都議会の性差別ヤジと尖閣上陸の怪しい関係
性差別ヤジは自分だと名乗り出た鈴木都議
東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)が「早く結婚した方がいいんじゃないか」などとヤジられた問題で23日、自民党所属の鈴木章浩都議(51)がヤジを飛ばしたのは自分であることを認め、都議会内で塩村都議に面会して謝罪した。
鈴木都議は記者会見で「しっかりと反省して、原点に帰ってまた頑張らせていただきたい」と語ったそうだが、このヤジは明らかな差別であり、謝罪して終わりにして良い問題ではない。「産めないのか」というヤジについても徹底的に解明すべきだ。
筆者が注目したのは2012年9月に公開された鈴木都議の動画である。鈴木都議は8月に尖閣諸島の魚釣島に上陸したメンバーだそうだ。鈴木都議は中国のことを「シナ」と呼んでおり、「自民族中心主義」の傾向が顕著に現れている。
中国の権力移行期に石原慎太郎都知事(当時)がぶち上げた尖閣購入計画が日中関係を抜き差しならない状況に追い込み、両国は後戻りできないチキンゲームに突入している。その石原氏も中国を「シナ」と呼んで憚らない。
今回の性差別ヤジは図らずも、歪んだ「自民族中心主義」が間違った「伝統的家族観」とつながっていることを露呈してしまった。鈴木都議は動画の中で「義を見てせざるは勇なきなり。今回、私が尖閣諸島に上陸したのはまさにそういう思いからだ」と語っている。
こういう人たちは常々「国益」「国益」と口にするが、実は日本の「国益」を一番損ねていることにまったく気づいていない。尖閣問題と性差別ヤジがどのように鈴木都議の政治信条の中で結びついているのか、きっちり説明してほしい。
「謝罪」するのは自分の非を認めたことであり、それには処罰が伴う。都議会や自民党は鈴木都議を処罰しないと、性差別を容認していることになってしまう。自民党の石破茂幹事長は鈴木都議1人の問題では済まされない。
自民族中心主義と性差別
自民族中心主義は、グローバリゼーションがもたらした競争激化への反発から欧州でも広がっている。ここでは2つの極右政党、フランスの国民戦線(FN)とギリシャの黄金の夜明け党を取り上げてみたい。
選挙に勝とうと思ったら女性票が必要なのは当たり前で、欧州では堂々と「性差別」を主張する政治家や政党はなかなか見当たらない。英国でも女性議員を目立つ要職につけるなど各政党とも「性の平等」をアピールするのに躍起だ。
先の欧州議会選で国内第1党になったフランス・国民戦線の女性党首はマリーヌ・ルペン氏(45)。元弁護士で2度の離婚歴があり、3児の母。今は事実婚であることも人気の秘密になっている。
露骨なまでの反ユダヤ主義、ホロコースト否定、歴史修正主義で悪名高かった父ジャンマリ・ルペン氏とは違いを見せる。
国民戦線ではもともとカトリック伝統主義者が人工中絶に反対してきたが、マリーヌ氏は条件付きで人口中絶の容認に転じた。実は反イスラムの裏返しに過ぎないのだが、政教分離を受け入れ、同性愛にも寛容な姿勢を示している。
先の東京都知事選で61万票を獲得、「日本真正保守党」を発足させると表明した元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏がツイッターで自らの伝統的家族観を披露しているので、少し見てみよう。
いったいどれぐらいの女性票が鈴木都議や田母神氏に集まっているのか知りたいが、フランスの極右政党は女性党首を担いでイメージを一新し、大躍進している。
日本の自民族中心主義は、フランスの国民戦線より、ギリシャの黄金の夜明け党に近いような気がする。黄金の夜明け党のスポークスマンがTVのトークショーに生出演中、他の政党の女性議員に暴力をふるう様子が中継されたことがある。
実際の暴力とヤジという違い、反省して謝罪したという大きな違いはあっても、鈴木都議の行いは日本の自民族中心主義と伝統的家族観という怪しい関係を浮かび上がらせている。
日本の伝統的家族観
自民族中心主義がジェンダーという面ではそれぞれの国でどうして違う形で出るのか自分なりに仮説を立ててみた。フランスの家族が男女を中心にするのに対し、ギリシャの一部や日本には親子を中心とする考えが根付いている。
フランスの男女関係は「契約」に近く、日本の親子関係は「血」で結ばれている。しかも、日本の「真正保守」が日本の伝統的家族観に固執するのは現行憲法と絡んでいるから、話はさらに複雑になる。
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
もともとのホイットニー案にはこう書かれていた。
「家族は人類社会の基礎であり、その伝統は善かれ悪しかれ国民にしみわたっている。婚姻は男女両性の法律上及び社会上の争うべからざる平等に基づくべきであり、両親の強要によるのではなく当事者相互の同意に基づくべきであり、男性支配ではなく協力によって支持さるべきである」
金森徳次郎著『憲法うらおもて』によると、当時、貴族院の論議ですでに「家族制度、ことに親子の縦のつながりは日本の社会生活に重要性があるからせめて『家族生活はこれを尊重する』ということを入れてほしい」との議論が強く、憲法案の修正する意見が半数以上あった。
その後、比較的進歩的な方向へ制度が引っ張られ、家族条項の見直し論が反動として盛り上がり、現在に受け継がれている。
遅れる女性の政治進出
世界経済フォーラム「ザ・グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書2013」を見てみよう。日本のランキングは前回のエントリーでもお伝えしたように136カ国中105位。
(1)健康医療の機会(2)教育機会(3)政治参加(4)経済的平等の4項目について男女間格差を調べると、「政治参加」が大きく足を引っ張っていることが一目瞭然だ。
日本の女性議員率は全議員の8%で、120位。1位のキューバの女性議員率は49%。中国は23%で51位。
日本の女性閣僚率は12%で、82位。ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランドの北欧4カ国は半数以上が女性閣僚だ。
女性の政治指導者ランキングでは、女性首相がまだ誕生していない日本は最下位タイの60位。
日本では1986年に男女雇用機会均等法が施行されたが、男女の平等は実現されていない。それどころか、ジェンダー・ギャップ指数は2006年の80位からずるずる後退している。
筆者は基本的に「性差」はなくすべきだという考えだ。しかし、国や自治体の政策を決定する政治への女性進出がこれだけ進んでいないのはどうしてか。日本の性差をなくすには、まず政治を変える必要がある。
筆者の前回エントリーに「被害にあった女性を責めるのは間違い」「男勝りとか男前という言葉を使うこと自体が性差別」という批判が寄せられた。
都議会という「民主主義の場」で公然と行われた今回の性差別ヤジは、女性を含めて、そういう都議を選んでいる有権者にも大きな責任があると筆者は考える。
日本の男女平等は連合国軍総司令部(GHQ)から与えられたものだ。しかし、権利とは与えられるものではなく、闘って獲得するものではないのだろうか。
(おわり)