Yahoo!ニュース

日本は尖閣の防衛力強化 親中派・前豪首相が解説した中国の国家戦略とは

木村正人在英国際ジャーナリスト

島しょ防衛力を強化

政府は17日、新たな防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画(2014~18年度)を決定した。5年間の防衛力整備にかかる費用は24兆6700億円程度で、民主党政権時より1兆2千億円近く増額された。

上陸作戦用の水陸両用車、部隊をすばやく輸送できる米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイを導入。米軍の無人偵察機グローバルホークも購入して、東シナ海での警戒能力を高めるという。

中国が東シナ海上空に防空識別圏(ADIZ)を設定し、沖縄県・尖閣諸島めぐる緊張が高まる中、安倍政権は打つべき手を打ったといえるが、それでも中国からの圧力は弱まることはないだろう。

尖閣をめぐる緊張はもはや、日中問題ではなく、中国が米国に並ぶ大国になろうとする中で起きているという文脈で読み解く必要がある。

習近平国家主席の戦略を解説するラッド元オーストラリア首相(筆者撮影)
習近平国家主席の戦略を解説するラッド元オーストラリア首相(筆者撮影)

中国の習近平国家主席は今、何を考えているのか。16日、ロンドンのシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)で講演した親中派のケビン・ラッド前オーストラリア首相がわかりやすく解説してくれた。

日本や台湾、韓国、ベトナム、フィリピンと違って、中国とは地政学的に遠いオーストラリアの見方は日本人には受け入れ難い面もある。その一方で、中国の出方を理解する上では非常に役に立つ。

まず、ラッド元首相が掲げた3つの設問はこうだ。

(1)国際社会における中国の経済的、政治的な台頭は次の30年も持続可能か。

(2)中国はアジア地域における政治・経済・安全保障戦略の青写真を持っているのか。もし、青写真がなかった場合、国際社会はどう対応すべきなのか。

(3)中国は、第二次大戦後、米国が中心になって築いた国際秩序をどのように作り変えようとしているのか。

移行する国際秩序

ラッド元首相は「今、米国から中国へ地政学的な経済・政治・戦略上の変化が起きている」と指摘する。

次の10年で、購買力平価で中国経済が米国を追い抜けば、英国のジョージ3世(1738~1820年)の治世以来初めて、英語を話さない国が世界経済を牛耳ることになる。

それぐらい大きな変化が目の前で起きている。

「中国と欧米諸国の利害は放っておくと決して一致しない。怠慢と怠惰に任せて戦略を放置すれば、双方の利害が一致することはあり得ない。軍関係者ではなく、政策立案者、シンクタンク、学会が無秩序なパワーの移行を防ぐ道筋を議論する必要がある」

ラッド元首相はこう呼びかけた。

まず、中国の経済成長が持続可能かという設問に対しては、「中国崩壊説をとるのは楽天的すぎる。過去30年を振り返ると、常にそういう議論はあったが、中国は危機を乗り切ってきた」と強調した。

2008年の世界金融危機が起きる前は、中国は欧米諸国の新自由主義経済モデルを信奉していた。しかし、危機後、欧米諸国が膨大な政府債務を抱え、低成長に陥ったため、欧米モデルの限界を認識した。

オバマ米大統領の民主党と野党・共和党の対立で米国の政治システムは機能停止に陥り、今後も米国経済を回復させる有効打が打てないと中国は見切ってしまっているという。

「中国は過去5年間で米国経済の未来について徐々に見下すようになった」とラッド元首相。経済的には米国は取るに足らない存在になったと習主席も高をくくっているのだろう。

習主席は、国営・公営企業を中心とした経済成長、低賃金労働者による労働集約型工場、輸出依存からの脱却をはかり、内需型経済、市場原理に基づいた商業化、サービス業の充実、民間起業を促進させる方針だという。

ナショナリスト習近平

だからと言って、習主席を「新自由主義者」「中国のゴルバチョフ」と考えるのは間違っているとラッド元首相はクギを刺す。中国に欧米風の民主主義が誕生するのを期待するのは間違っている。

習主席は中国共産党の威信回復に邁進する筋金入りのナショナリストだ。

1949~78年が中華人民共和国の建設期、1979~2012年が経済改革と中国経済の国際化の時代、そして、習主席は未来を「新しい時代」と位置づけた。

「新しい時代」が何を意味するのかについて、ラッド元首相はこう分析する。

2021年の中国共産党創設100周年に購買力平価で米国経済を凌駕し、中国共産党の正統性を証明する。

2049年の中華人民共和国の建国100周年に、軍事力でも米国に肩を並べる。100周年という区切りは中国にとっては特別な意味を持つ。この2つを実現するのが習主席の語る「中国の夢」なのだ。

