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ドイツ二重スパイ オバマに泣かされ続けのメルケルがブチ切れ 笑うKGBプーチン

木村正人在英国際ジャーナリスト

ドイツで発覚した米国の二重スパイ

欧州債務危機の対策をめぐりオバマ米大統領に泣かされたことがあるドイツ・メルケル首相の堪忍袋の緒がついに切れた。

昨年10月、米情報機関が自分の携帯電話を盗聴していた疑惑が発覚、オバマ大統領は「これからはそのようなことはない」と約束したのに、今度は二重スパイを使って、盗聴疑惑を調査していた独連邦議会の情報をスパイしていたことが発覚。

さらに独国防省にも二重スパイを潜り込ませていたことがわかり、独政府は10日、在ベルリン米国大使館に勤務するスパイの元締め、米中央情報局(CIA)職員の国外退去を命じた。

核同盟国のペルソナ・ノン・グラータは異常事態

ドイツは米国の戦術核を国内に保有する同盟国。利害が対立するロシアや中国ならわかるが、核兵器で結ばれた同盟国が米国の情報員を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外退去にするのは異例どころか異常事態といえる。

ざっと経過を振り返っておこう。

2011年11月、フランスの保養地カンヌで開かれたG20首脳会議で、欧州債務危機の対策をめぐり、メルケル首相はオバマ大統領に国際通貨基金(IMF)の特別引出権(SDR)を防火壁に使うよう迫られ、泣いてしまう。

2013年10月、米情報機関、国家安全保障局(NSA)がメルケル首相の携帯電話を盗聴していた疑惑がNSA契約社員エドワード・スノーデン容疑者の告発で発覚。

2014年6月、メルケル首相の携帯電話盗聴疑惑で独連邦捜査局が捜査を開始すると表明。

7月2日、独連邦捜査局は米国の二重スパイだった独連邦情報局(BND)の男性職員(31)を逮捕。男は、NSAなど米情報機関のスパイ活動を調査していた独連邦議会委員会の情報を収集、過去2年間に約2万5千ユーロ(約350万円)の報酬を得る見返りに機密文書218点を米国側に提供していた疑いが持たれている。

7月9日、独連邦捜査局が別のスパイ容疑で独国防省の安全保障政策コンサルタントの自宅や事務所を捜索。BNDの男性職員とは無関係だが、スパイ活動の内容はより深刻とされる。

7月10日、ドイツ政府がスパイ2人を運用していた在ベルリン米国大使館のCIA職員の国外退去を命令。

メルケル首相と李首相の共同記者会見

スパイ事件を読み解くカギは誰が一番得をしたかだ。

訪中していたメルケル首相は7日、北京で開かれた李克強首相との共同記者会見で、BNDの二重スパイについて「もし疑惑が本当なら情報機関と友好国の間の信頼に基づく協力関係に明確に反する」と米国を批判した。

7月7日は、1937 年に北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争の導火線になった中国の「国辱の日」だ。李首相はメルケル首相を横に「私たちは過去に正しく向き合うため、必ず歴史を思い起こさなければならない」と述べた。

メルケル首相が意図したかどうかは別にして、同盟関係を強化する日米両国をドイツと中国が批判する姿は世界中に配信された。

上海に拠点を置く人民解放軍総参謀部第3部第2局(61398部隊)に所属する将校5人が産業スパイなど31の罪で米司法省に起訴されたばかりの中国にとっては溜飲を下げる結果となった。

黒幕は表には出てこない。NSAの内部告発者スノーデン容疑者をロシア国内にかくまうロシアのプーチン大統領は旧ソ連国家保安委員会(KGB)のスパイマスターだ。

シリア内戦、スノーデン容疑者の身柄引き渡し、ウクライナのクリミア編入をめぐってオバマ大統領と対立。スノーデン容疑者がロシアに移動後、海外メディアにリークされる内容は米国民への監視から同盟国へのスパイ活動に焦点が移っている。

クリミア編入問題の幕をそろそろ引きたいプーチン大統領にとって対ロシア制裁の強硬派オバマ大統領と宥和派メルケル首相が仲違いするほど面白いことはない。欧州はますますロシアに寄ってくる。

