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日大アメフト、ボクシング連盟と相次ぐ不祥事発覚のスポーツ界…バドミントン協会が行った大胆改革とは!?

金明昱スポーツライター
世界選手権に出場するバドミントン日本代表。右端が朴柱奉ヘッドコーチ(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 日本のスポーツ界の不祥事が相次いでいる。

 日大アメフト部の悪質タックル問題や日本ボクシング連盟の助成金の不正流用疑惑や試合の判定などで不正があったとして関係機関に告発状が送られた問題などが、表に出ると「上層部の強権」がかなり目立つようになってきた。

 各種目別のスポーツ協会も、そのようであるかのようなイメージも持たれかねない危険性もあるが、私が知る限りでは、日本バドミントン協会はかなり風通しのいい場所だと感じている。

 ちょうど7月30日から中国・南京でバドミントンの世界選手権が開催されているが、近年、日本のバドミントンは急速に力をつけており、今大会もメダルラッシュが期待されている。

 以前、リオ五輪の女子ダブルスで金メダルを獲得した高橋礼華、松友美佐紀の“タカマツ”ペアを取材したが、彼女たちも2年後の東京五輪で代表に選ばれる保証はないほど、力のある選手がひしめいている。

(参照:「引退考えた」リオ五輪金メダルのバドミントン“タカマツ”ペアの迷いからの脱却、「東京で連覇目指す」

 特に女子ダブルスの層は厚い。昨年の世界選手権で福島由紀、廣田彩花ペアが銀メダルを獲得し、スーパーシリーズファイナルズ(スーパーシリーズの成績上位8組で争う)では、米元小春、田中志穂ペアが優勝した。世界ランキング5位以内に、日本ペア3組がいるのだから驚きだ。

 さらに男子シングルスでは、桃田賢斗が今年のアジア選手権を制し、女子シングルスの奥原希望は昨年の世界選手権を制覇し、2連覇も決して夢ではない。

「考えられない今の状況」

 ほかにも世界ランク上位者がゴロゴロいるが、「一昔前まで、このような状況は考えられなかった」と語るのは、現・バドミントン日本代表ヘッドコーチの朴柱奉(パク・チュボン)だ。

 現役時代はシングルス公式戦103勝、国際大会では67回の優勝を誇る。1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、2001年には国際バドミントン連盟の殿堂入りを果たした。

 現役を退いてからは、マレーシアやイングランドでコーチを務めたあと、2004年から日本代表ヘッドコーチに就任した。今年で14年目。現在の日本のバドミントンの成長の陰には、朴コーチの存在があったわけだ。

 今では2年後の東京五輪でもメダルラッシュが期待されるほど、“黄金期”が訪れていると言っても過言ではないが、一朝一夕でこのような状況が生まれたわけではない。

 バドミントン協会と共に朴コーチが着手した改革がなければ、今のバドミントン界の輝きはなかったかもしれない。

“代表”への意識の低さ

 今年2月、朴コーチとナショナルトレーニングセンターで会う機会があったのだが、そこで聞いたのは内部改革の話だった。

「私が代表コーチに呼ばれたのは2004年でしたが、日本代表の現状を見て、驚かずにはいられませんでした。とにかく変えなければならないことがたくさんありましたから」

 朴コーチは「当時は、日本代表なのに練習環境は整っておらず、選手もコーチも戦う意識が低かった」と振り返る。

「国際大会に参加することだけに意味があって、負けても自分たちにはあまり関係ない。そうなっていたのには、いくつか理由がありました。今、私がヘッドコーチですが協会所属になります。そこから給料をいただいている身ですが、私が来るまで代表のコーチを務めていたのは、各所属チームの指導者たちで、代表コーチを務める日数だけの日当だけが支払われていたんです」