核心的利益での譲歩はあり得ない

ラッド元首相は「習近平は、胡錦濤・温家宝時代に改革が進まなかった『中国の失われた10年』を取り戻すため、急いでいる」とも指摘する。習主席が掲げる5つの優先課題とは。

(1)中国共産党の威信回復

(2)国家主席への権限集中

(3)新しい経済成長モデルの導入

(4)アジア地域の安定

(5)核心的利益

(1)中国共産党の威信回復と(3)新しい経済成長モデルの導入についてはすでに述べた。

(2)国家主席への権限集中については、中国が防空識別圏を設定した際、軍部の突き上げがあったという解説が日本国内では見られたが、ラッド元首相は「習近平はすでに強固な権力基盤を築いている」と分析。習主席は、経済改革を強力に進めたトウ小平以来の強力な指導者だと断言した。

(4)アジア地域の安定については、中国は台湾有事の際、1996年の台湾海峡ミサイル危機のような米軍の介入を阻止するため、伊豆・小笠原諸島からグアム・サイパンを含むマリアナ諸島群などを結ぶ第2列島線を軍事的防衛ラインに設定しているといわれている。

しかし、台湾海峡や東シナ海、南シナ海での突発的な衝突が米軍との交戦に発展した場合、中国は敗れることを自覚している。軍事的な敗退は権力基盤の崩壊につながることから習主席は米軍との軍事衝突を回避するだろう。

「中国の夢」を実現するためにも、中国は平和的にアジア地域で台頭する必要がある。少なくとも今後10年は、中国は米国との安定的な戦略関係を望んでいるとラッド元首相はみる。

(5)核心的利益について、ラッド元首相は「チベットの分離主義者の志向」「新疆のテロリストと分離主義者の活動」「日本や韓国が絡む東シナ海領有権問題」「台湾統合を妨げる動き」「ベトナムやフィリピンなどとの南シナ海領有権問題」を列挙して、「中国のいかなる指導者も決して核心的利益では譲歩しないだろう」と断言した。

同床異夢の「新たな大国関係」

今年6月、オバマ大統領と習主席は首脳会談を行い、習主席は「新たな大国関係」の構築を呼びかけた。これについて、ラッド元首相は「習主席にしてみれば、中国の核心的利益を受け入れろということだ」と解説する。

中国の核心的利益を受け入れたら、米国は代わりにアジア・太平洋地域の安定を手に入れることができるというわけだ。

今のところオバマ大統領は日米同盟をヘッジにして、中国に現在の国際秩序に従うよう求めている。米国が第二次大戦後に築き上げた国際秩序の枠組みの中で発展することを中国に期待している。

しかし、中国は「新たな国際秩序」を築きたがっている。東シナ海でも南シナ海でも中国は特別な権利を求め始めている。

ラッド元首相の主張は、米国に余力が残っているうちに新しい国際秩序について中国と話し合う必要があるというものだ。

古代ギリシャの歴史家ツキジデスは、新興国アテネと老大国スパルタのペロポネソス戦争を考察し、新興国家が勃興するとき覇権国家との間で戦争が起きると指摘した。

これを「ツキジデスの罠」と呼ぶ。

16世紀以降、世界のパワー・バランスが急激に変化し、覇権が争われた例は15回あるが、11回のケースで戦争に突入している。

世界が再び「ツキジデスの罠」にはまる前に、米中両大国を中心に国際社会がこの問題を真剣に話し合う必要があるというのはラッド首相が指摘する通りだ。

中華新秩序は受け入れられない

しかし、ラッド元首相は質疑を合わせて約1時間に及んだ講演の中で、自由と民主主義、人権、空と海の自由航行については一言も触れなかった。なぜか。それが親中派の論理だからだ。

2008年の北京五輪以降、国際社会は中国との経済関係を優先して、チベットの人権問題にはほとんど口を出さなくなった。

チベットで行われている人権弾圧を受け入れるような新たな中華秩序は筆者にはとても受け入れることができない。力ずくでの領土の現状変更を認めるような新秩序も断固として拒否する。

台湾で再び独立問題が争点になったとき、国際社会は見て見ぬふりをするのか。チベットの人権問題に目をつぶる人はやがて、台湾や、南シナ海と東シナ海の問題にも目をつぶるだろう。

経済関係を脅しに使う中国の揺さぶりを防ぐためにも国際社会は団結しなければならない。尖閣は日本だけの問題ではない。中国と国境を接するすべての国に共通する問題である。

防衛力の強化と同様に、日本は、自由と民主主義、人権の価値を国際社会に呼びかけることを忘れてはならない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事