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映画『ノマドランド』で「詩的な気分」に浸り、原作を読んで「厳しい現実」を知る

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
大自然はやたら美しくスピリチュアルですらあるが、誰もができる生き方ではない

物事には表と裏がある。

例えば「自由」だ。

家や定職に縛られず、車に寝泊まりし旅をする。ロマンチックで、開拓者(パイオニア)精神にあふれ、冒険的に響く。こんな自由の「表側」に憧れる人もいるだろう。

が、もちろんちゃんと「裏側」もある。

身寄りもなく、孤独で、病気になっても看てくれる人がおらず、健康保険もなく、貯金もなく、最悪行き倒れてしまうかもしれない。

究極の自由な地と言えば、ジャングルだろうか。

自然そのもの野性剥き出しのそこは無法地帯で、猛獣に喰われるのも自由である。森林警備員を置けば虎には襲われないかもしれないが、税金や移動制限などのルールが生まれ、完全な自由は損なわれる。

■ノマド(放浪)は本当に良いことか?

つまり、自由に生きるのは楽ではない。万人向きではない。自由であればあるほど、サバイバル生活、生き残りに近くなる。

だから、現代のノマド(放浪者)たちは団結し助け合う。

彼らはスマートフォンも持っているし、フェイスブックで連絡を取り合っている。季節労働の倉庫や工場で知り合い、ノマド向けの見本市などのイベントに定期的に集う。社会や家族からの保護が当てにできない分仲間を作って、野たれ死ぬ自由を回避しようとする。

ノマドの自由の「表の顔」は主に映画『ノマドランド』に描かれている。「裏の顔」を知るためには原作『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を読まねばならない。

映画では「放浪する」という言葉が使われているが、原作では「漂流する」となっている。「放浪者」と「漂流者」の差が、ノマドの描き方の差を象徴しているように思う。

■なぜノマドになった? その美しくない理由

昨年9月、サン・セバスティアン国際映画祭で初めてこの作品を見た時、感想を書く気にはなれなかった。

納得がいかない後味が残った。

ノマドたちにはその生活で幸せですか?と聞いてみたかった。主人公のファーンは今を自由に生きているように見えて、過去に囚われる不自由な生活をしているようにみえた。

カメラを引いて大自然を切り取った映像も、流れるピアノの旋律も美しかった。ノマドたちの物々交換や助け合い、ワークショップなどの損得抜きの交流は、共産制の原点を見るようだった。土地や物質に縛られない生き方も清廉だった。

が、しかしノマドたちの生活を美化するのは間違いだ、という気がした。原作(スペイン語版)を読んでみて、その予感が当たっていたことを知った。

なぜノマドになったのか?

自由を愛する者たちが豊かな老後を送るためではない。2008年のリーマン・ショック、その前後のサブプライム住宅ローン危機によって職を失い家賃やローンを払えなくなって家を失ったから。

つまり、夢見ていた豊かな老後というプランが破たんし、路上に投げ出された人たちなのだ。もちろん今はノマド生活を楽しんではいるだろうが、もともとは家を捨てることを余儀なくされた“こんなはずじゃなかった”人たちである。

■Amazonへの撮影許可と潜入取材

映画にノマドを美化する意図はなかった、と思う。

監督は誠実にノマドたちに寄り添っているように見える。トイレ事情や病気になった時の寂しさなども描かれているし、美しい映像と音楽を急にカットして場面転換する、という手法で耽美化を避けてもいる。

しかし、ノマドたちに寄り添えば寄り添うほど、彼らの無意識の自己肯定や美化に引き寄せられかねない。

原作者ジェシカ・ブルーダーはジャーナリストだから、その点を非常に警戒し中立さと客観性を保とうと書物の中で自問自答している。その点、フィクションを交えて映像化するのが仕事のクロエ・ジャオ監督とは、立ち位置が違う。

例えば、映画と原作で大きく異なるのがAmazonの扱いである。

クリスマス商戦の物流センターの仕事を、映画ではファーンが何やら楽しそうにこなしているが、原作では非常に過酷なものとして描かれている。

映画で紹介されているように高時給であることは間違いないが、高齢者には体力的に厳しく、原作では「1日に1000回スクワットをする」とか「最大25キロのものを持ち上げる」とか「1日にハーフマラソンを走る」とか「壁には救急箱があり無料で鎮痛剤が飲める」などと説明されている。

映画はAmazonの許可を取って撮影されているが、原作は作者の潜入体験やノマドたちの証言によって構成されている。その手法の差が扱いの違いに反映されたことは想像に難くない。

■実在のノマド、リンダの夢は叶った?

映画と原作の違いを象徴するもう一つのエピソードは、映画にも出ている実在のノマド、リンダに関すること。

彼女の将来の夢は何だと思いますか?

ノマドとして放浪を続けていくことではない。土地を買って自分で建てた家に住むこと。つまり、定住である。

このリンダの夢の話は原作では重要なテーマだが、映画ではほとんど触れられない。原作の取材時には土地を買ったばかりで、そこから映画の撮影まで3、4年経っているはずだが、まだ更地のままのようだ。放浪は終の棲家ではない、という発見は、リンダとノマドたちへの見方を大きく変えててくれる。

アカデミー賞の3部門(作品賞、監督賞、主演女優賞)を受賞した映画のクオリティは間違いない。私も2回目の観賞をしたばかりだ。しかし、ノマドというものを理解したいなら、原作も読むことをおすすめしたい。

※写真提供はサン・セバスティアン映画祭

※『ノマドランド』の日本語公式ホームページにはスペインからアクセスができないので、予告編等は検索して探してください

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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