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ハッピー・モスリムとハッピーになれないモスリムにミゾ 非暴力・イスラム過激主義の広がり

木村正人在英国際ジャーナリスト

表現の自由に「すべては許される」

仏風刺週刊紙シャルリエブドは14日発行の特別号「生存者号」で、「すべては許される」というメッセージとともに「私はシャルリ」と書かれたプラカードを手に涙を流すイスラム教預言者ムハンマドの風刺画を表紙に掲載する。

同紙の発行部数はいつもは6万部だが、「生存者号」は16の言語に訳され、25カ国で計300万部が発行される。シャルリエブド銃撃やスーパーマーケットの立て籠もりで、同紙の編集長や風刺画家、イスラム系移民の警官、ユダヤ人ら計17人が死亡した。

ムハンマドの風刺画は偶像崇拝を禁じるイスラム教の教義に反すると言われるが、厳格なイスラム教スンニ派の国々とは異なり、比較的緩やかなシーア派の国ではムハンマドの宗教画がいくつも残されている。

問題は「生存者号」に込められた意味だ。宗教も笑いの対象にすることはフランスでは許されるというテロへの抵抗を、犠牲者の死を悼むムハンマドに語らせた格好だ。「表現の自由」はムハンマドも認めるはずだというメッセージが込められていると筆者は考える。

フランス政府はイスラム過激派のテロと極右グループによるイスラムへの攻撃が連鎖的に起きないよう仏全土に1万人の軍隊を展開し、ユダヤ教関連施設に警官ら約4700人を配置する厳戒態勢をとる。

仏風刺画の歴史はフランス革命にさかのぼる。国王ルイ16世とマリー・アントワネット王妃は動物に描かれた。ナポレオン3世の時代にはカトリック教会とバチカンがやり玉に挙げられ、聖職者の情けない姿が描かれている。

シェルリエブドが事件後にムハンマドの風刺画を掲載したのは、「恐れることは奴隷になるのと同じ。表現の自由を守るのはフランスの義務」というフランス革命以来受け継がれる風刺画の伝統が影響している。同紙はキリスト教もユダヤ教も笑いの対象にしており、イスラム教だけを例外にするわけにはいかないということだろう。

慎重な英国メディア

デンマークのユランズ・ポステン紙が2005年9月、ターバンの中に爆弾を仕掛けたムハンマドの風刺画を掲載、イスラム世界の怒りに火をつけた。シェルリエブドはこの風刺画を転載し、2つのイスラム教団体から訴えられたが、07年に裁判所が訴えを退けている。

11年11月には「笑い死にしなければ、ムチ打ち100回の刑」と語るムハンマドの風刺画を表紙に掲げ、編集部に火炎瓶を投げ込まれるテロに見舞われている。

ドーバー海峡を隔てた英国ではテロへの非難と「表現の自由」への支持を掲げながら、ムハンマドの風刺画を扱うメディアの対応は極めて慎重だ。まず、風刺画をイスラム教への冒涜と受け取るイスラム社会への配慮と多文化共生がある。

しかし本音では、風刺画がテロの口実にされかねないことへの恐怖心、警戒心がある。2001年の米中枢同時テロ、03年のイラク戦争前には無視できたイスラム過激主義が英国内で大きく広がっていることが背景にある。

「表現の自由」「信仰の自由」を標榜する英国ではモスク(イスラム教の礼拝所)や大学で非暴力のイスラム過激主義を議論するのは黙認されている。このため、米国の情報機関から「英国はイスラム過激派の温床になっている」と厳しく批判されてきた。

ブッシュ前米大統領の「対テロ戦争」で、西洋のイスラム系移民の間に「イスラム教そのものが犯罪扱いされている」という抑圧された感情が芽生え、イスラム教徒の保守化、過激化が急激に進んだ。

非暴力のイスラム過激主義

目の部分だけを除いて全身を覆うブルカを着用するイスラム女性が目立つようになり、イスラム系移民が人口の20%を占める英中部バーミンガムでは昨年3月、「イスラム主義者がバーミンガムや他都市の学校を乗っ取ろうとしている」と告発する手紙が発覚した。

手紙は、学校の理事会にイスラム主義者を送り込み、校長を入れ替え、イスラム教による厳格な教育を実施しようと計画していると警告していた。学校の教育水準を調査・評価する政府機関オフステッドが21校を調査したところ、5校に「問題」があり、「宗教の時間などで男の子と女の子が別々に授業を受けている」と指摘された学校もあった。

非暴力のイスラム過激主義は、イスラムであることを理由に不当な扱いを受けた経験などをきっかけに暴力的なイスラム過激主義、引いてはテロリストに転ずる危険性をはらんでいる。

スンニ派過激組織「イスラム国」に欧州から参加するイスラム系移民の若者が急増していることはその危険性を明白に物語る。しかし、英国のイスラム社会も手をこまぬいているわけではない。

「イスラム国」への参加者がソーシャルメディアを通じて広がっているのなら、ソーシャルメディアを使って西洋とイスラムの共生を訴えようという動きも英国では起きている。

過激イマーム(礼拝の導師)によるイスラム過激主義の説教を放送するテレビ局に対抗して、西洋で暮らす穏健モスリムの生活を伝えるテレビ局も設立された。

一時はイスラム過激主義の熱に浮かされたものの、イスラム教を政治目的に利用する国際テロ組織の欺瞞に気づいた元イスラム過激主義者も若者の過激化防止に取り組んでいる。

「私たち」と「彼ら」という論理

旧ソ連のアフガニスタン侵攻時にムジャヒディンに参加し、ソ連軍と戦った経験を持つイマームは英BBC放送に「非暴力のイスラム過激主義とテロリストを分かつものは、私たち(イスラム教徒)と彼ら(非イスラム教徒)の間に分断線を引くかどうかだ」と語る。

同じ人間の間に分断線を引いたとき、殺戮が生まれる。ナチス・ヒトラーがドイツ人とユダヤ人の間に分断線を引いたときホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が始まった。

ブッシュ前大統領が「対テロ戦争」という誤ったナラティブを掲げたがために、西洋とイスラムという「文明の衝突」に過剰なスポットライトが当てられた。イスラム過激派も西洋の極右勢力も勢力拡大のため、恐怖と嫌悪という感情に訴え、人間の間に分断線を引こうとしている。

「対立」と「衝突」をあおる人間はどこにでもいる。それを放置すれば取り返しのつかない事態を招いてしまう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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