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安倍ドクトリンで中国の「ヤクザ外交」を阻止できるか

木村正人在英国際ジャーナリスト

安倍晋三首相は30日、シンガポールで開かれている英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)主催のアジア安全保障会議に出席、基調講演でASEAN(東南アジア諸国連合)の沿岸警備向上を全面的に支援する方針を明らかにした。

ASEAN諸国の沿岸警備向上を支援

安倍首相は(1)国際法に基づき主張(2)武力や恫喝を使わない(3)紛争は平和的に解決する――という「法の支配3原則」を打ち出し、「既成事実を積み重ね、現状の変化を固定しようとする動きは断じて非難されなければならない」と宣言した。

南シナ海で傍若無人に振る舞う中国に対して、対話による解決を求めるフィリピンやベトナムを支持する立場を表明。巡視船をインドネシアに3隻、フィリピンに10隻を供与しており、今後、ベトナムにも供与する方針だという。

日本は、ODA(政府開発支援)、自衛隊の支援による能力構築、防衛装備・技術協力などを通じて、ASEAN諸国の沿岸警備能力を支援する考えだ。

安倍首相は、日中首脳が2007年に合意した「東シナ海での不測の事態を防ぐ連絡メカニズム」や、ASEAN諸国と中国が02年に領有権問題の平和的解決を目指した「南シナ海における関係国の行動宣言」に応じるよう中国に呼びかけた。

IISSのアジア安全保障会議に日本の首相が出席するのは初めて。こうした国際会議に首相が出席して、外交・安全保障に関する考え方を自らの言葉で発信することは非常に大切なことだ。

今年1月のダボス会議で、安倍首相は東シナ海の緊張を第一次大戦の開戦前夜にたとえたことが波紋を広げたが、率直にメディアの質疑に応じ「日本の安全を守り、経済を復活させる」という強い信念を示したことは高く評価された。日本ではあまり報じられなかったが。

「地」を広げる中国

問題は、日米同盟を基軸にする安倍ドクトリンで、中国の「恫喝外交」に対抗できるかである。中国の習近平国家主席は、東シナ海の防空識別圏(ADIZ)設定、南シナ海での石油掘削装置設置、滑走路建設のためとみられる拡張故事など、着実に地を広げている。

武力行使という「切り札」をしまい込んだオバマ米大統領のリバランス(アジア回帰)政策と4月のアジア歴訪は、中国の「恫喝外交」をエスカレートさせてしまった。

中国は、空では防空識別圏を設置して戦闘機を展開、海では領有権争いの存在する海域に漁船、公船を繰り出して不法占拠。岩礁を埋め立て、領空拡大の布石を打つ。

中国は米国との軍事衝突を巧みに避けながら、軍民の資産をフル活用して既成事実を積み重ねる戦略を描く。台湾をはじめ、南シナ海も東シナ海も中国が絶対に妥協しない「核心的利益」に位置付けられる。海も空も支配するということだ。

中国が国際司法裁判所(ICJ)などの国際機関に紛争解決を提訴することはあり得ない。「二国間の交渉」を口実にして、実際は、軍事力・準軍事力、民間の艦船、航空機を使い、中国は圧倒的に有利なパワーゲームを展開している。

国際法を守るつもりなど、はなからないからだ。

5月3日

中国が南シナ海の西沙(パラセル)諸島付近で石油を掘削すると宣言。以後、中国船によるベトナム巡視船への体当たりが繰り返され、中国機がベトナム巡視船の上空を飛行して威嚇。7日には、掘削装置を護衛する中国船がベトナム巡視船に放水、衝突して6人が負傷。西沙諸島は南ベトナム(当時)を排除した1974年から中国が実効支配している。

5月11日

ベトナムで過去最大規模の反中抗議デモ。その後、暴動は拡大し、中国人従業員1人が死亡、100人が負傷するなどしたため、中国人3千人以上がベトナムを出国(AFP通信)。

5月14日

フィリピン政府は、中国が南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島のジョンソン南礁を埋め立てて、滑走路を建設しようとしているのではないかと発表。

5月24日

東シナ海の公海上空で、海上自衛隊の画像情報収集機と航空自衛隊の電子測定機が中国の戦闘機2機の異常接近を受ける。日本と中国の防空識別圏が重なる空域で、中国の戦闘機は約30メートルの距離まで接近。東シナ海では、中国とロシアの海軍による合同軍事演習が行われていた。

