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梁勇基の存在が日本人の心を動かす―サガン鳥栖サポーターが朝鮮学校に手作りマスクとグッズを送ったワケ

金明昱スポーツライター
サガン鳥栖の梁勇基。朝鮮学校に届けられたマスクに感謝の気持ちを語った(写真:アフロスポーツ)

送り主はサガン鳥栖の女性サポーター

 4月27日、大阪市住之江区にある南大阪朝鮮初級学校に郵便物が届いた。

 中身を空けると、手作りのマスクとサガン鳥栖グッズが入っていた。すべての生徒と教職員の分が入っており、みんなが驚いたという。

 同校の文成彪(ムン・ソンピョ)教務主任は「緊急事態宣言で休校だったので、当日は学校にいた方が受け取りましたが、その後に報告すると生徒も先生たちもみんな喜んでいました。こんな大変な時期に心のこもった手作りマスクとメッセージを送ってくれたことに本当に感謝しています」と語る。

 送り主は、佐賀在住の日本人女性で、サガン鳥栖のサポーター。直筆の応援メッセージも入っており、こう書かれていた。

「名前も顔も分からないけど、大切な人へ届け…!!!」

 その下にはハングルで「いつか会いに行きたいです」とも。

「朝鮮学校にとても関心のある方で、学校にも直接連絡があり、いろんな話をしました」(文教務主任)

 同校の全校生徒数は小学生が19人、付属の幼稚園に園児が2人と決して多くないが、見ず知らずの日本の方からの思いがけないプレゼントに生徒も先生たちも元気をもらったようだった。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響は日本人だけでなく、日本に住む外国人にも及んでいる。

 みんなが苦しい状況に変わりはないが、力を合わせて乗り越えようというこうしたメッセージには勇気づけられるものだ。

 それにしてもなぜ、サガン鳥栖のサポーターは、南大阪朝鮮初級学校にマスクとグッズを送ったのか――。

 点と点をつないだのは、ベガルタ仙台から今季、サガン鳥栖に移籍した梁勇基だ。

朝鮮学校に送られてきた手作りマスクとグッズ(写真提供・南大阪朝鮮初級学校)
朝鮮学校に送られてきた手作りマスクとグッズ(写真提供・南大阪朝鮮初級学校)

38歳の梁、サガン鳥栖での挑戦

 彼の地元は大阪。在日コリアンとして、小中高時代は泉州朝鮮初級学校、南大阪朝鮮中級、大阪朝鮮高級学校に通った。

 サガン鳥栖ファンの送り主は、そうしたことも知っていたのだろう。

 朝鮮学校にマスクとグッズを送った背景には、梁のルーツとなる学校に通う子どもたちに「少しでも力になりたい」との強い気持ちがあった。

 2004年にベガルタ仙台でプロデビューし、16年間を仙台一筋で過ごした。背番号10として仙台をけん引し、J1昇格やACL出場も経験。東日本大震災のときには復興のシンボルになると一致団結し、2012年に優勝争いも繰り広げたのも記憶に新しい。

 過去に何度もインタビューしているが「仙台は第二の故郷」と語っている。そんな思い入れのある場所を離れ、38歳にして新たなチャレンジをしたのはJ1のサガン鳥栖だった。

 年齢を重ねるとともに出場機会も減り続けていたが、鳥栖からのオファーをもらい、現役としてチャレンジすることを決めた。

 鳥栖の金明輝監督も「一戦力と見ている」とも語っており、ピッチで躍動する姿を楽しみにしているファンも多いに違いない。

直筆の応援メッセージも入っていた(写真提供・南大阪朝鮮初級学校)
直筆の応援メッセージも入っていた(写真提供・南大阪朝鮮初級学校)

「ご厚意をパワーに変える」

 そんな梁のプレーは、Jリーグの延期でまだ見られないが、これまでの実績からして今シーズンの期待値も高い。

 今回、鳥栖サポーターが朝鮮学校へマスクとグッズを寄贈してくれたことを知った彼は、こんなメッセージを送ってくれた。

「自分も学校の先生から話を聞きましたが、とても朝鮮学校に関心のある方のようでした。みんなが大変な時にマスクとグッズを寄付していただいて、本当に感謝しています。そのお気持ちとご厚意をパワーに変えて、より頑張りたいと思います」

 自身のルーツでもある朝鮮学校に関心を持ってもらえたこと、遠く佐賀から大阪へ届けられた気持ちに新たなパワーをもらったようだった。

 しかしながら、現状はサッカーファンにとって、辛い時期でもある。新型コロナウイルスの終息とJリーグの再開は不透明で、我慢の日々が続く。

 梁も「今はやれる範囲でトレーニングするしかないですね」と、いずれ始まるであろうシーズンに向けて準備を黙々と続けている。

 国籍や人種など関係なく、困った人がいれば手を差し伸べる心温まる行動は、世の中をより良い方向に向かわせるのだろう。

 気持ちを和ませてくれた鳥栖サポーターの厚意に感謝するとともに、一日も早くサッカーが日常にあふれることを願ってやまない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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