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安倍首相のダボス会議その後 「さまよえる靖国」(13)

木村正人在英国際ジャーナリスト

安倍晋三首相がスイスのダボス会議で「英独は多くの経済的関係があったにもかかわらず第一次世界大戦に至った歴史的経緯があった」と述べたことが波紋を広げたが、発言を引き出した英紙フィナンシャル・タイムズの著名コラムニスト、ギデオン・ラクマン氏が安倍首相を「変革させる可能性を持ったリーダーだ」と高く評価したことは日本には伝えられなかった。

ダボス会議という国際舞台での安倍首相の「パブリック・ディプロマシー」はある意味で成功したといえるだろう。靖国参拝の外交への影響はともかく、「再び戦争で人々が苦しむことがないよう不戦の誓いをした。他の国々の指導者と同じように戦没者を追悼した。中国や韓国の人々を傷つける気持ちはない」と正直に話したことを、辛口で鳴らすラクマン氏は否定しなかった。

戦没者を追悼するのはそれぞれの国の道徳的責任であり、義務である。それを真っ向から否定することはできない。ただ、同時に欠かしてはならないのは日本の戦争によって被害を受けた交戦国やアジア諸国の気持ちに寄り添う姿勢である。戦闘員、非戦闘員の区別がなくなった第二次大戦では、自国の戦没者への追悼とともに、他国の被害を記憶し、和解することが求められるようになった。

復讐の連鎖をどう抑えるかが、第二次大戦を防げなかった第一次大戦の戦後処理に対する教訓だ。第二次大戦の戦後処理では復讐を抑えるため戦争犯罪法廷が開かれ、敗戦国の復興に力が注がれた。東京裁判はとても公正な裁きとは言えなかったが、戦争の荒廃から日本やドイツが力強く復活できたのは、第二次大戦の戦後処理がうまくいったおかげである。

それに比べ、アジアでは戦後50年を境に日中、日韓の関係は悪化の一途をたどっている。2国間の法的処理は日韓基本条約、日中平和友好条約で終わったが、日本の植民地支配をめぐる国民感情のトゲは抜けず、逆に傷口を広げている。政治体制の違い、中国の台頭と軍備増強、領土問題、従軍慰安婦や靖国参拝といった歴史問題が和解の大きな妨げになっている。

ラクマン氏は安倍首相のどこを評価したのか。英メディアを代表するラクマン氏のすごさは先入観や偏見にとらわれず、ジャッジする目を持っていることである。そのラクマン氏は、今年のダボス会議で注目された2人として安倍首相とイランのロウハニ大統領を挙げる。

これまでの日本の首相について、ラクマン氏は「ほとんど期待もされず、固苦しくて形式的だった」と切り捨てたのに対し、経済政策アベノミクスで日本を復活させようとする安倍首相の演説には、欧米の政治指導者でも苦心している情熱とエネルギーがみなぎっていたと公正に評価した。

「帝国主義者に似ている中国・習近平国家主席のスタイルとは対照的に、安倍首相は驚くほどフランクだった。オフレコからオンレコに切り替えるのもためらわなかった」とラクマン氏はいう。

問題の「第一次大戦前の英独」発言についても、「安倍首相は好戦的ではなく、戦争は日中双方にとって悲劇になることを明確に発言した。靖国参拝について質問者を納得させることはできなかったが、前向きな安倍首相の姿勢はとても印象的だった」と評価した。

「中国や韓国の反発を差し引いても、日本が新しいダイナミックな指導者の下で変化していることを確信させることに成功した。安倍首相のダボス会議はおそらく成功だった」と結んでいる。

しかし、忘れないでほしい。安倍首相の靖国参拝に対する欧州の目には極めて厳しいものがあることを。筆者が取材した英国、イタリア、フランスの声を届けよう。

親日家のアレッシオ・パタラーノ講師も安倍首相の靖国参拝には否定的だ(筆者撮影)
親日家のアレッシオ・パタラーノ講師も安倍首相の靖国参拝には否定的だ(筆者撮影)

研究室に海上自衛隊の旭日旗を飾るほどの親日家である英キングス・カレッジ・ロンドンのアレッシオ・パタラーノ講師=イタリア出身=はこう語る。

「国内的に見れば靖国参拝は国のために亡くなった霊を悼むということだ。しかし、近代日本の歴史は日本だけで完結しない。アジア地域の諸国に不幸な形でかかわっている。安倍首相は靖国参拝について戦没者への追悼とそれが持つ政治的な意味のバランスを考える必要がある。戦没者を追悼する権利はある。靖国参拝は安倍首相の個人的な信条に基づくものだが、その代償はアジアだけで済まない。同盟国の米国だけでなく英国にも影響を及ぼす」

1990年代に英国で元戦争捕虜(POW)の反日感情が噴き出した際、矢面に立って日本をかばい、日英関係の強化を訴えてくれたサー・ヒュー・コータッツィ元駐日英国大使は表情をしかめた。

「靖国神社は宗教施設です。国家神道が復活したらどうするんですか。安倍首相の靖国参拝は中国や韓国への挑発にとどまらず、米国や英国への挑発にもなります」

中国専門家のシンクタンク、アジアセンターのFrancois Godement戦略部長も厳しかった。

「パブリック・ディプロマシーの観点からは明らかに間違った政治判断だ。なぜなら、国際社会は安倍首相を未来志向ではなく過去を書き換えようとする歴史修正主義者とみなすからだ。靖国参拝に当たって恒久平和の誓いが発表されたが、世界には聞こえなかった。戦没者追悼という国内問題にとどまらず、日本の同盟国にとっても靖国参拝について黙っていることはできない。海外メディアは靖国神社にまつられている数百万の戦没者ではなく、A級戦犯だけに注目している。国際社会の理解を得るためにはA級戦犯の分祀など靖国神社の変革が必要だろう。日本では戦犯も一般の戦没者も一緒におまつりするということだが、西洋には国の名誉を損なった人も一緒におまつりするという伝統はない。非常に大きな文化の壁がある」

安倍首相の靖国参拝が今後も続くとなると、アジアの安全保障・外交にとって大きな障害となる恐れがあるのだ。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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