5月26日

西沙諸島の掘削現場から約31キロ離れた海域で、ベトナム漁船が中国船に体当たりされ、沈没。乗員10人は救助された。40隻の中国漁船に囲まれ、うち1隻が体当たりしてきたという。中国側は「体当りしてきたのはベトナム船」と反論。

「恫喝外交」がエスカレートした理由

02年の「南シナ海における関係国の行動宣言」、07年の「東シナ海の連絡メカニズム」を見てもわかるように、中国は一時、穏健路線をとっていた。しかし、08年の世界金融危機を境に強硬路線に一変する。

解釈は2つある。1つは、欧米型の民主主義と資本主義の限界を見て、中国が共産主義と国家資本主義モデルの優位性を過信してしまった。もう1つが、穏健路線が尖閣の国有化などを招いてしまったという中国側の勝手な誤解だ。

「新型の大国関係」をオバマ大統領に呼びかけた習主席がここに来て「恫喝外交」をエスカレートさせた理由も今ひとつ、はっきりしない。

まず、ロシアのプーチン大統領によるクリミア編入にオバマ大統領が「口先外交」に終始するのを見て、習主席は東シナ海や南シナ海でも同じように既成事実を積み上げられると考えたのかもしれない。

また、オバマ大統領のアジア歴訪で、習主席は「封じ込め」が始まったような感覚にとらわれ、過剰に反応した可能性もある。真相は、習主席本人に聞かなければ、わからないだろう。

ロシアと急接近したことで中国は欧州まで「敵」に回し、南シナ海と東シナ海でのゴリ押しで日米同盟の結束を強め、ASEAN諸国まで日米の側に追いやってしまった。外交的に習主席は大きく後退してしまった。

「日米同盟」の存在感

ロンドンではこの日、シンクタンク、英王立国際問題研究所(チャタムハウス)で、「アジア太平洋の安全保障:米国の役割はどのように変わっているのか」と題したパネルディスカッションが開かれた。

チャタムハウスのゼニア・ドアマンディ米国部長(元米国家安全保障会議南アジア部長)が基調講演し、パネラーとして在英日本大使館の宮島昭夫・特命全権公使(チャタムハウス上級客員研究員)がパネラーとして加わった。

司会者も含め4人の討論だったが、米国と日本が肩を並べて登壇すると発信力が違う。宮島公使が「安倍ドクトリン」を説明し、中国が軍備を増強する理由を他のパネラーに質問するなどしたため、かなり正確に南シナ海と東シナ海の状況が参加者に伝わったと思う。

会場からは「欧州はどのようにかかわっていけるのか」という前向きな質問も出たほどだ。これまで日本の戦争責任や歴史認識が非難されることが多かったが、ムードは一変した。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認についても警戒の声は上がらなかった。

これも「積極的平和主義」「地球儀を俯瞰する外交」を推進してきた安倍外交の成果だろう。やはり世界一位と三位の大国が手を結んだ日米同盟の存在感は大きい。

しかし、南シナ海と東シナ海の緊張が収まると考えるのは早計だ。中国は囲碁で地を広げるように東シナ海に防空識別圏を張り出し、南シナ海のほぼ全域を覆う「九段線」を引く。いずれ南シナ海にも防空識別圏を設定し、台湾を挟み込む。

「自由」と「支配」の格闘

中国がこの陣地をどこまで広げようとしているかは誰にも分からない。その過程で、どんな摩擦や衝突が起きるのか、予想はつかない。

これに対して、日本は、日米同盟を重石にASEAN諸国ともがっちりスクラムを組み、防衛協力のウィングを欧州にまで伸ばし、中国の「恫喝外交」に対峙する必要がある。

中国経済がこのまま成長を続ければ資源が不足して領有権争いが過熱するかもしれない。また、経済が失速すれば習主席が中国共産党の正統性を維持するため、反日ナショナリズムをあおる危険性がある。

中国のような巨大な国を封じ込めるのは不可能だ。勢力の均衡に目配せしながら、空や海を支配するのではなく航行の自由を互いに享受し合った方が経済成長を持続できることを中国が理解するまで、粘り強く説得するしかないだろう。

米国の戦争に「巻き込まれる」と考えるのも、日本の戦争に米国を「巻き込む」と論ずるのも間違っている。これは米国の絶対的優位が相対化する中で、21世紀の行方を決める「自由」と「支配」の長い格闘の始まりだ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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