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中国の李首相訪英 「札束」と「雪辱」外交の脅威

木村正人在英国際ジャーナリスト

「中国の要求に屈した英国」チベット支援団体

中国の李克強首相の英国・ギリシャ訪問が16~21日の日程で始まった。これに先立ち、中国側が英国家元首エリザベス女王との面会を要求、「応じないなら訪問を取りやめる」と恫喝していたことが英紙タイムズのスクープで明らかになっている。

キャメロン英首相は2012年5月にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談。しかし、中国の態度は極端に厳しくなり、キャメロン首相はダライ・ラマ14世と会談しないことに合意した上で、ようやく13年12月の訪中を実現させた。

この際、李首相との「夕食」が約束されていたのに、中国に到着するわずか24時間前にキャンセルが中国側から通告された。最終的に「昼食」がセットされ、英国側は何とか体面を取り繕うことができた。中国の恫喝外交を体験済みのキャメロン首相は今回、李首相の機嫌を損ねないようエリザベス女王との面会をセットしたようだ。

中国の劉暁明駐英大使が国営新華社通信に語ったところによると、今回、中国から官民合わせて200人以上が訪英、調印する政府間契約や商取引契約はエネルギー、投資、教育、ハイテク、金融など40案件を超え、契約総額は300億ドル(約3兆億円)強にのぼるそうだ。

英国と中国の貿易額は昨年、史上最高の410億ポンド(約7兆800億円)を突破。英国の対中輸出は欧州連合(EU)のどの加盟国よりも高い増加率を示し、13.8%増を記録。

中国の英国への投資も過去2年間で80億ポンド(約1兆3800億円)近くに達した。これは過去30年間を合計した投資額よりも多いという。

一方、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、現在、起訴や裁判などの司法手続きなしで拘束されている人権活動家らは推定50万人。毎年、数千人が死刑に処せられている。中国当局は国家機密として死刑の数を発表していない。

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これでは、貿易と投資という「札束」で顔をたたかれ、「人権」に目をつぶったと批判されても仕方ないだろう。チベット支援団体チベット・ソサイエティは「これでは英国は中国の要求に屈したとみられるだろう」と、キャメロン首相に李首相との会談でチベットの人権問題を取り上げるよう求めている。

英女王と面会する真の狙いは

エリザベス女王が国家元首でない首相と会談するのは異例だが、今年、ドイツのメルケル首相とは会談している。李首相も同じ待遇で迎えることになる。英国にとっては中国もドイツと同じぐらい重要な国という位置付けだ。

中国側からすればエリザベス女王と李首相との面会にはいくつかの狙いがある。エリザベス女王には面会できない日本の安倍晋三首相との差をつける。中国の人権問題のシンボルになっているチベット問題について、英国の発言を封じ込める。

3年前に温家宝首相が訪英した際、女王とは面会しなかったのに、どうして李首相は女王との面会にこだわるのか。

習近平国家主席は今年、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギーを訪問、キャメロン首相とはオランダで会談したものの、英国は訪れなかった。英国の存在感は欧州債務危機をきっかけにEU内で急速に弱まっており、中国にとっては外交上の重要性が低下している。

しかし、それより注目しなければならないのが、習近平氏が1840年のアヘン戦争から始まった中国の「屈辱の歴史」を晴らすことを掲げていることである。李首相の訪英を前に、英紙フィナンシャル・タイムズにこんな読者投稿が掲載された。

「李首相とエリザベス女王の面会は、エリザベス女王にとっては、ビクトリア女王の代わりにアヘン貿易とアヘン戦争について謝罪する良い機会を提供している」(Jean-Pierre Lehmann香港大学客員教授)

この投稿は習近平体制の意向を代弁しているとみて良いだろう。実際に李首相がエリザベス女王との面会で、170年以上前のアヘン戦争の話を切り出すかどうかはわからない。

しかし、中国は、日本の首相の靖国神社参拝も尖閣問題も「屈辱の歴史」と結びつけるのと同様、英国に対してもアヘン戦争の謝罪を求める姿勢を強めていく可能性は十分にある。

英名門大学で増す中国の影響力

中国の「Chong Hua財団」が12年1月、英名門ケンブリッジ大学に寄付した370万ポンド(約6億3900万円)について、英紙デーリー・テレグラフは温家宝前首相の娘Wen Ruchun女史がこの財団の持ち分29%を保有していると報じた。

同女史は中国の外貨準備を規制する政府機関の要職についており、Chong Hua財団の初代議長に指名されたケンブリッジ大学のピーター・ノーラン教授の教え子だった。

ノーラン教授は英下院特別委員会で「中国共産党は非常に有能な組織だ。これからもっともっと有能になる。極めて競争力があり、成果主義に基づいている」と持ち上げている。

中国政府に極めて近い関係者から寄付を受けることで、ケンブリッジ大学では、チベットや新疆ウイグル自治区の問題や中国の人権活動家らの拘束について自由に議論されなくなる恐れがある。

ケンブリッジ大学側は同紙に対し、「Chong Hua財団と中国政府の関係はなく、寄付に何の問題もない」と説明している。

中国は世界中の大学と提携して孔子学院を設置し、中国語や中国文化の教育と宣伝を促進している。南京事件の宣伝映画も上映されている。

英シンクタンク、ヘンリー・ジャクソン・ソサイエティで講演した米ウェルズリー大学のトーマス・クシュマン教授は「ケンブリッジ大学が『はい、自分たちが腐敗しています』と言えるわけがない」と語った。

中国は巧みに欧米の大学に浸透している。日本の外交筋は筆者に「そのうち欧米の大学でアジア勢が占める教授ポストは中国と韓国に独占され、日本は駆逐される」との懸念を示す。

中国の留学生は欧米の大学で、どのように自分たちの主張を通すか高度な弁論術を身につけて中国に帰国する。自由や平等、国際協調といった欧米の価値観はまったく吸収せず、帰国後はより愛国的になり、中国共産党に忠誠を尽くすようになるとクシュマン教授は指摘する。

「欧米の名門大学への留学は中国共産党内部でエリートの階段を上るためのパスポートにしかなっていない」と筆者の質問に答えた。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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