 つまり、代表の専属コーチが存在しなかった時代があり、所属チームと代表のコーチを務める“二足のわらじ”状態が続いていたわけだ。

「そこでコーチングスタッフは完全に専任をつけるように協会に要望しました。男子シングル、女子シングル、男子ダブルス、女子ダブルスにそれぞれ一人ずつです。担当のコーチがそこだけに集中して指導できるように」

「当時は一般の体育館を借りていた」

 さらに練習環境の悪さも、日本代表が結果を残せない要因となっていた。

「私が驚いたのは、練習環境が整っていないことでした。当時は東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターのような施設がなかったので、合宿する場所を確保するのも大変。一般的な体育館を予約したり、日本の体育大学の体育館を借りて練習しました。それがだめなら地方までいって練習場所を確保していましたよ」

 朴コーチが続ける。

「私が日本に来る前は、代表合宿は1年に4回くらいあったと聞きました。それで、国際大会が行われる3~4日くらい合宿して、本番を迎えていたそうです。もしくは、各自がチームで練習し、試合前になれば空港に集まって、そのまま出発するというのもあった。国際試合が終わり、日本に帰国したらそのまま解散です。代表チームのコーチも選手も、勝たなければならないという使命感などありませんでした。とにかく、コーチも選手も負けても悔しいという気持ちはなかったかもしれません。各自が所属するチームの強化と結果が最優先だったわけです」

協会とチームの関係性構築に尽力

 そうした状況を一つ一つ、変えることから始めた。

 朴コーチは険しい表情をしながら「一番難しかったのは、協会とチームのスムーズな関係性を構築すること」と振り返る。

「私が代表に選ばれた選手を預かるわけですから、現場では私がスタッフたちと話し合って、いろんなことを決めます。でも所属チームの立場からすれば、『自分の選手』という認識が強く、代表でも選手を管理したがる傾向がありました。『●●選手は何日に合流します』とか『●●選手は混合ダブルスには出場させられない』などです。ただ、代表に来たら、そこはもう所属チームの選手ではありません。代表では代表スタッフがすべてを決めないといけない。バドミントンには種目も色々あるので、例えば、混合ダブルスを誰にするのが一番いいのかなどをたくさん考えます。そこでチーム側から『あの種目はケガする可能性があるので、出すことはできません』と言われたこともありました。こうした溝を埋めるのに、相当な時間と労力を費やしました。仮に代表で結果を残していなければ、私は今ここにいないでしょう(笑)」

 朴コーチはとにかく代表強化のために情熱を注ぎ、各チームのコーチたちにも理解をしてもらうために何度も議論を重ねた。

 時には言い争うこともあったというが、日本代表を世界選手権や五輪でメダルを取らせるという情熱、そして結果を示すことで協会とチームの関係はスムーズになった。

教え子がチームのコーチに

 それに14年も日本代表のヘッドコーチを務めていると、新たな変化も生まれてくる。それは「教え子たちが今では各チームのコーチになっていること」。

「私が代表で指導した選手たちが、今では各チームのコーチになっているんです。自然とコミュニケーショも円滑になります。私のトレーニング方法、スタイル、代表チームの運営方式などを知っている教え子たちが多いので、日本代表にも協力してもらえるようになりました」

 こうして協会とチームとの関係性を構築することで、風通しが良くなり、選手たちもまたチームと代表の両方で結果を残すことへの意識が高まった。朴コーチは言う。

「とにかく代表の練習環境を整え、コーチや選手の意識を改革するために、一番大事なのはコミュニケーション。私が描いていることを協会に伝え、チームとも話し合って理解してもらいました。そうでないと、今の日本代表がここまで強くなってはいないと思います」

 バドミントン日本代表の躍進の一端に、協会とチームの関係性構築に尽力した朴コーチの情熱があったのは間違いない。

 スポーツ界上層部の不祥事が続いているが、一番心を痛めているのは選手たちだろう。バドミントン協会や朴コーチのように、選手をサポートすべき立場の人たちが本来の職務に尽力してくれることを切に願う。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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