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ジェラール・ドパルデューよ、税金のために「自由、平等、博愛」の精神を捨てるのか

木村正人在英国際ジャーナリスト

東西冷戦時代、ソ連が国籍を与えるのは二重スパイか、囚人交換か、共産主義のために限られていたが、「現代のロシア皇帝」プーチン大統領は租税回避、五輪メダル、ゾウ救済のために国籍を付与する構えを見せている。

プーチン大統領は今月3日、フランスを代表する俳優、ジェラール・ドパルデュー氏にロシア国籍を与える大統領令に署名した。

ドパルデュー氏は希望通りロシア国籍を取得するとみられている。そもそも、仏大統領選で競争重視のサルコジ前大統領を破った社会党のオランド大統領が年収100万ユーロ(約1億1500万円)を超える高額所得者に最高税率75%を適用したのが騒動の発端だ。

1960年代、英人気ロックバンド、ビートルズが98%という英国の所得税最高税率に抗議して「タックスマン」という曲を発表したことがある。

高額所得者のミュージシャンやスポーツ選手が租税回避のため所得税率の低い国に移住するのは決して珍しいことではない。しかし、「自由、平等、博愛」の国フランスから、「表現の自由」を何よりも重んじるはずの俳優が、多くの人権問題を抱えるロシアに国籍を移すとなるとただ事ではない。

ドパルデュー氏は当初、ベルギーで国籍取得するとみられていた。それが一転、ロシアでの国籍取得にソーシャルメディアのTwitterなどでは「プーチン大統領、フランスのガラクタを再利用してくれてありがとう」など批判的な書き込みが相次いでいるという。

天然ガスや石油など地下資源に恵まれたロシアの所得税率は13%(183日以上、同国に居住が条件)。

「これまでの俳優人生で1億4500万ユーロ(約167億円)の税金を納めた」というドパルデュー氏は、富裕層をやり玉にするオランド大統領の税制に抗議して他国籍取得をちらつかせた際、エロー仏首相から「哀れ」と揶揄されたことにも憤慨しているようだ。

オランド政権の政策に対する不満分子に秋波を送るのはプーチン大統領だけではない。

英国では優秀な経営者やファンドマネージャーが海外に逃避するのを防ぐため、今年4月から、所得税の最高税率を50%から45%に引き下げる。キャメロン首相は、オランド大統領が75%の最高税率をぶち上げた際、「新しい税金から逃れたいフランス人の皆さま、赤じゅうたんを広げてお待ちしております」と仏富裕層に露骨にラブコールを送り、ひんしゅくを買った。

世界長者番付4位でフランス一の大富豪、高級ブランドグループのモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)の最高経営責任者(CEO)、ベルナール・アルノー氏もベルギー国籍を申請。

アルノー氏は1981年、社会党のミッテラン大統領が誕生した際、米国に移住した過去がある。アルノー氏は、「国籍申請はベルギーでの経済活動を拡大するためで、フランス国籍は維持し、これまで通り税金は納める」などと釈明に追われた。

また、動物保護運動家として知られる仏女優、ブリジット・バルドーさんも、仏リヨン市の動物園で、結核にかかったインドゾウ2頭の安楽死が実行されたらロシア国籍を取得すると表明した。

仏極右政党・国民戦線を支持したこともあるバルドーさんにとって、ロシア国内の人権よりフランス国内のインドゾウの命の方が大切なようだ。

2006年トリノ冬季五輪で3つの金メダルを獲得したショートトラックの安賢洙(アン・ヒョンス)選手も韓国籍を捨てロシア国籍を取得した。旧ソ連時代の人気ロック歌手だった高麗人「ビクトール・チェ」にちなんで、「ビクトール・アン」のロシア名を名乗る安選手に期待されるのは、来年のソチ冬季五輪でのメダル獲得以外にない。

1990年代のソ連崩壊に伴って、失われた秩序と国家機能、経済力をある程度まで回復させたプーチン大統領の新たな目標は、「ロシア的なるもの」を確立することだ。

ソ連崩壊後、年約100万人の人口減少が続いてきたロシアだが、昨年1月から10月までの出生数は前年比7%増の158万6900人、死亡数を差し引いた自然増はソ連崩壊後初めてプラスに転じ、800人を記録したとロシア当局は発表した。

旧ソ連時代の共産主義に匹敵する統治の正統性を持たないプーチン大統領にとって、「偉大な祖国ロシアが復活を遂げた」というストーリーこそ必要なのだ。

これまでロシアの富裕層は国内の権力闘争に巻き込まれるのを恐れて国外に逃れることが多かった。世界的にも有名なドパルデュー氏のような国外の高額所得者のロシア国籍取得が続けば、プーチン大統領にとってこれ以上、うれしい宣伝材料ない。

ドパルデュー氏は、拷問や暗殺が取りざたされるロシア南部・北カフカス地方にあるチェチェン共和国のカディロフ大統領を「チェチェン万歳! カディロフ大統領万歳!」と称賛したことがある。

プーチン大統領が「友人」と呼ぶドパルデュー氏は「ロシアは偉大な民主主義国家だ。ロシア万歳!」と発言するなど、早くもロシアの宣伝塔としてプーチン大統領の意向に沿う働きぶりを見せている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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