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「集金は神の意志」。映画『タミー・フェイの瞳』の確信犯ぶり(少しネタバレ)

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
実話に基づいたお話。タミーとジムは福音派のテレビ伝道師

※少しネタバレがあります。知りたくない人は『タミー・フェイの瞳』という大変面白い作品があることだけを頭に入れ、公開を待って映画館へGO。その後に読んでください。

詐欺師には2つのタイプがある。

善行をしているつもりで騙してしまう者と、最初から騙すつもりで騙す者だ。前者は「確信犯」と呼ばれる。よく誤解されているが、悪を確信して悪行を犯す者を「確信犯」とは呼ばない。それはただの悪である。

タミー・フェイは確信犯である。

人間の法から言えば犯罪だが、神の法から言えば正しいことをしている、と彼女は信じていたからだ。

寄付金を募り、それを布教や慈善事業に費やす。で、余った分で私腹を肥やす。御殿を建てて、ロールス・ロイスを買ったり、犬小屋にエアコンを付けたりする。

それはもちろん横領なのだが、寄付金の大部分を愛の事業に注ぎ込んでいるのは間違いなく、ほんの一部を、自分たちの生活を潤し明日への活力となる衣食住に回しているだけである。

経済的に豊かになることでより布教に身が入るとすれば、横領はもはや「神の意志」と呼べるのではないか?

■すべては神のおぼしめし…

予告編の中に「神は我われが貧者であることを望んでいない」という、私腹を肥やすこと正当化するセリフがあるが、これを屁理屈と呼ぶなかれ。タミーは本当に、イノセントにそう思い込んでいた節がある。

そんな彼女に対して、夫のジムは当初の信仰心を失い、いつしか単に金儲けのために人々を騙していた節がある。

実現不可能なプロジェクトをでっちあげて出資者を募るなんてのは、騙し目的で神の名をかたったに過ぎない。タミーが灰色とすればジムは黒。実際、刑務所に入ったのはジムだけで、タミーは罪に問われていない。

で、どちらが人間として興味深いかと言えばタミーの方。あまり深く考えず自分を誤魔化しつつ、神に与えられた使命(と思い込んでいた)「布教=蓄財」に走る彼女には、憎めない人間的な、献身的な部分があり情状酌量の余地がある。

対して、ジムはシンプルな悪人。深みが感じられない。まあ作品名が“ジムの瞳”ではないから仕方がないのかもしれないが。

■リアル、エバンゲリオンで闘った自由人

タミーとジムが伝道するキリスト教プロテスタントの一宗派、「福音派」について少しだけ。

『新世紀エヴァンゲリオン』で名前だけ有名になってしまった、この福音派、私のスペイン人の知り合いにもかなりいる。彼らの話を聞いていると、かなり保守的で、女性や同性愛者に対して不寛容な部分も多々ある。

そんな世界で、自由人タミーが果たした貢献も大きかった。神と直接繋がっている彼女には、人間社会のタブーや偏見は存在しなかったから。

もっとも、同じ福音派でも考え方は様々。

タミーやジムが私腹を肥やしたのに対し、私の知り合いの中には私財をすべて投げ出して貧しい人に与えてしまい、自分は一文無しになってしまった人も実際にいる。どちらも聖書を解釈した結果、そう行動した、ということなのだろう。

ちなみに、アニメ『ザ・シンプソンズ』のホーマーの隣人、ネッド・フランダースも福音派という設定である。あんな感じでいろいろ面倒臭いが、基本は愛にあふれた人たちだという印象だ。

ジェシカ・チャステインの受賞シーン。Photo: Pablo Gómez
ジェシカ・チャステインの受賞シーン。Photo: Pablo Gómez

サン・セバスティアン映画祭ではタミー役のジェシカ・チャステインが、誰もが納得の最優秀俳優賞を受賞した。彼女が演じていたなんて、まったく気が付かなかった。演技の素晴らしさについても大いに語られる作品となるだろう。

※写真提供はサン・セバスティアン映画祭。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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