ホリエモン流『ゼロ』こそ日本復活のカギだ
堀江貴文さんの新著『ゼロ』に対する朝日新聞・鈴木繁編集委員の書評がネット上で非難されている。
筆者も『ゼロ』を読んだ。「なにもない自分に小さなイチを足していく」という若者向けのメッセージに素直に感動した。
メルマガに寄せられた若者の相談のべ1万件以上に答えてきた堀江さんだからこそ、「ゼロから始めよう」というメッセージが今の若者に必要だと考えたのだろう。
それに対して、鈴木氏の書評からは、「人の心はお金で買える」と豪語していたホリエモンに今さらゼロから出直すと言われても、という皮肉しか感じられない。
一体、この書評のメッセージは何なのだろう。
まず、人を批評する場合、根拠を示す必要があるのではないか。
英国には「マッチ・オブ・ザ・デイ」という人気サッカー番組がある。週末のイングランド・プレミアリーグの試合について、司会の元イングランド代表ゲーリー・リネカー氏らが解説していく。
手抜きプレーをしている有名選手は、なぜダメなのかを、プレーのビデオやデーター分析の形でこれでもかと突きつけられ、グウの音も出ないほど、やり込められる。まさに「容赦なく」である。
その批評がきっかけとなり、次の試合からプレーが見違えるほど良くなることも少なくない。批評には最低限、根拠とメッセージがなければと思う。
鈴木氏は「オヤジ化することへの嫌悪があらわだ」と書くが、オヤジ化を肯定する要素でもあるのだろうか。
それとも「オヤジ=新聞」、「若者=インターネット」という読者の棲み分けが固定化してしまっているのだろうか。
『ゼロ』は、成長の限界が見え始めた日米欧など先進国が取り組まなければならない問題を非常にわかりやすく書いていると思う。
2006年ノーベル経済学賞受賞者エドモンド・フェルプス氏が英議会内で講演した際、「資本主義が停滞に陥ったのは会社至上主義に陥ったからだ。今一度、個人の起業精神を思い起こす必要がある」と指摘した。
これは若者に起業をすすめる堀江さんの考え方と一致する。
ブレア元英首相の「第三の道」を唱えた英社会学者アンソニー・ギデンズ氏に「欧州も日本と同じような失われた20年に入るのでは」と尋ねると、「3Dプリンターなどデジタル革命の持つインパクトを軽視してはいけない」とたしなめられた。
ギデンズ氏は「グローバル化で人の移動が活発になり、すべてが多様化した。スマートフォンの発達でこの多様化が猛スピードで加速していく」と指摘、その変革を活用できた国が主導権を握ると強調した。
これもスマートフォンがあれば起業できるという堀江さんの主張と軌を一にする。
IT(情報通信技術)やクラウドファンディングの発達で起業コストはほとんどかからなくなっている。3Dプリンターとアイデアさえあれば、商品化もそれほど難しいことではなくなり、製造業の概念を変えるかもしれない。
要は、フェルプス、ギデンズ両氏が言っていることは堀江さんが『ゼロ』に書いたこととまったく同じなのである。
オヤジ化した日本のままでは、間違いなく衰退の道をたどる。一方、宇宙事業に乗り出す堀江さんのように若者たちがアスピレーションを持てば日本は再び輝きを取り戻すだろう。
堀江さんは『ゼロ』の中でこう書く。「僕は、政治家やリーダーの役割とは、まさにこの『空気』を変えていくことではないかと思っている。不況という名の空気。閉塞感という名の空気。そして、根深く蔓延する『できっこない』という空気」
日本の若者が持つ感性は、世界に十分通用する繊細さを持っていると筆者は思う。
自分は「逃げ切り世代」だと思ってぬるま湯につかっていられるオヤジ世代は、少なくとも若者にケチをつけるのではなく、応援してあげるのが筋でしょう。
(おわり)