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中国の一人っ子政策 40年余で中絶・不妊手術は5億3200万件

木村正人在英国際ジャーナリスト

明るみに出された闇データー

これまで闇のベールに覆われてきた中国の一人っ子政策による中絶・不妊手術の件数が初めて明るみに出た。中国が人口抑制に取り組み始めた1971年以来、中絶件数は3億3600万件、不妊手術が1億9600万件、避妊具の挿入は4億300万件にのぼる。英紙フィナンシャル・タイムズ電子版が15日、一人っ子政策を受け持ってきた「国家人口計画出産委員会」ではなく、「衛生省」のデーターとして伝えた。

このニュースには3つの意味で驚かされた。

米国の反中絶団体「All Girls Allowed」はホームページで、「これまで中国の一人っ子政策で3700万人の女の子がいなくなった。スターリン、ホロコースト、ポル・ポト、アルメニア、ルワンダの大虐殺を合わせた数字の1730万人をはるかに上回る」と非難していた。中絶・不妊手術の合計がこの世に生まれてきたはずの子どもの数を正確に表しているわけではない。しかし、「All Girls Allowed」の指摘する「3700万人」を10倍以上上回る数字を中国当局が公表した正直さには驚かされた。

2月1日付のフィナンシャル・タイムズ紙電子版は「一人っ子政策が導入された1979年以降、妊娠後期にさしかかった女性の何人が中絶手術を強制されたかは誰にもわからない」と報道していた。中国当局がこれまで明らかにされることがなかった一人っ子政策のデーター公表に転じたのはなぜか、というのが第二点。

公表したのが「国家人口計画出産委員会」ではなく、「衛生省」だったことにも驚いた。一人っ子政策を担当してきた「国家人口計画出産委員会」を格下げし、衛生省に組み入れる改革は早くも実行されたのだろうか。

一人っ子政策の転機

深刻な人口問題を抱える中国は1971年から人口抑制に取り組み、1979年、1組の夫婦は1人の子どもしかつくってはならないという一人っ子政策を始めた。この政策は部分的に緩和され、(1)農村住民で第1子が女児や障害児(2)都市で暮らす一人っ子同士の夫婦(3)少数民族―などの場合、例外的に第2子の出産を認めている。

このため、「事実上は1・5人っ子政策」といわれることもある。

中国国家統計局などによると、2012年末の労働人口(15~59歳)は前年末比345万人減と初めてマイナスに転じた。労働人口の減少は予想より3年ぐらい早く訪れた。60歳以上は総人口の14・3%。中絶が増えた結果、男性が女性より3千万人以上も多くなった。

一人っ子に先立たれた夫婦を意味する「失独家庭」は1000万世帯を超える見通しだ。戸籍のない子供も多く、一人っ子を甘やかして育てた結果、社会常識のない人間が増えるなどの社会問題もクローズアップされている。

労働人口の減少は「世界の工場」である中国の優位性を脅かす。経済成長の持続が体制維持の絶対条件になっている中国当局は「一人っ子政策」の見直しを検討していると言われてきた。

政策見直しの兆候は昨年10月、一人っ子政策を批判する作品を発表していた莫言(モオ・イエン)氏がノーベル文学賞に選ばれた際、国営新華社通信が番組を中断して授賞のニュースを伝えたときに表れていたと解説する向きもある。

それに続いて、政府系研究機関の中国発展研究基金会も「2015年までに全家庭に第2子の出産を認めるべきだ」と提言する報告書を発表した。

出生率は回復するか

中国の出生率は2011年、20~29歳の女性で推定1・04。2010年は全体でわずか0・88だった。人口の自然増と自然減の境目は出生率2・00超と言われているだけに、中国の低出生率は深刻だ。

中国がこれまで金科玉条としてきた一人っ子政策をどのように見直すのかは明らかではない。現在の緩和策を拡大して、都会だけではなく全国の一人っ子同士の夫婦に第2子の出産を認めるのではないかとも言われている。

しかし、それだけでは少子高齢社会の到来を遅らせるだけだろう。

一方、経済の衰えが目立つ欧州の一部では出生率が回復している。ソ連崩壊を予測した著名なフランスの家族人類学者エマニエル・トッド氏は「女性の識字率が上がれば、出生率は下がる」と指摘したが、フランス、英国、北欧では逆転現象が起きている。

EU(欧州連合)統計局によると、2010年の出生率はアイルランド2・07、フランス2・03、英国1・98、スウェーデン1・98、フィンランド1・87、デンマーク1・87。非EU加盟国ではアイスランド2・20、ノルウェー1・95と北欧諸国は押しなべて出生率が高くなっている。カトリックのアイルランドはもともと出生率が高かった。

一方、性に奔放と思われているイタリアは1・41、スペインは1・38と低い。工業国ドイツは日本と同じ1・39。欧州債務危機では債務危機国イタリア、スペインと財政健全国ドイツの間には明確な一線が引かれているのに、どうして出生率は同じように低いのか。

出生率はそれぞれの社会が女性の存在をどうとらえているかに関係しているように感じられる。

女性を「産む性」と考えていた時代はトッド氏の法則が当てはまった。しかし、欧州では、女性の自由をより広く認めている社会の方が、出生率が上昇するという傾向が表れている。ドイツのメルケル首相は女性だが、ドイツでは「女性は子どもを育てるべきだ」という考えが強く残り、外で働く女性の心理的な圧力になっているという分析もある。

イタリア、スペインは、フランス、英国に比べて封建的だ。

仕事か子育てかの二者択一を迫る社会では女性は子どもを生みづらくなり、それに対して、仕事も子育てもの二兎を追える社会では女性は子どもを育てたくなるという仮説が成り立つ。

フランスや英国、北欧でなぜ、出生率が回復しているのか定説はまだ見当たらない。移民の高い出生率や育児支援政策の影響や効果がはっきりとはわからないためだ。

「不可解な」と表現されるベビーブームが起きている英国ではBBCテレビドラマ「Call the Midwife(助産婦)」が人気を集めている。1950年代、貧しかったロンドンのイーストエンド地区で働いていた助産婦さんの回想記をドラマ化したヒューマンストーリーだ。

助産婦さんが住みこみで働く修道院に、妊婦から助けを求める電話がかかってくる。貧しさから中絶する女性、恋人に捨てられた女性、偏見と差別に苦しむ黒人女性、毎回、お腹を大きくしたさまざまな女性が登場する。

圧巻は出産シーンだ。女性が汗をにじませながら、うんうん、いきむ。両足の間から乳児の頭がニュルっと出てくる。助産婦さんが頭を両手で支える。ところどころ血がこびりついた赤ちゃんが「フンギャー」と小さな声で泣き始める。

出産シーンに他の出演者の生き死にも絡んでくる。はらはらドキドキの展開だ。

1970年代の日本なら、「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」の女性活動家が眉を吊り上げて抗議しそうな内容である。しかし、赤ちゃんの泣き声は私たちに未来への希望を与えてくれる。「産む性」からの脱却がジェンダーフリーを意味した戦後とは異なり、欧州ではジェンダーフリーが「産む性」を保障する時代を迎えつつある。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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