サン・セバスティアン映画祭:あなたは神を信じますか?『僕はイエス様が嫌い』

主人公の男の子はイエス様が嫌いなようだが……。物語は監督の体験をヒントにしている

「あなたは神を信じますか?」

そう聞かれたらあなたはどう答えるだろうか?

私は神を信じない。「神はいない」という立場。いわゆる無神論なのだが、それでまずこちらでの生活に支障が出ることはない。

最新のアンケート調査(2018年9月。CIS=社会学調査センター調べ)によると、スペイン人の約7割(68.2%)がカトリック信者だが、ミサに毎週末参列する敬虔な信者は、そのうち13.3%しかいない。信じてはいても実践をしてない人がほとんどだし、その教えも厳格に守られているとは言い難い。

例えば、カトリック教会が禁じている婚前交渉は「絶対に悪い」が10.2%なのに対し、「決して悪くない」が67.5%もいる(2008年10月-12月宗教に関するアンケート。CIS調べ)。

要は、信じることと、実践すること守ることの間にはかなり差があるのだ。

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カトリック教国で無神論であること

私の住むセビージャは教会がやたらあるし、聖週間(セマナサンタ)のパレードは世界に知られるビッグイベントなのだが、信者や宗教的な行事を尊重する限り、無神論でもまったく問題はない。パーティなどで宗教の話題はしない、というのはスペイン人も実践するマナーで生活の知恵でもある。

とはいえ、神を信じるか否かが重大な問題となることもある。交友よりも深い関係を築く場合、例えば恋愛だ。

無神論である私の価値観とカトリック教徒である彼女の価値観は違って当たり前。それでも友だちになるのには何の障害もないが、恋愛、果ては家族も巻き込む結婚となるとそうはいかない。

なにせ、無神論では教会で式を挙げることすらできないのだ。

教会での結婚式という、彼女の夢を実現するために信仰教育を受けねばならないと知って初めて、他人事だったカトリックが自分の問題として迫って来るのである(ついでに言えば、私が離婚経験者であることもカトリック教的には大きなハンディ……)。

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神がいたら不幸はない、の単純過ぎる理屈

さて、映画『僕はイエス様が嫌い』である。

奥山大史監督はこの初の長編作で、スペインのサン・セバスティアン映画祭(2018年9月)の新人監督賞を受賞した。奥山監督による舞台挨拶があった上映会で見たが、お客の反応は良く現地ジャーナリストによる映画評もとても好意的だった。その好反応の集大成としての受賞だったのだろう。

(ストーリーにはいつものように触れない。興味がある人は、サン・セバスティアン映画祭が公式予告編をこちらのVIDEOで公開している。見ても安心、作品を損ねない良い予告です)

この作品のテーマは、冒頭の問い「あなたは神を信じますか?」に深く関わっている。すでに言ったように私の答えはノー。

なぜ神を信じないのか?

その理由は単純極まりない。

神がいるなら、なぜ世界の不幸はなくならないのか?

その問いに、戦争も犯罪も貧困も災害もあるではないか、と私なりに勝手に答えを出した結果なのだが、神を信じている者はおそらくこういう合理的かつシンプル過ぎる考え方をしない。

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奥山監督はイエス様が嫌いか?

スペインには「神は与え、神は奪う」という言い方がある。神は与えるだけではなく奪う存在でもあるのだ。

信者だって戦争、犯罪、貧困、災害の現実を承知している。神の下でのこうした不幸の存在に疑問を抱いたことだろう。しかし、だからと言って、私のように浅はかに信じることを止めようとはせず、信仰心を維持した。そういう超越した人たちが神を信じている。

神を信じるのか? この問いに観客だったスペイン人の7割ほどはイエスだったと推測できる。では、幼い頃の経験をヒントにして物語を作ったという、奥山監督の答えはどうだったろう?

実は、上映後の質問コーナーで私は奥山監督に答えを聞いているのだが、それは書かないでおく。彼がイエス様が嫌いなのかどうかは、このほのぼのとしつつも深い良作を見てもらえばよくわかる。

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受賞式の奥山大史監督。奥は吉野匡志プロデューサー
受賞式の奥山大史監督。奥は吉野匡志プロデューサー

写真提供/サン・セバスティアン映画祭。作品写真はC:Closing Remarks。受賞式の写真はFOTO:Montse Castillo