マイケルの子供への性的虐待はあったのか? とにかく『リービング・ネバーランド』を見よ!

キング・オブ・ポップ。子供たちにとっても、王でありアイドルであり神でさえあった(写真:ロイター/アフロ)

『リービング・ネバーランド』を見た。

マイケル・ジャクソンに性的虐待を受けたという2人、ウェイド・ロブソンとジェームズ・セーフチャックと、その家族の証言を集めたドキュメンタリーである――こう聞くと、“またマイケルの金目当てか”という印象を抱く人が多いのではないか。

HBOの公式予告編はこちら。

マイケル・ジャクソンは1993年と2005年の2度、子供への性的虐待で訴えられたが、前者は示談金を払っての和解が成立、後者は無罪判決が出た。いずれも家宅捜索を受けたが、子供への性的虐待を裏付ける決定的な証拠は無かった。

加えて今回は、訴えられた本人が2009年に死亡しているため“死人に口無し”だし、実際ウェイドとジェームズが訴えを起こしたのは被告の死後であったために、2017年「遅過ぎる」と裁判所に却下されているのだ。

もう一つ言えば、ウェイドは1993年と2005年のケースで、ジェームズは1993年のケースで「性的虐待は無かった」と法廷やメディア上で証言し、マイケルの疑惑を晴らす側になった過去がある。なぜ、今になって証言を覆したのか、という疑問も湧く。

“またマイケルの金目当てか”も当然だが…

こうした事実を並べると、私はマイケル・ジャクソンのファンではないが、ファンであればなお更、“またマイケルの金目当てか”と思っても当然であろう。マイケル・ジャクソンの遺族は金目当てのでっち上げと断言し、『リービング・ネバーランド』を放送したHBOに対して、巨額の損害賠償を求めると息巻いている。

ファンや遺族の拒絶はよくわかる。『リービング・ネバーランド』など見るに値しない、とボイコットする動きもある。

だが、嘘っ八だという先入観を抱いたままで良いから、ぜひ見てほしいのだ。

第1部と第2部、それぞれ2時間で計4時間のほぼすべてが被害者側の証言、というドキュメンタリーとしては異色の作り。当然“マイケル・ジャクソンの側に弁明の場が用意されていない、一方的なものだ”という批判も出て来るだろう。

そんな時は、批判代わりにすでに紹介した「決定的な証拠の不在」、「無罪判決」や「ウェイドとジェームズの訴えの却下」などの事実を思い浮かべれば良い。『リービング・ネバーランド』はそれら過去の事実を踏まえた上で見るべきものなのだ。

被害者側の証言のみの4時間の濃さ

カメラの前に座ったウェイドは7歳から14歳まで、ジェームズは10歳から14歳まで数百回の性的虐待を受けた、と証言する。どこでいつ、どんな状況でかも含めて極めて詳細に。性的虐待の描写はあまりに詳細なゆえに気分が悪くなるほどだ。

だが、ドキュメンタリーの見どころはそこにはない。

それ以外の出来事――マイケル・ジャクソンと知り合うきっかけ、家族ぐるみの交流、“恋人”や“妻”としての関係、本人と家族の人生に残した傷跡――を含めて、2人の物語の信ぴょう性を考えるものなのだ。話の内容について、製作者側は関係者にインタビューをし資料にも当たって裏を取ったらしいが、そちらの方は映像に反映されていない。

虐待よりも物語全体の信ぴょう性を

特に注目すべきなのは、ウェイドとジェームズの心の動きである。

憧れ、有頂天、夢、愛、失恋、怒り、自己嫌悪、後悔……という流れは、恋をした者なら大概はたどる。

問題は、その恋が子供とアイドルという圧倒的な力関係の差がある者の間に生まれたもので、それが必ずしもプラトニックで無かったことだ。

肝心の、なぜ心変わりしたのか、なぜマイケルの擁護者から敵対者になったのか、という疑問にも答えがある。性的虐待後の生活、精神的変調、家族と恋人への告白というプロセスも彼らの口から説明されており、ここがこのドキュメンタリーのクライマックスだろう。

念のために繰り返しておく。

これが金目当ての嘘っ八である可能性は常にある。子供への性的虐待について、マイケル・ジャクソンは法的にはすでに疑惑ですらなく潔白である。だが、このドキュメンタリーには見る価値がある。これがでっち上げなら、どうやって辻褄を合せたのか、という部分も含め、見ないでいる手は無い。

ファンや遺族以外のドキュメンタリーに対する反応もすでにいくつか出ている。また、スペインで次々と明らかになっている聖職者による子供への性的虐待のケースと併せて考えさせられることがあった。それらについてはまた別の機会に書くことにしたい。