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『蠱毒 ミートボールマシン』、『血を吸う粘土』。Japan Madness(日本の狂気)はどっち?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
狂気にも社会や文化が反映される。『蠱毒 ミートボールマシン』の1シーン

「東京の郊外に人肉を食べさせるレストランがある」という話をご存じだろうか?

1カ月ほど前にスペイン語圏を中心に駆け巡ったフェイクニュースで、私はスペインの『エル・パイス』紙の「日本には人肉レストランはない。カニバリズムが合法というのも嘘」と題する記事を読んで知った。同紙によれば、この嘘ニュースのビデオは11月末時点で120万回も再生されていたという。

日本ブームで理解も誤解も深まった

驚くべきなのは、このとんでもない大嘘を信じた者がその120万の中にかなりいた、と推測できることだ。

いくらネット社会であっても、一目で嘘とわかるニュースは拡散しない。だから日本人なら誰でも嘘だとわかるこのニュースは日本では広がらなかった。広がったのは“日本ならさもありなん”と感じた人が相当数いた、海外でだけだ。

日本の美しさや日本人の美徳に憧れて旅行してみたい(あるいは「した」)、というスペイン人が急激に増えた。私もうれしいのだが、同時に彼らの常識からすると“ちょっと変わった国”と思われているのも確かである。過労死、死刑制度などスペイン人に理解不能なものは多いが、極端な例を1つ挙げる。

変な証拠としてプチ日本通のスペイン人たちが必ず指摘するのが、「日本では使用済みの下着が販売されている」ということ。これはフェイクだろうか? 答えはみなさんもご存じの通りである。

日本の狂気と欧米の狂気、どこが違う?

話は映画へ飛ぶ。

良いか悪いかは別にして、日本は違う。シッチェス映画祭が「Japan Madness(日本の狂気)」と呼ばれるオールナイト上映会を恒例としているのも、「日本の狂気」の質が「欧米の狂気」のそれと異なるからである。

どこが違うか? 一昨年シッチェス映画祭のディレクターにインタビューをした際に彼もうまく言葉にできなかった難問だが、スペイン在住日本人として答えてみよう。

思うに、日本の狂気の方が倒錯しており不健全で陰湿で不条理である。対して欧米の狂気は直接的でシンプルで(反)モラル的である。例えば、欧米のスプラッターは、殺人が罪の中で最も重く大量に殺すほど悪いという、言わば「悪の定義」や「狂気の論理」が透けて見えるものが多いが、日本のスプラッターは、理屈臭くなく不可解で混沌としているゆえに時にコミカルですらある。

ホラー映画で言えば、欧米には悪魔や吸血鬼、魔女といった宗教のルールに則ったパブリックエネミーがいて地域社会や世界を脅かすが、日本の場合は怨恨に基づく私的なお話でどんな怨霊も主人公を恐怖のどん底に陥れこそすれ、社会的な脅威にはならない。

両者の違いは、確固たる宗教というバックボーンと条理を持つ欧米と、それがない日本と単純化できるかもしれない。

宇宙人が寄生すると、社会や人物の暗部が武器化し暴力衝動化する。写真はすべてシッチェス映画祭提供
宇宙人が寄生すると、社会や人物の暗部が武器化し暴力衝動化する。写真はすべてシッチェス映画祭提供

宇宙人が蓋を外すと噴出した暗部

さて、2017年のJapan Madnessでそんな日本の特殊な狂気がよく表現されていたのが、『蠱毒 ミートボールマシン』である。上映を待つ列の長さを「まだ短いな」と独り言を言いながら缶ビール片手に心配そうにチェックしていたのが、西村喜廣監督だった。

宇宙人に乗っ取られた人間たちによる共食いの流血バトル。舞台はその辺の商店街で、主人公が借金回収業の駄目サラリーマン、カルト教団のリーダーやキャバクラ嬢、女子高生らも出て来る。

面白いのが、人間の欲とか欲求不満とかが乗っ取られた後のモンスターの武器や戦い方になる、という設定だ。

この設定によって、荒唐無稽のストーリーが日本の風刺にもなっている。宇宙人が寄生したことによって人間のモラルの蓋が外れたら、中から搾取やイジメ、家庭崩壊、性的倒錯など現代社会のどす黒い膿が噴出し暴力衝動となって爆発する、という仕組みである。

滅茶苦茶面白いが、ハリウッドからリメイクしたいというオファーは決して届かないだろう。でもそれは短所ではなく日本的だという長所である。

粘土というアイディアが最高。人間ドラマも良くできている
粘土というアイディアが最高。人間ドラマも良くできている

低予算の味方で最強の敵、粘土

『血を吸う粘土』(梅沢壮一監督)も面白かった。こちらは粘土を使うというアイディアが抜群だった。

粘土なら伸ばしたり縮めたり造形が自由自在で、コマ送り動画というローテクが使える。これは低予算映画では非常に重要なことだ。しかも粉砕不可能、火であぶっても水があれば復活するし、土を取り込んでどんどんでかくもなれるから、敵として最強でもある。

人間ドラマ部分もしっかりしている。登場人物は挫折したアーチストである塾の先生と芸大を目指す受験生たち。当然彼らの間には嫉妬も羨望もあるし、そんな人間たちに練り込まれた粘土が化けて出たくなる気持ちもわかろうというものだ。生徒VS生徒、先生VS生徒、大手アカデミーVS私塾、都会VS地方という敵対関係が入り混じっているのが物語にスリルを与えている。

ただ、こちらの狂気は日本特有のものではない。『蠱毒……』とは違ってハリウッド版ができてもおかしくない。芸術と業というのは世界に通じるグローバルなテーマだからだ。よってJapan Madnessとしては次点にした。

いずれも低予算をインテリジェンスでクリアした大変面白い作品、機会があればぜひ見てほしい。

芸術家の業を練り込めば、そりゃ化けて出たくもなろう
芸術家の業を練り込めば、そりゃ化けて出たくもなろう
在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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