密度濃すぎるクライマックス ほぼ史実なのに予測不可能の展開 「いだてん」最終回は15分延長

大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」46回より 写真提供:NHK

日本ではじめてオリンピックに参加した金栗四三(中村勘九郎)とオリンピックを東京に呼んだ田畑政治(阿部サダヲ)を主人公に、明治、大正、昭和とオリンピックの歴史とそれに関わった人々を描く群像劇。最終章。 “裏組織委員会”活動に励む田畑は聖火リレーの最終ランナーに、広島に原爆が落ちた8月6日に広島で生まれた坂井義則を推す。ついに迎えた開会式前日は土砂降りで開会式が危ぶまれる。

第46回 「炎のランナー」 12月8日放送 演出:西村武五郎

いよいよあと2回。次回はもう最終回だ。

アヴァンタイトルからオープニングに入るまでの時間が46回は3分とわりあい早かった。これまでの「いだてん」はアヴァンが約8分であることが多かったのだ。

聞き馴染みのテーマ曲がなんだかものすごく感慨深く聞こえてくる。44回の演出が大根仁、45回が一木正恵、そして46回が西村武五郎とメインの演出家が順番に一話ずつ撮って、最終回はチーフの井上剛となる。

最終回前の回の冒頭は、記録映画の監督になった市川崑(三谷幸喜)が飾る。三谷幸喜が扮するとものすごくコメディ色が強く感じられるが、短い時間でもものすごくインパクトがあった。

オリンピックまで半年。オリンピックの第四弾・聖火ランナーができて、田畑家に貼られる。

原爆投下から19年、原爆投下の日に広島で生まれた人が坂井義則(井之脇海)を聖火ランナーに選ぶのは平和の祭典としてふさわしいと田畑は強く思う。アメリカ占領下の沖縄から聖火リレーをはじめたいのが田畑の悲願だったが、沖縄では国旗掲揚が制限されていた。

河西選手(安藤サクラ)のお父さんは、金メダルも花嫁衣装も見ずに危篤に。河西は一度実家に戻るもすぐ戻ってきて練習に励む。

「オリンピックのせいや!」「オリンピックのせいや!」と大松(徳井義実)はやりきれない思いをボールにぶつける。だが、河西は「やめたくなったらオリンピックの前日でもやめます」とあくまで、すべては誰のせいでもない、自分で選んでいるという立場を貫く。「私も!」「私も!」とあとに続く選手たち。

ここで描かれた、すべてを自分で責任を追うという生き方はとても素敵だなと思う。河西選手はお父さんの死に目に会えなかったことがナレーション(森山未來)で語られる。長らく志ん生・美濃部孝蔵役で活躍してきた森山未來はこのところ、クールながら叙情性も感じるナレーションに徹していて、やや寂しくもあったところ、この回では、久々に志ん生の息子役でも登場した。

五りんは結局何がやりたいの?

すべて自分で責任を追う生き方として、志ん生(ビートたけし)もそうだろう。酒に生き酒で体を壊し、その体を嘆くことなく共生して生きてゆく。体が動かないぶん、人情噺をやっているのだと美津子(小泉今日子)が言う。志ん生はオリンピックネタで、体操選手・チャスラフスカをネタにする。コマネチをネタにしていたビートたけしが志ん生をやった意味がここに(も)あったということか。

紅白に出ていた五りん(神木隆之介)に会いにいった美津子は、波乱万丈の人生を落語にしてもらって、笑いにしてもらった志ん生に恩返しをしたくて二人会を企画したが、引退をかけた重いものを背負うのが辛くて、着物をまげて(質屋に入れる)、逃げて、紅白に出たと説明。

「結局何がやりたいの?」と美津子が聞くと、

「マラソンかな 走りたいです 走る家系じゃないですか」

「バトンを渡された以上、走らなきゃ おれ、韋駄天になります」

となんだか真面目なことを言っているところに、お腹の大きい知恵(川栄李奈)が現れ、予定日は10月10日・開会式だと言う。

こんな状況で「パーマかけました」とか言っている五りんに、美津子は「いまは走るときじゃない立ち止まって考えるとき」と言うが……。

のちに国内に聖火ランナー募集がかかったとき、志ん生は「五りんがやればいい」と言うが、結局、五りんは聖火ランナーをやったのかやらないのかよくわからない。最終回で彼はなにかを自分で背負う覚悟をもてるのだろうか。

田畑を完全正義に書かない

「8月6日の彼」こと坂井義則に会いに来た田畑。

「東京オリンピック組織委員会の…」と紹介されるのを遮って「無職の田畑だ」と言う。ここでさりげなく書かれた名前と肩書があとで響いてくる。田畑は無職で、「田畑」と自分の名前で行動している。