今回のスパイ事件はプーチン大統領の思惑通り動いているとしか思えない。最も考えたくないのは、スノーデン容疑者がNSAのネットワークを通じて世界中に散らばる米国の二重スパイを把握し、それがプーチン大統領に流れているシナリオだ。

スノーデン・ファイルの発覚で米国と欧州、中南米諸国の間にヒビが入ったうえ、二重スパイまで発覚するとなると事態はさらに深刻だ。オバマ大統領はプーチン大統領に完全に急所を握られた恐れがある。

背景に米国の道徳的権威の失墜

ブッシュ大統領にオバマ大統領と続き、米国は完全に道徳的権威を失った。米国の衰退の原因は経済と財政だけに限らない。自己中心的な国益ばかりを追及し、国際社会で道義的な責任を果たさなくなったことにある。

その最たるものは、テロ対策を大義名分にして、パキスタンやアフガニスタンの国境地帯で無人航空機(ドローン)による暗殺攻撃を続け、罪もない子供たちを殺しても恥じないことだ。

自国の安全保障のため、他国の子供を巻き添えで殺害することがどんな法理によって許されるのか。弁護士出身のオバマ大統領でも答えられないだろう。

先日、ロンドンにあるシンクタンク、英王立国際問題研究所(チャタムハウス)でスノーデン事件1周年の討論会があった。筆者の隣は2004~09年まで英秘密情報部(MI6)長官を務めたジョン・スカーレット氏だったので、こう質問してみた。

「私はKGBロンドン支局長だったオレグ・ゴルジエフスキー氏に長時間インタビューしたことがある。隣に座っているジョン・スカーレットが彼のケース・オフィサー(二重スパイを運用する人)だったが、ゴルジエフスキーは『自由主義は共産主義に勝つと信じていた』と話していた。彼は祖国ソ連を裏切り、英国に情報を提供し、最後は亡命した。それが今やどうだ。スノーデンは自由の国・米国を捨て、ロシアに逃れた。どうしてなのか教えてほしい」

米国のシステムは壊れたも同然

チャタムハウスのロビン・ニブレット所長が「趣旨は十分通じた」というので質問を打ち切った。が、元米下院議員でシンクタンク、ウィルソン・センターのジェーン・ハーマン会長が「スノーデンはノルウェーに行っていた可能性がある」と答えたのを聞いて、開いた口が塞がらなかった。

米国は今や、すべてがこんな調子なのだ。

ロンドンで開かれたジャーナリズムのサマースクールで講演した米紙ワシントン・ポストの調査報道記者ディナ・プリースト女史にいろいろ質問した時も同じような印象を受けた。

プリースト女史には『トップ・シークレット・アメリカ:最高機密に覆われる国家』(草思社)という著作がある。

プリースト女史は、ワシントンの記者たちはジャーナリストの内輪の会合にCIAの職員数人が入っていても何も感じなくなっていると語る。記者にとってスパイはもう自分たちの仲間なのだ。

「それぞれの国がセルフ・インタレスト(自分たちの利益)に基づいて行動するのは当たり前だ」とプリースト女史は断言する。国家の安全保障と国民の知る権利のバランスをどう考えるのか質問してみると、「米国の安全保障を優先するわ」という答えが返ってきた。

要するに、米政府が「米国の安全保障に関わる」と判断することは書かないということだ。

米国が第二次大戦後の国際秩序を構築できたのは「四つの自由」を掲げてファシズムと戦い、冷戦で共産主義にも勝利したからだ。「セルフ・インタレスト」を振りかざし、同盟国へのスパイ活動もはばからない米国は急速に求心力を失っている。

米国だけが良ければいいという価値観は同盟国にも通じない。

チャタムハウスでの講演会で、NSAや英政府通信本部(GCHQ)の活動を長年追いかけてきた英ジャーナリストのダンカン・キャンベル氏が、ジェーン・ハーマン会長にこんな言葉を投げかけた。

「NSAの情報収集の方法が大統領の独断で決められ、他の誰もチェックできないのなら、米国のシステムは壊れたも同然だ」

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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