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日本初独占インタビュー“セクシークイーン”アン・シネの本音と素顔「誹謗中傷の中で続けた努力」(後編)

金明昱スポーツライター
もっと日本が好きになったというアン・シネ

2週続けて日本女子ツアーに出場したアン・シネは「とても幸せな2週間でした」と感極まって涙した。“セクシークイーン”の素顔に迫る日本初インタビューの後編をお届けする。

日本初独占インタビュー!“セクシークイーン”アン・シネの本音と素顔「病院への寄付は父のため」(前編)

――ゴルフを始めたきっかけを教えてください。子供のころ、ニュージーランドに移住していますよね?

小学3年のときにニュージーランドに移住したのですが、そのきっかけが少々強引なんです(笑)。叔父(父の弟)が先にニュージーランドに住んでいたので、遊びにいったことがきっかけでした。父は私をゴルファーに育てたかったのですが、韓国ではゴルフの環境があまり整っておらず、難しかったんです。それでニュージーランドに行くと本当にゴルフの環境がよくて、まさに“ゴルフ天国”でした。私は一人娘でしたけれど、叔父が外国に住みながら英語も学べるから、ここはとてもいいと言うんです。それで私と両親はニュージーランドに滞在したあと、2か月後に父だけ先に韓国に帰ったんです。私に「ここでゴルフしてしっかり勉強もしろ」って(笑)。それから父は単身、韓国で仕事をし、母と私はニュージーランドでまずは勉強に専念しました。現地の小学校に通いながら英語を勉強して、教会の合唱団に入って歌を歌ったりもしました。

――お父様もよく奥さんと娘を置いていきましたね(笑)。それくらいゴルフをさせたかったんですね。

そうみたいです(笑)。でも、やっぱり父は家族がいないことで寂しくなったのか、仕事をやめてニュージーランドに来ることになったんです。私が移住してから3年目から家族みんなで過ごし、ゴルフもここから本格的に始めました。そしたら4年目でニュージーランド代表に選ばれるまでになりました。

――ゴルフがピタリとはまったのですね。

とにかくゴルフする環境が良くて、上達したのだと思います。子供のころは自分なりにゴルフの才能も、少しはあるんじゃないかなーと感じてはいました(笑)。代表に選ばれたのは運もあります。代表の枠は埋まっていたのですが、ある選手が米国に留学したことで、その枠に入ることができたんです。代表に入ることで、いろんな海外の試合に出ることもでき、すごくいい経験ができました。

――ニュージーランドから韓国へ戻り、2008年にプロ転向していますが、米ツアーの選択も考えていたのでしょうか?

当時は米国に行くという考えもありました。米国だと大学に入らないといけないので、プロになるのがかなり遅くなると思ったんです。勉強もすごく大変ということも聞いていて、プロになる道が遠のく心配をしていました。私が韓国に戻ろうと思ったのは、幼いときに韓国を離れたので、生まれた国の記憶があまりなかったからです。韓国がとても懐かしく思えましたし、まずは韓国で早くプロになりたいという思いもありました。それで帰国することを決めました。

■メジャーVで変わった周囲の目■

――見た目や外見だけに注目が集まりがちですが、それについてはどのように受け止めていますか?

私はファッションが好きで、身なりにこだわる選手と認識されている方がほとんどだとは知っています。でも、それがすべてではありません。いくら私がオシャレや化粧することが好きでも、仮に今の私にツアーのシード権がなく、予選通過できず、まったく賞金を稼ぐことができなければ、ここにはいないと思います。私のことを良い目で見てくれる人は、「かわいくてゴルフもうまい」と言ってくれますが、それとは正反対のことを言う人もいます。「あの選手は外見だけにこだわるから、成績がでないんだよ」と。

――これまでいい言葉も嫌な言葉もたくさん聞いてきたわけですね。

韓国で数年間、優勝できなかったとき、「アン・シネの時代はもう終わった」とか「あの選手はもう優勝できない」という声もありました。そうした周囲の雰囲気はとても心が痛かったです。以前よりもゴルフを楽しむことができるのに、周囲からは「外見だけに気をとられている」という声がすごく多かったんです。そういう雰囲気はとてもショックでしたし、もうゴルフをやめないといけないと思ったことも一度や二度ではありません。でも2015年に韓国ツアーのメジャー(KLPGAチャンピオンシップ)で優勝すると、そういう状況は一気に変わりました。「ゴルフで努力してきたんだな」とか「優勝したい気持ちはあったけれども、なかなかできずにいただけで、努力していないわけではないんだ」と気づいてくれた人がたくさんいました。それで自信がわいてきたんです。

――確かに成績を見るとプロになってから、韓国ツアーで一度も賞金シードを落としていません。

プロゴルファーになって9年が経ちましたが、これまで一度も韓国ツアーでシードを失わず、ここまで来ることができました。これは一生懸命に努力した対価と思っています。私がどんな行動をしても、両親に恥ずかしくない行動だと思っているので、これまで積み重ねてきた自分のイメージはとても気に入っています。ここまで本当にいい人生を送っていると思います。

■日本の環境に慣れるために努力■

――日本で成功を収めるために努力していることはありますか?

日本で結果を残すために、すべてにおいて努力しないといけないと思っています。ゴルフの練習、トレーニング、そして環境にいち早く慣れること。すべてがんばらないと結果は残せないでしょう。やっぱり優勝はしたいですし、そのために日本に来ましたから。日本で初めて試合をしてみて感じたのですが、あのギャラリーの中でプレーできたことが本当に幸せで、日本という国がまた好きになりました。必ず日本でプレーするという気持ちがもっと強くなりましたよ。

――将来的なビジョンはありますか?

私はいま26歳なのですが、元々はこの歳でゴルフをやめる考えでいました。実は2016年はスポンサー契約がすべて終わる年だったんです。私が最後に優勝したのが2015年なのですが、2016年にはすべてのスポンサーの契約期間が満了するようにしていたんです。そのタイミングでゴルフを続けるか、新たな人生を歩むかをそのときに決めようと思っていました。そしたら2015年に優勝して、もっとがんばろうという気持ちになったんです。私のゴルフ人生はまだ終わらなかった(笑)。とにかく、今は30歳までは現役を続けたいと考えています。40歳まで続けることはないかな(笑)。でも、そのときになれば、また心変わりしているかもしれませんね。

――最後に日本のファンへメッセージをお願いします。

ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップとほけんの窓口レディスに出場して、本当に幸せな2週間を過ごせました。日本のみなさん、次は6月のアース・モンダミンカップでお会いしましょう!

<プロフィール>

アン・シネ/1990年12月18日生まれ、韓国出身。両親との3人家族。身長166センチ、体重53キロ。5歳からゴルフを始め、小学3年のときにニュージーランドへ移住。本格的にゴルフと英語を学び、4年間、同国代表としてプレーした。2008年に母国・韓国でプロ転向し、09年から韓国ツアーに本格参戦。10年に年間2勝して賞金ランキング3位に。15年はメジャーのKLPGAチャンピオンシップを制覇。昨年末、日本ツアーのファイナルQTで45位に入り、今季から日本初参戦。趣味はファッション、音楽鑑賞、フィットネス。英語が堪能でピアノも弾ける。すし、ラーメンなどの日本食が大好き。愛称は“セクシークイーン”。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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