ところが坂井のことは「8月6日」だ。

でもそれに田畑は気づいていない。

彼をランナーにして過去を蒸し返すことでアメリカの心象を悪くすることを避けたいと顔色を伺う組織委員にきつい一発をぶちかます。

「いいかよく聞け 小役人ども アメリカにおもねって原爆への憎しみを口にしえないものは世界平和に背を向ける卑怯者だ」

「書きたきゃ、書け、田畑の発言だ」

かっこいい、しびれる。これは実際、田畑の言葉なのだとか。45回の河西の「これが青春だから」といい、この田畑のセリフといい、史実のほうが劇的だ。この時代は、実際に生きてる人もこういう考え方をもち、言語化する力があったからこそ、ドラマや映画のセリフも強いものが多かったのだなあと思う。いまは思考も言葉も変化しているから、こういうセリフは生まれにくい。

「またいつでもいらしてください 席はご用意します」と以前、田畑に「出ていってください」と言ってしまった東が言うのも感動的だった。

無念の四三

平和の申し子として坂井が最終ランナーに決まった。

19歳の青年が選ばれたことを、71歳ながら黙々と走ってきた金栗が知り、嘉納治五郎(役所広司)に涙で謝る。

「ばってん しかたなか平和の祭典だけん」

松澤(皆川猿時)だけは「おじいちゃんがいいよう 平和で」「じじいが、じじいが、ゆっくりと天国の階段をのぼる」と独特のゆったりした言い方で金栗を推していたが、「戦争」「平和」というキーワードには坂井がふさわしい。

平沢(星野源)は、沖縄の聖火リレーの模様をテレビ中継することで、国旗を降ろさせないようにする作戦を思いつく。さらに放送が実現した際、平沢は「自由の国 アメリカの寛大さ、称賛に値しますね」と語るのだ。ここに、「権力の監視」というジャーナリズムの役割が描かれている。「スポーツ」と「政治」の闘いを描きながら、そこに「報道」(伝える)も忘れないのが「いだてん」で、このドラマの価値はここにもあると私は思っている。

「オリンピック選考会で負けた坂井義則です」

多くの仲間たちの力によって田畑の「俺のオリンピック」は着々と実現化していくのだが、期待の象徴・坂井が「8月6日じゃありません」「アトミックボーイでもない」「ぼくは坂井です」「オリンピック選考会で負けた坂井義則です」と泣いて訴える。8月6日という象徴として最終ランナーに選ばれることよりも、負けた坂井という自分自身を選びたい気持ちがかっこいい。

さっき、あんなにかっこいいことを言ってた田畑が、ここでは少し悪者に見えてしまう。「違う そう」と常に状況を翻す田畑は絶対正義ではない。彼は、コンゴからたったふたりでやって来た「ヨンベ(アリオン) ウランダ(マックス)」のことを、「ハムレット」の脇役ローゼンクランツとギルデンスターンのように逆に記憶するし、初期のオリンピック活動に尽力し、いまはすっかり老いた可児(古舘寛治)のことも「誰?」とわりと邪険に扱う。

政治とスポーツ(オリンピック)を分けたいと思っているのに、8月6日にこだわってしまう田畑。もちろん「平和」を訴えることは重要だが、それを背負わされる坂井の気持ちをまったく考えていない。これでは人見絹枝や前畑秀子の時代に戻ってしまっていることに気づけていない。「顔」と「顔」と「顔」だよ! なんて理想的なことを言いながら、人の名前も顔もあまり覚えない。でもそれが人間であって、全方向に完全で隙ない言動なんてできないのだ。どうしたって何かを優先することで何かが損なわれてしまうものだから、「アメリカにおもねって原爆への憎しみを口にしえないものは 世界平和に背を向ける卑怯者だ」という痛快なセリフや、コンゴのふたり組と金栗と三島(生田斗真)とを重ね合わせたり、菊枝(麻生久美子)が平沢にぽっとなって裸眼で化粧したりきゅうりを聖火の代わりにして家のなかで走ったり、娘あつ子(吉川愛)に頼まれてボランティアの通訳・大河原(川島海荷)を選手村に連れていったことで出来上がった選手村に感動「これ嘉納さんに見せたかったな〜」と田畑が言ったりとカタルシスはいっぱい書かれても、それでいい気分にさせっぱなしにしない慎重さが好ましい。

占い師マリーとはなんだったか

開会式前日は雨。天気予報では明日も雨。

バーで飲んでいると、マリー(薬師丸ひろ子)が明日の天気を占いはじめる。

「あんたの占いが当たらないことをみんな知ってる」と田畑。東京地図の上に出されたタロットカードは「太陽」「審判」「星」、「塔」の逆位置で、マリーは「豪雨」と宣言する。

