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幸せなヨーロッパの隣にある地獄。『The Maus』の主人公の体に「怪物」が巣食うようになった背景

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
頭のベールはムスリムゆえ。民族憎悪×男尊女卑=地獄。写真はシッチェス映画祭提供

1987年8月ベオグラードから夜行バスに乗りドブロブニクへ向かった。途中に通った街がサラエボだった。当時は冬季オリンピックの開催地として知られており、ジャンプ台も遠目に見た記憶がある。

だが、それから5年後、サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の戦禍の中心地となる。当時ユーゴスラビアという1つの国で首都だったベオグラードは今はセルビア領、ボスニアはボスニア・ヘルツェゴビナ領、ドブロブニクはクロアチア領である。

私がスペインに来た94年は終戦の1年前だが、無自覚なことにこの紛争について詳しく知るきっかけになったのは、映画だった。

『ビフォア・ザ・レイン』、『ユリシーズの瞳』、『ノー・マンズ・ランド』、『サラエボの花』、『あなたになら言える秘密のこと』、『トゥルース 闇の告発』、『A Perfect Day』(日本未公開)……。

この『The Maus』もその1つである。

話合えば理解できる、という「平和」

女主人公セルマはボスニア人。その恋人アレックスはドイツ人。愛し合っている2人には埋めようのない溝がある。戦場から生還したセルマと、戦争はテレビでしか知らないアレックスである。

戦場では残虐行為がつきものだが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のような隣人が敵味方に分かれる民族紛争の場合はより苛烈になる。長年にわたる民族間の生々しい怨恨が加わるからだろう。

この紛争について少し調べてもらえばわかるが、民族追放と民族抹殺を目的に略奪、破壊、大量虐殺が行われたことが明らかになっている。セルマの属するボスニア人のムスリムたちは組織的な強姦の被害者となった。

他民族の異教徒の女だから強姦しても殺しても良い、という発想による暴虐は、この紛争をテーマにした映画では繰り返し描かれている。

セルマは過去を隠し、アレックスはそんな彼女が理解できない。民主主義の平和なヨーロッパの子アレックスは、話合えば理解できると信じているからだ。

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戦場では、最後に愛は勝たない

だが、戦場のヨーロッパの子セルマは“最後は愛が勝つ”なんて信じない。愛や理解なんて、大前提として平和がないと成立しないことを、彼女は目を背けたくなる記憶と耐え切れない痛みとして体に刻み込んでいる。

サッカー好きのアレックスはバイエルン・ミュンヘンの試合を見たいからと彼女を誘い、近道しようとしてボスニアの森に迷い込み、善人に囲まれて育った善良な彼は疑うことを知らず出会った人に助けを求める。「俺が君を守るから」と胸を張るが、修羅場に強いのはセルマの方である。

戦争の傷跡に無知で呑気なアレックスは滑稽だが、あれを笑うのは私自身を笑うことである。

『The Maus』はホラーという触れ込みだった。宣伝用ポスターにも変な化け物が写っている。だが、怖いのは怪物の方ではなく人間であり、怪物そのものよりも怪物をなぜ宿すことになったのか、という背景の方がはるかに怖い。モンスターはフィクションだが、背景は実際にあったことなのだ。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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