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『21世紀の資本論』は「STAP細胞」と同じ?【デモクラシーのゆくえ:欧州編】

木村正人在英国際ジャーナリスト

昨年出版されたフランスの経済学者トマ・ピケティ氏(43)の『21世紀の資本論』は今年3月に英訳され、アッという間に世界中にセンセーションを巻き起こした。

低成長の時代に突入し、富が富をもたらし、貧富の格差を拡大させている。誰もが感じているこんな社会矛盾をピケティ氏は歴史的なデータを用いて実証して見せた。

所得より資本に注視しながら富の再分配政策を考えなければいけない。ピケティ氏は格差解消のためには「富に対する国際課税」の導入が必要だと提唱した。

「現代のマルクス」ともてはやされた左派の新星ピケティ氏は、ケインズ派のノーベル経済学賞受賞者、クルーグマンやスティグリッツ両氏からも称賛された。

しかし、英紙フィナンシャル・タイムズのクリス・ジャイルズ経済部長が「肝心のデータに誤りがあったり、説明がつかなかったりするものがある」と異を唱えた。

ピケティ氏は「かなり多種多様なデータを用いたので、調整が必要だった。データを改良していけることに疑いは持たないが、それによって本質的な結論が変わることはないだろう」と反論した。

ピケティ氏は誰にも検証可能なようにデータ・ソースをオープンにしている。

クルーグマン氏も早速、米紙ニューヨーク・タイムズのブログで、「FT紙のジャイルズ経済部長がピケティ氏の結論までひっくり返そうと試みているとしたら、やり過ぎだ」とピケティ氏を擁護した。

貧富の格差は産業革命を機に増大した。18~19世紀の西洋はとんでもない格差社会だった。しかし、第一次大戦、世界大恐慌、第二次大戦を経て、累進課税、インフレーション、倒産を通じ富は分散されるようになった。

高成長で所得が伸び、富にそれほどスポットライトが当たらなくなった。資本主義や税制、社会保障制度を通じて所得再分配がうまく機能していたからだ。

しかし、競争原理を重視する新自由主義とグローバル経済で貧富の格差は拡大、世界金融危機対策のしわ寄せが低所得者層を直撃した。

不満が先進国を覆う中、ピケティ氏は「富の格差は第一次大戦前のレベルに向かって広がり始めている」と警告したのだ。ピケティ氏は正しいと思わせるニュースは至る所に氾濫している。

英紙サンデー・タイムズの英国版「リッチ・リスト(長者番付)」によると、長者1千人の資産総額は前年比15.4%増の5189億ポンド(約89兆円)。国内総生産(GDP)の約3分の1に相当する。

2009年から5年間で長者は富を2倍に増やしたのだ。

1989年から英国長者版番付を作成している担当者は「個人の富が1年間でここまで増えたのは初めて」とコメントしている。

先進国が低成長時代に入り、所得の伸びを期待できなくなった。「いくら頑張っても報われない」社会が到来し、親から譲り受ける相続財産の高が将来を左右する。

「金持ちを嫉妬するよりも、金持ちになる野心を持とう」(サンデー・タイムズ紙)と言われても、現実的には難しい。09年から英国では所得は目減りしたのに、長者の富は倍増した。

21世紀の資本主義は今のところ、富が富を生むサイクルに入っている。この社会矛盾に目をつぶれるとしたら、ガチガチの市場原理主義者か、よほど鈍感な人だろう。

インターネットの発達で、一生かかっても処理できないデータを瞬時に入手して分析できる。こうした知的産業革命は再び高成長をもたらし、富より所得が重視される時代を復活させられるのだろうか。

産業革命は機械が人間の筋肉に取って代わった。そして、残酷なほどの貧富の格差をもたらし、資本と労働の対立を生み出した。マルクスの『資本論』はその理想とは裏腹に、悪魔のような共産主義体制の理論的根拠とされた。

急速に進展する知的産業革命で、やがてアルゴリズムが人間の頭脳に取って代わるだろう。社会はアルゴリズムを作り出す人間と、そのアルゴリズムに従わざるを得ない人間に分断されるかもしれない。

格差解消のため政府の役割は大きくならざるを得ないが、財政赤字を抱える先進国には財源がない。欧米諸国は、中国など新興国の台頭を受け、今、必死で民主主義と資本主義の新しいモデルを模索しているのだ。

ピケティ氏の『21世紀の資本論』が論争を呼ぶ背景にはこんな事情がある。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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