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解散・総選挙 「第4革命」に取り組む覚悟は安倍首相にあるか

木村正人在英国際ジャーナリスト

国家は何のために存在するのか?

英誌エコノミストのジョン・ミクレスウェイト編集長とアドリアン・ウールドリッジ編集主幹の新著『THE FOURTH REVOLUTION: THE GLOBAL RACE TO REINVENT THE STATE(仮訳:第4革命 国家を新しくモデルチェンジするための国際競争)』は、中国・上海にある浦東幹部学院から始まる。

浦東幹部学院は、グローバリゼーションの中で中国共産党の生き残りをかけ、2005年に設立されたエリート官僚の養成機関だ。4年間に通算3カ月間、官僚は学院で再教育を受ける。

米女優メリル・ストリープが英首相マーガレット・サッチャーを演じてアカデミー主演女優賞に輝いた伝記映画『鉄の女の涙』にこんな台詞がある。

「思想に留意なさい。思想は言葉になる。言葉に留意なさい。言葉は行動になる。行動に留意なさい。行動は習慣になる。習慣に留意なさい。習慣は性格を形作る。性格に留意なさい。性格はあなたの運命を決定する」

サッチャーが実際にこの台詞を口にしたかどうかは定かではない。英紙デーリー・テレグラフによると、浦東幹部学院ではこの言葉がサッチャーの哲学として語られている。

福祉国家から小さな政府に舵を切り、相次ぐ暴動を鎮圧した非妥協的なサッチャーは危機管理のモデルになっているという。

清朝まで約1300年も続いた中国の官僚登用試験「科挙」は英国にも取り入れられ、今でも高級官僚のことを「マンダリン(清朝時代の官吏)」と呼ぶ。大英帝国の植民地支配を支えたのは、中国から取り入れられた官僚制だったのである。

大英帝国は1840年のアヘン戦争で屈辱の世紀を中国に味あわせた。2008年の世界金融危機をきっかけに衰退が顕著になってきた西洋は、民主主義や表現の自由とは無縁の中国の権威主義システムに敗北することを極度に怖れている。

欧米諸国が国際社会で指導的な地位を保つためには、「国家は何のために存在するのか?」を問い続け、国家を進化させ続けなければならないと、ミクレスウェイト編集長らは説く。

未完に終わった「第4革命」

ミクレスウェイト編集長らの分析ではこれまで西洋は4度にわたってモデルチェンジしてきたという。

(1)国民国家

ホッブスの『リバイアサン』をモデルにした国民国家。人間は生まれつき平等だが、自然状態では万人は万人に対して戦いの状態にあるため、絶対主権設立の社会契約によって成立へと向かう国家を、ホッブスは旧約聖書に出てくる巨大な永生動物『リバイアサン』にたとえた。1648年のウェストファリア講和条約で確立。

(2)自由民主主義

ミルの『自由論』。個性を伸ばす民主的な社会のために自由のあるべき姿を説く。18~19世紀に個人の権利と責任ある政府という考え方が普及する。

(3)福祉国家

国民に生存権を保障し、平等に福祉を分配する国家。19世紀末ごろから社会問題の解決が国家の手に委ねられるようになった。英国では第二次大戦後、「揺り籠から墓場まで」の社会保障制度が構築される。

(4)小さな政府

ケインズ的な財政政策を批判したフリードマンの「小さな政府」をモデルにしたサッチャー、レーガン改革。しかし、金融資本主義が破綻し、欧米では「大きな政府」の流れが断ち切れなくなり、挫折。

肥大化を続ける国家

2001年には11兆ドルだった発行済国債の総額は12年3月末の時点で43兆ドル。10年余で4倍近くに膨らんだ。

一般政府支出の対国内総生産(GDP)比は米国の場合、1913年の7.5%から2011年には41%に、英国は13%から48%に膨張した。

経済協力開発機構(OECD)によると、日本は11年時点で42%。支出の内訳をみると社会保障42.7%(OECD平均35.6%)、医療17.3%(同14.5%)、教育8.4%(同12.5%)。

少子高齢化が極端に進む日本では社会保障や医療の負担が大きく、教育への支出は手薄になっている。欧州でも生産年齢人口は12年の3億800万人をピークに60年には2億6500万人まで減少すると予測されている。

西洋が抱える問題を先取りしている日本では政府債務がGDPの240%を超えるというのに、8%から10%に消費税を再増税するだけで、「景気を腰折れさせる。先送りの是非を問うため解散する」という騒ぎだ。

高まる政治不信

有権者が増税に拒絶反応を示すのは何も日本に限った話ではない。米国でも共和党が増税に強烈な拒絶反応を示している。

米国では政府を信頼する割合は1960年代の70%から90年には36%に、現在は17%に減っている。

英国の保守党の党員は50年代には300万人を数えたが、13万4千人にまで落ち込んでいる。

社会保障と医療の支出は膨らみ、政府はどんどん大きくなるのに、政治や政府に対する有権者の不満は高まる一方だ。

時代遅れの行政システム。

労働集約型の公共サービスでは生産性はほとんど上昇していない。

既得権を守る利益団体。

統計のごまかし。

不毛な与野党の対立が引き起こす政治の機能マヒ。

政府を蝕む病は万国共通だ。

公共サービスのモデルチェンジは可能か

エコノミスト誌のミクレスウェイト編集長らは「今後10年間の主要な政治的課題は政府を修理することだ。もし、政府の第4革命に成功すれば世界は変わる」という。

「小さな政府」は挫折したが、政府をスリム化し、効率性を増すことができる。第4革命は情報通信技術の発展を活かしながら、社会保障、医療、教育など公共サービスを改善する。

こんな成功例がある。インドの大手病院チェーン「ナラヤナ・フルダヤラヤ」。創設者のデビ・シェティ氏は世界的にも有名な心臓外科医。

施設の建設費を抑え、見舞い客に患者の術後にどんな世話をするかを訓練して心臓手術の費用を削減している。ローコスト・ハイパフォーマンスの病院を目指している。

分業と機械化が農業と工業の生産性を飛躍的に上昇させた。公共サービスにも分業とIT化を導入すれば、生産性を改善できる可能性があるというのがミクレスウェイト編集長らの問いかけだ。

増税という不人気な政策から逃げたいのは政治家なら当たり前なのかもしれない。日本は既得権にしがみつく利益団体が改革を阻んでいる。ベスト・アンド・ブライテストの「官僚離れ」も進んでいる。

毎日新聞によると、安倍晋三首相は来週に衆院を解散し年内に総選挙を行うことを決断したそうだ。必要最低限の増税から逃げていては公共サービスの抜本的改革は到底おぼつかない。

野党は総崩れの状態だが、世論調査の第一党は、自民党ではなく「支持政党なし」。再増税先送り解散で政治への冷笑主義(シニシズム)が高まらないことを願わずにはいられない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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