「ありがとう」と田畑。

占いがいつも当たらないマリーは微笑む。

田畑から見たら、「太陽」「星」「審判」「塔の逆」は晴れのイメージ、マリーから見たら雨のイメージ。どっちの視点をとるのかよくわからないが、東京地図の位置を見ると前者で、ほんとは「晴れ」と出たが、マリーはあえて「雨」と言ったようにも想像できる。

思えば、マリーは最初に田畑が「30歳までしか生きられない」と占って、そこからすでに外れていた。志ん生が満州から帰ってこないとかけっこうヘヴィなことも言い切っていたが、ことごとく外した。

でももし彼女が魔女でこの悲劇をひっくり返していたのだとしたら……。田畑は魔女に出会って、ずっと助けられていたとしたら…。マリーが年齢不詳の謎の人物ふうに描かれていたこともナットクだ。それはあまりにファンタジックだとしたら、タロットカードは、カードの上下で、意味が逆になることが多い。悪いカードが出ても、なにかをきっかけにそれをひっくり返すこともできる可能性があって、とても流動的。絶対的なイエスやノーではない。田畑はたとえ悪いカードが出ても、「違う!そう!」の勢いと「おれのオリンピック」への熱情で運命をひっくり返してきたのだろう。どんなカードが出ても引き受ける、これもまた、すべて自分で背負う、そういう生き方の表れなんじゃないだろうか。

岩田演じる松坂桃李と吹浦演じる須藤蓮

余談になるが、選手村に田畑がやってきたとき、左右に岩田(松坂桃李)と国旗のスペシャリスト吹浦忠正(須藤蓮)がいた。松坂は、「新聞記者」というジャーナリズムを問う映画に内閣情報調査室の官僚役で出ていて、須藤はNHK京都制作のドラマで来年映画化される「ワンダーウォール」という、権力によってなくされそうになる大学寮の寮生役で主演している。松坂も須藤も社会問題に向き合う目線が知性的かつ実直な印象で、「いだてん」のこの役にも合っているなあと感じる。これからの日本の希望の光だ。

さらなる余談。45回のレビューで、オリンピックに付随する芸術展示のポスター(山城隆一デザイン、高梨豊撮影)のモチーフが扇子であることについて、落語とは関係なさそうと想像していたのだが、高梨豊の本(「ライカな眼」)に落語が好きだということが書いてあった。ポスターについて言及した話ではまったくないが、この写真家は落語に子供の頃から親しんでおり「落語の曖昧な微妙なところ」が良いと思っているとその本には書いてある。志ん生も好きだそうだ。高梨豊は、オリンピックの記録に使用されてきたニコンのカメラの広告写真も撮っている。この時代、活躍していた人物が、志ん生の落語を聞いていたと思うと過去ががぜん生々しく感じられるではないか。

「いだてん」は確かにあの時代に生きた者たちを鮮やかに描き、忘れかかりそうな過去と現在をしっかりつなげてみせた。

なんかもうこれでレビューも最終回みたいだけども、あと一回あります。

最終回 第四十七回「時間よとまれ」 演出:井上 剛 12月15日(日)放送

あらすじ

1964年10月10日。念願の東京五輪開会式当日。田畑(阿部サダヲ)は国立競技場のスタンドに一人、感慨無量で立っていた。そこへ足袋を履いた金栗(中村勘九郎)が現れ、聖火リレーへの未練をにじませる。最終走者の坂井(井之脇海)はプレッシャーの大きさに耐え兼ねていた。ゲートが開き、日本のオリンピックの歩みを支えた懐かしい面々が集まってくる。そのころ志ん生(ビートたけし)は高座で「富久」を熱演していた―

みどころ

お祭り当日の晴れやかな雰囲気に満ちた最終回。これまであまり「いだてん」を見てこなかったという方にも、熱気溢れる1964年の10月10日の追体験を楽しめる。そして、ずっと見てきた者ほど、田畑や四三と一緒にひとつひとつの景色を感慨深く感じられる。これまでの46回が結集する最終回。五りんはいったいどうなるのか。最終回は15分延長。一時間。最後のサゲまで味わい尽くそう。

そして、総集編放送も決定

■総合テレビ

12月30日(月)

13:05~15:20 第一部 前・後編

15:25~17:40 第二部 前・後編

■BSプレミアム

1月2日(木)、3日(金)

8:00~10:15 ※2日に第一部、3日に第二部を放送

「いだてん」年末年始も走る

大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」

NHK 総合 日曜よる8時〜

脚本:宮藤官九郎

音楽:大友良英

題字:横尾忠則

噺(はなし):ビートたけし

語り:森山未來

出演:阿部サダヲ 中村勘九郎 / 星野源 松坂桃李 麻生久美子 安藤サクラ / 

神木隆之介 荒川良々 川栄李奈 / 松重豊 薬師丸ひろ子 浅野忠信 ほか

演出:井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根 仁ほか

制作統括:訓覇 圭、清水拓哉