メディア・キャンペーンを始めた。

この日夜、英BBC放送の報道番組ニューズナイトに出演し、「学校に新聞紙を持ってきた子供が先生に『どうして、ここに女の人の裸が載っているの』と尋ねるなど、ページ3ガールは今日の社会にそぐわなくなってきた」と話し、企画の終了を歓迎した。

ホームズさんは11歳のとき、兄が買ってきたサン紙にショックを受けたという。「豊満な乳房を見て、自分は足りないような気に襲われた」そうだ。レイプ魔が犯行中にページ3ガールを口にしたという報告もある。

女性を性の対象として見下す文化を終わりにするためキャンペーンを始めるとホームズさんが宣言したとき、父親は「サン紙に人格破壊されるぞ」と大反対した。

過去にページ3ガールを禁止する法律をつくろうとした労働党の女性下院議員が「興ざめ」「嫉妬」「肥満」とさんざんサン紙にたたかれた話は有名だからだ。

しかし、マードック氏も時代の流れに勝てなかった。ページ3ガール目当てでサン紙を買う人は激減していた。しかし、ページ3ガールはオンライン・ページで生き残るという。

参考:英国ニュースダイジェスト「『ページ・スリー・ガール』の運命やいかに」

(おわり)