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憎悪と愛国(5)英兵士惨殺の波紋

木村正人在英国際ジャーナリスト

「目には目を」

ロンドン南東部ウーリッチの王立砲兵隊兵舎近くで22日午後、休みだった兵士リー・リグビーさん(25)がイスラム過激派2人に車ではねられ、ナイフと肉切り包丁で殺害された。2人はリグビーさんの首を切断しようとしたあと、通行人にビデオ撮影を頼んだ。

イスラム過激派の男は血まみれになったナイフと包丁を持ちながら「アラーは偉大なり。彼らがわれわれと戦うように、われわれも彼らと戦わなければならない。目には目を、歯には歯を」とテロの拡散を呼びかけた。

それに呼応するかのように、パリのビジネス街で25日夕、テロ警戒のためパトロールしていた23歳の兵士が何者かに刺された。2事件の関連ははっきりしないが、ボストンマラソン爆破テロがイスラム過激派の単独テロを連鎖的に引き起こしている恐れは十分にある。

テロの論理

ウールリッチ事件の容疑者2人は警察の銃撃で負傷し、病院に運ばれた。2人はナイジェリア系英国人。1人はロンドン在住のマイケル・アデボラージョ容疑者(28)で、2003年ごろ、キリスト教からイスラム教に改宗したとされる。

アデボラージョ容疑者はかつてイスラム過激派組織の指導者オマル・バクリ師の説教礼拝に定期的に出席。過激思想を説教するバクリ師は05年、レバノン出国を境に英国への入国が禁止された。バクリ師が率いるイスラム過激派組織「ムハジルーン」も英国の反テロ法により非合法化された。

ムハジルーン元指導者、アンジェム・チャウダリー師は英BBC放送の報道番組「ニューズナイト」に出演し、アデボラージョ容疑者のテロについて、「イラクやアフガニスタンで多くのイスラム教徒が殺されている」と容認する考えを示した。

他のイスラム教徒が「あなたの考えはイスラム社会全体の考えではない」と反発し、スタジオは騒然とした空気に包まれた。

アデボラージョ容疑者は10年、国際テロ組織アルカイダ系イスラム過激派組織アルシャバブに参加するためソマリアに入ろうとして、ケニアで拘束された。現地の治安組織から受けた肉体的・性的虐待がアデボラージョ容疑者を残忍なテロへと駆り立てる最後の一撃になったと報じられている。

アデボラージョ容疑者は犯行直後、「われわれの軍隊(英軍)」と「われわれの土地(イスラム国家)」という言葉を使うなどアイデンティティーの混乱を垣間見せた。

友人によると、アデボラージョ容疑者は英情報局保安部(MI5)に協力を求められたが、拒否したという。MI5の関与は裏付けられていないが、アデボラージョ容疑者が英情報機関のレーダーにとらえられていたのは間違いない。

英国の大学ではイスラム系サークルの過激化が進んでいる。アデボラージョ容疑者ら2人が通っていたグリニッジ大学を含め、今年3月までの1年間に、過激な説教者が学生にイスラム過激主義を説教する公式イベントが実に200回も開かれていた。

右の台頭

殺された英兵士リグビーさんは「ヘルプ・フォ・ヒーローズ」のTシャツを着ていた。慈善団体「ヘルプ・フォ・ヒーローズ」はイラクやアフガニスタンなどで負傷した兵士やその家族を支援している。

事件後、同団体が英南西部の港町ブリストルで行進を計画していたが、イスラム系移民排斥を訴える極右過激団体「イングランド防衛同盟(EDL)」が紛れ込んで暴れようとしているとの情報があり、急遽、中止された。

EDLは「われわれはリグビーさんの死を無駄にはできない。イスラム教徒は即刻、この国を立ち去れ」と抗議活動をエスカレートさせている。

第二次大戦後、英国民戦線など英国でも極右の活動が活発化したことがあったが、これまで大きな広がりは見られなかった。ナチスと戦って勝利したことが英国の誇りでもあったからだ。

しかし、米中枢同時テロ9・11によるイスラムとの対立、欧州連合(EU)拡大がもたらした移民急増が排外主義を強めている。

極右過激団体EDL、移民排斥を訴える極右政党・英国民党(BNP)のほか、保守党右派から分裂した英独立党(UKIP)がEU離脱を唱え、先の英統一地方選で大躍進した。UKIPは決して極右ではないが、移民規制を求めている。

UKIP率いるナイジェル・ファラージ党首は24日、ロンドンの外国人特派員協会(FPA)で記者会見した際、UKIPの主張がEDLなど極右の運動に与える影響をどう考えるか、質問された。

ファラージ党首は臆することなく「EU拡大に伴って移民が急増し、英国の町、市場の風景を一変させてしまった」と労働党のブレア政権による門戸開放政策を厳しく批判した。

「ユーロ危機でギリシャの民主主義を無視した財政緊縮策が強いられた結果、極右政党・黄金の夜明けを台頭させた。まったくもって馬鹿げている」

非寛容のネットワーク

多文化主義が根付く英国もイスラム過激主義と極右の台頭に揺さぶられている。事件後、民間団体に寄せられたイスラム教徒に対する嫌がらせの相談件数は普段の約20倍にものぼった。

政権与党・保守党内でもユーロ危機を境に右への傾斜が目立ち始めている。これに対し、キャメロン首相はリグビーさん殺害事件について「英国は過激主義やテロに対して断固として立ち向かうつもりだ」と社会の団結を訴えた。

英キングス・カレッジ・ロンドン校の過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)がまとめた報告書「EDLと欧州の反ジハード運動」によると、EDLはノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、イタリアで防衛同盟設立を手伝っていた。これまで寛容とされてきた北欧諸国で極右が勢力を広げる理由はまだわからない。

ICSRとスウェーデン国立防衛大学などが3月に主催した発表会「新しい極右とは何か」に出席した際、「英国では極右の活動は限られているのでは」とイスラム系の研究者に尋ねると、「そんなことはない。ものすごい勢いで拡大している」と言葉をたたきつけた。

ネット右翼の国境を越えた交流はまだ限られているものの、非寛容のネットワークは次第に欧州に根を張り始めている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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