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浅田真央が「運命のような存在」と語った“ライバル”キム・ヨナは今どこで何をしているのか?

金明昱スポーツライター
ソウルで開催された2020年四大陸選手権の表彰式に姿を見せたキム・ヨナ(写真:松尾/アフロスポーツ)

 フィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さんのアイスショー「サンクスツアー」が千秋楽を迎えたことがニュースとなっていた。

 その後、29日の昼にふとテレビをつけた「徹子の部屋」に浅田さんがゲスト出場していた。何を語るのだろうと気になっていたのだが、まさか韓国のキム・ヨナの話題に触れるとは思ってもいなかった。

 司会の黒柳徹子さんに「同じ年の同じ月に(1990年9月生まれ)。ほとんど同じなのね」と言われ、「もうなんか運命じゃないですけど」と笑顔を見せていた。

 そして「とてもいいライバルではありましたね。キム・ヨナ選手がいなければ私もここまで頑張れなかったと思いますし、一緒にフィギュアスケート界を盛り上げていけられたかなとすごく思っていますね」と振り返る。

 話を聞いていると、浅田がフィギュアスケート人生を語るうえで、キム・ヨナは外せない存在であることがよく分かる。

 キム・ヨナと最後に会ったのは2014年のソチオリンピックで、そこで一緒に写真を撮ったと言っていた。それから2人が顔を合わせたことはない。

 日本では浅田の活動が報じられても、キム・ヨナが今、何をしているのかはほとんど伝わってこない。もちろん自国のアスリートでない人物のことをわざわざ報じることはないが、浅田同様、キム・ヨナが韓国でどうしているのか、気になる人もいると思う。

平昌五輪招致活動で大忙しだった過去

 最近のイベントでキム・ヨナが公の場に姿を現したのは、韓国・ソウルで行われたフィギュアスケートの2020年四大陸選手権の女子表彰式だった。

 2010年のバンクーバー五輪で金メダルを獲得し、2014年のソチ五輪後に引退。そのあとスケートリンクの上で最も話題になったのは、韓国内でのアイスショーの「All That Skate」に出演した2019年だろう。

 2018年の同アイスショーでは“特別出演”だったが、2019年は正式な出演者として舞台に立つことが発表されると、他にも米国のネイサン・チェン、日本の宇野昌磨、スペインのハビエル・フェルナンデスなどが出演したこともあり、日本でも報じられていた。

 また、2018年にはスペインで行われた「レボリューション・オン・アイス」に出演し、出演料の全額をユニセフに寄付するなど、同年の平昌五輪以降に氷上での活動を活発化させている。

 というのも、キム・ヨナは現役時代から引退後も、平昌五輪招致の広報大使としての活動に全力を注いでいた。

 2010年バンクーバー五輪で金メダルを獲った翌2011年7月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、キム・ヨナが流ちょうな英語で招致をアピールする演説を行っていたのを今もよく記憶している。

 その存在感はやはり大きく、五輪開催を勝ち取る原動力になったのは間違いない。2014年に引退してからも五輪広報大使として活動は続き、当時「冬季アスリートでもあり、さらには韓国の国民として、自国で開催される五輪の力になりたい」と語っている。

 さらに2017年にはギリシャ・アテネでの聖火採火式にも参加。同年にアメリカ・ニューヨークにある国連本部を訪れ「スポーツとオリンピックの理念を通じた平和でより良い世界の構築(通称:オリンピック休戦)」決議案を紹介したものキム・ヨナだった。

 そして、記憶に新しいのは、平昌五輪の開会式で聖火の最終点火者となって、氷上に登場したシーンだ。キム・ヨナが最後に登場するのは、ある程度予想されていたが、これまでの自身の活動を締めくくるには最高の形だったと言っていいだろう。

 つまり、平昌五輪招致と大会を成功裏に終えるまでが、彼女に課された大仕事だったというわけだ。

CM出演数は約150本!?

 そして最近はどうなのか。いつものようにスマートフォンから韓国のアプリ「ネイバー」で、スポーツニュースを見ていると、画面に現れたCM動画にキム・ヨナの姿。

 韓国の食品会社「CJ第一製糖」の新CMに起用され、画面の中でハツラツした爽やかな笑顔を見せていた。

 2010年のバンクーバー五輪で金メダルを獲得し、2014年に引退してから7年目を迎えたが、今もなおキム・ヨナが韓国アスリートの中で、もっとも広告価値が高いと言っても過言ではない。

 今までリンクの上で見せてきた美しいスケーティング、そして期待を裏切らない強さも相まって、彼女を起用したいと思う企業は多く、引く手あまたなのだという。

 彼女が“CMクイーン”と言われる理由について、よく分かる記事があった。

 ソーシャルニュースサイト「ウィキツリー」(2021年3月2日付)は、「2014年のソチ五輪以降に引退したが、商品性は依然として高い。2019年にYouTubeチャンネル『Do you Know』に『フィギュアクイーン、キム・ヨナ選手の全財産の公開』というタイトルの映像が公開されており、CM出演回数は2019年6月時点で149本と集計された。稼いだCMの総収入は1400億ウォン(約140億円)程度と推測される」と伝えている。

 CMの収入はあくまでも推定だが、出演本数の合計はさらに増えていることだろう。確かに韓国でテレビを流せばCMにキム・ヨナがよく登場しているし、街中でも彼女を起用した広告を見かける。

 韓国ではかなり多忙のようで、今も精力的に仕事をこなしているのだろう。

自信に溢れていた時は「引退の瞬間」

 また、『VOGUE korea』が3月22日、キム・ヨナのグラビアとインタビューを公開しているが、そのインタビュー内容が興味深い。

「重要な試合を前に、再確認する信条はあるか?」という質問に対し、「試合前の不安と緊張を振り払うために、完璧な演技をする姿を頭の中で数百、数万回のシミュレーションをした。ケガなどの危機が訪れた時は、『今は少し休むタイミング』と考え、焦らないように気持ちを引き締めた」と回答。

 さらに「韓国代表のロールモデルとして、感じる責任感があると思う」という言葉に対しては、「スポーツは、男性だけのための活動という認識が強かったが、今は女性たちの領域が広がっている。女性たちの良い影響力が、スポーツを超えて、地球全体を美しく変化させていけると信じています」と答えている。

 また、「もっとも自信があふれていた時を記憶しているか?」という問いに対しては、意外にもこう答えていた。

「引退した瞬間が思い浮かびます。18年という選手生活を振り返ってみると、終わりが見えず、長く暗いトンネルを潜り抜けた私に拍手を送りたいです」

 常に期待と注目、大きな重圧の中で戦っていたはずだ。選手生活を最後までやり切ったという達成感を感じられたのが、引退した瞬間だったのだろう。

 個人的には、キム・ヨナが浅田のことをどう思っていたのかが、最も気になるところではある。いつか直接、聞くことができればと思っている。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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