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イ・ボミは“究極の人たらし”―女子ゴルフツアー取材10年で見えた真の姿とは?

金明昱スポーツライター
今季初めて翌年の出場権を失ったイ・ボミ。筆者と出会って11年目(写真・本人提供)

「日本で一番愛される韓国人」――これは韓国女子プロゴルファーのイ・ボミの日本での人気に対して、使われていた言葉だ。

 そこには「韓国(という国)は嫌いだが、イ・ボミは好き」という隠れた意味が込められているとも感じられ、なんとも妙な表現だなと思ったりもした。

 ただ、それだけ日本での人気は一時期、異常と思えるほど過熱していたからでもある。

「来日当初はバーディーを取ってもギャラリーから拍手されないのがとても悲しかった」と話していたのが、今では嘘のようである。

 2010年に韓国女子ツアーで賞金女王となり、11年から日本ツアーに初参戦。

「韓国の賞金女王とはいっても、実力はどうだろう?」――と当初は彼女の実力を懐疑的に見ていた人も多く、日本ではそこまで注目されていなかった。

 彼女が日本に来た2011年に筆者も初めてゴルフ界に飛び込んでいた。当時、「韓国の賞金女王が日本に来る」とはうっすらと聞いていたが、自分もそこまで関心があるわけではなかった。

 この先、イ・ボミを追うことになるとはもちろん知らずに、である。

イ・ボミの母・ファジャさんの猛プッシュ

 イ・ボミは1年目に優勝こそなかったが、賞金シードを獲得し、2年目に初優勝を含む年間3勝で賞金ランキング2位に食い込んだ。

 ハングルが話せる自分には、この時から彼女は完全に追うべき対象となっていた。

 イ・ボミは賞金女王を目標にひたすら突っ走った。父・ソクチュさん(故人)の夢が「娘には賞金女王になってほしい」というものだったからだ。

 常に隣にいた母・ファジャさんも、娘のツアー生活を支えるため必死だった。韓国では飲食店経営など様々な仕事をしてきたというパワフルさと底抜けの明るさがあったからこそ、娘も異国での長年のツアー生活に耐えられたと感じるとも多かった。

 今でも忘れられない出来事がある。私が女子ツアーの現場取材に出たばかりの頃、ファジャさんが初めて声をかけてきた時のことだ。

「これから娘をよろしくお願いします。日本でがんばっていこうとしているから、しっかりと取り上げてもらえるとうれしいです」

 もちろん私がハングルを話せる在日コリアンであったこともあるが、自分の娘が表舞台に出ていくには、メディアの力も大事だという認識がどこかにあったと思う。

 日本でのファンクラブの集いの場に初めて行ったときも、たくさんの人を紹介してくれた。

 ツアー会場でイ・ボミを取材しているとそこには必ずファジャさんがいて、「ご飯は食べましたか?」が合言葉になっていた。

 韓国現地での取材では、3人で食事する機会も多く、親身に取材活動に協力してくれた。それには本当に感謝している。

常に本音だったイ・ボミ

 そんな母親譲りの人当たりの良さもあってか、イ・ボミは日本でも多くのメディア関係者と誰よりも良好な関係を築いていたと思う。

 一度会った人の名前をよく覚えていたという話も聞いたが、好かれて当然だと思った。それは決して演技ではなく、彼女の素の性格だと知るには時間はかからなかった。

 イ・ボミからすれば、私も“多くの中の一人”でしかなかっただろうが、何度もインタビューする過程で色々な側面を知ることができた。

 性格は気さくだが、かなりのワガママだ。何度もインタビューしすぎたせいか、書けない話をたくさんしてくるようになった。でもそこで、初めて信頼された気がした。

 他に分かったのは完璧主義者で、負けず嫌い。よく笑うが、よく泣く選手だということ。

 家族想いで、父亡きあとは一家の大黒柱として、2015、16年に悲願だった賞金女王のタイトルを獲得し、母と姉妹たちへ苦労させた分の恩返しも忘れなかった。

 これまで“サッカー畑”だった自分が、10年もの間、ゴルフの楽しさや奥深さにはまり、選手個人とメディアが良好な関係を築く楽しさを教えてくれたのは、イ・ボミの影響が大きかったと今になって思う。

 2019年には俳優イ・ワン氏との結婚式にも招待してくれたことも感謝している。

翌年の出場権喪失も「引退はしない」

 曲がらないドライバーショットと切れ味鋭いアイアンショットは狙ったところにすべて飛ぶ。ツアー屈指のショットメーカーと言われていたが、近年はスコアがまとまらなくなっていた。

「ファンの前でプレーするのがすごく恥ずかしい」が本音だった。

 そして今季、日本に来てから11年目にして初めて翌シーズンの出場権を喪失した。ショックでないわけがない。

 日本女子ツアーは来週が最終戦だが、イ・ボミは夫が待つ韓国へ帰国した。家族とゆっくり過ごす時間が今は必要だと思えた。

 今月の帰国前、イ・ボミに会う機会があった。話してみると少し気持ちも落ち着いて表情は穏やかになっていた。

 シード獲得への肩の荷がおりたのだろう。来年も少しは試合には出られるというが、ゆっくりと自分と向き合う時間を作りたいとも言っていた。

 それでも「まだ引退はしません」という。そう語るのは、またファンに少しでもいい姿を見せたいと思っているからだろう。

宮里藍、渋野日向子がいるならイ・ボミの名も…

 忘れられないのは、「たくさんの人たちが私のために何時間も待っているのを見ると、とても申し訳ないので、すべての人にサインをしました。韓国でファンと会話したり、写真を撮ったりするのが普通だったので、私は日本でも同じようにやっただけです」と語っていたこと。

 これはいい意味で言うのだが、イ・ボミは究極の“人たらし”だ。

 実際にイ・ボミにサインをもらうために並んでいたギャラリーの300人にサインをやり切る姿を見て、驚かずにはいられなかった。そんな選手は、今までツアー会場で見たことがなかったからだ。

 そう言えば一時期、「会いに行けるアイドル」ならぬ「会いに行ける女子プロゴルファー」とも言われていたこともあった。とにかくいくら大金を稼ごうにも、天狗にはならない。

 いずれにしても、他の追随を許さない強さで2度も頂点に立ち、日本で最も愛された韓国人アスリート、と言っても過言ではないだろう。

 日本の女子ゴルフ界のスター選手と言えば、宮里藍と渋野日向子の名を挙げる人が多いだろうか。

 ならばもう一人、その歴史の中にイ・ボミがいたことを記憶していてほしいと思っている。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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