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北野武とオリンピックを背負わされた五りん(神木隆之介)は「いだてん」の救世主だ

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」42回より 写真提供:NHK

日本ではじめてオリンピックに参加した金栗四三(中村勘九郎)とオリンピックを東京に呼んだ田畑政治(阿部サダヲ)を主人公に、明治、大正、昭和とオリンピックの歴史とそれに関わった人々を描く群像劇。最終章。東京オリンピックの準備に大わらわの田畑たち。でもその道も順風満帆ではなく……。「いだてん」41回と42回をまとめて振り返る…

【第四十一回「おれについてこい!」 演出: 一木正恵 11月3日(日)放送】

時々少しずつ変わるタイトルバック、四十一回はバレーボールの球が旧い日本を破壊する巨大な鉄球に変わるカットの画と音が印象的だった。

四十一回から、最終章、1964年、東京オリンピック編に入った「いだてん」。戦時中の生死に関わる重さがなくなって、オリンピックに関わる人たちの個性的な言動にフォーカスが当たり、会話や行動の面白さを気楽に楽しめるようになってきた。しかも、会場やお金のことなどちょうどいま、2020年オリンピックの問題になっているようなことがてんこもり。最初のオリンピック参加のときから暑さ問題など現代と通じるところはあり、昔からオリンピックと人類との問題は変わらないのだなあとニヤニヤしてしまう。それでも、オリンピックに夢と希望を感じて突き進む人もいる。

オリンピックに懐疑的な人も、オリンピックが大好きな人も等しく楽しめるのが「いだてん」だ。

オリンピックが好きな人・田畑。1960年、オリンピックまであと4年、安保反対運動が盛り上がる日本で、オリンピックを盛り上げよう奮闘する。同じくオリンピックが好きな人だった・故・嘉納治五郎(役所広司)のオリンピック愛の象徴・ストップウォッチはまだ動いている。

オリンピック組織委員会の事務総長(責任者かつ司令塔)になった田畑はオリンピック会場の模型をオリンピック好きが高じて「俺のオリンピック」と名付け、ことあるごとに「俺のオリンピック」と模型を「俺のハンバーグ」のような気軽さで持ち出してくる(誰かに持ってこさせる)。結果、「俺のオリンピックじゃない」とこっぴどく怒られるのだが。

俺のオリンピックと仲間たち

俺のオリンピックの味方は、実はヨット選手を目指していたが挫折したというまた出た一度諦めた男・渉外担当の岩田(松坂桃李)、田畑とは水泳を通して腐れ縁みたいな感じの、式典担当の松澤(皆川猿時)、しぶしぶ担ぎ上げられた都知事の東(松重豊)、最初は反対していたがいまではオリンピック推進派になった平沢(星野源)、68歳とすっかり年をとったがまだ走っている金栗四三(中村勘九郎)、オリンピックで柔道をと草場の影から声がする嘉納治五郎などなど。ほか、新たに、オリンピックを彩る登場人物が綺羅星の如く出てくる。それはもう、戦後の日本が一番元気だった時代を物語るような煌めきで。

期待の女子バレー、日紡貝塚の監督で、インパール作戦の生き残りでスパルタ特訓を行う大松(徳井義実)、のちの東洋の魔女・ウマこと河西選手(安藤サクラ)ほか、女子バレーの面々。

赤い日の丸、金色の文字の斬新なポスターをつくったグラフィックデザイナーの亀倉雄策(前野健太)、オリンピックの記録映画を撮ると名乗りをあげた黒澤明 (怒髪天・増子直純)、国立競技場を設計した丹下健三(松田龍平)等々……。

亀倉雄策や黒澤明役にミュージシャンを起用したのは成功だと思う。ジャンルは違ってもものをつくる人独特の雰囲気を彼らがもっているからだ。与えられた脚本に沿って演じる人・俳優とゼロからものをつくる人はどこか違う。クリエイターを演じることは可能であるが、ちょっと出てきただけで妙な雰囲気が出せるとしたら、彼らのような人たちであろう。松田龍平は黙って立っていて意味がダダ漏れするタイプの俳優なので十分な働きをしていた。

一方、オリンピックにはいろんな人の野望も黒々と渦巻いている。

俺のオリンピック道に立ちふさがるのが、政界の寝業師・自民党幹事長・川島(浅野忠信)、 組織委員長で元大蔵大臣の津島(井上順)。

口笛吹きつつやってくる曲者感を浅野忠信がや〜な感じで演じる。昔は切れ者、今じゃニコニコ好々爺ふうという読めない人物を井上順が軽妙に演じる。

「ぐっちゃぐちゃにまざりあってさ」

田畑は、東京オリンピックのために、岩田をローマオリンピックの視察に向かわせる。そこでは伝説の選手・裸足のアベベも出て来た。

ローマは盛り上がっていた。選手の活躍のみならず、食や、予算など、すべてが理想的。「選手の記憶に刻まれるのは選手村で過ごした時間なんだ」と考える田畑はそれらをと入れようと……。

「俺のオリンピック」の効かせ方をはじめとして、こういう場面の会話部分は宮藤官九郎の得意なところだろう。決して説明セリフにならず、ひとりひとりの個性のうえに会話が成り立っている。

そんな四十一回で抑えておきたいのは、田畑のこれらのセリフ。

「混沌だよ カオスだよ」

「共産主義、 資本主義、先進国、 途上国、

黒人、白人、黄色人種 ぐっちゃぐちゃにまざりあってさ 純粋にスポーツだけで勝負するんだ」

これは四十二回でも回想として使用され、二回繰り返された。

「渋滞なんとかしてくれよ」「国民の生活もっと豊かにしてくれよ」「役たたずの役人や政治家は出ていってくれ」というまたまたストレートな要求もいいけれど、やっぱり「ぐっちゃぐちゃにまざりあってさ」という野放図な物言いが気持ちいい。

これまで何度となく、宮藤官九郎のドラマに関して、私が引用しているセリフに、「池袋ウエストゲートパーク」(00年)で二重人格のヒロインに主人公が言う「CD になれよ」(A面、B面あるレコードからA面B面のないCDに精神を統合するという意味)というものがある。

シンプルでわかりやすく、主人公の生活と密接な言葉を使っているのが印象的で、宮藤官九郎の描くものにはいつも、このいっさいがっさいまとめてしまえ的な感覚があって、それこそが長い長い歴史のなかで戦争と平和の間で揺れるオリンピックを描く「いだてん」にふさわしいように思えるのだ。

今回の「ぐっちゃぐちゃにまざりあってさ」のセリフもその系譜と考えたい(宮藤さんは私の原稿を読んではいないと思うが、もし読んでいて、同じことばかり書いていると思っていたらごめんなさい、「CD になれよ」が好きなんです)。

参考までに、日曜劇場「ごめんね青春」のときのレビュー

“その象徴が「「ロッキー・ホラー・ショー」(のパッケージとその中身)です。

それを使って、平助は「見た目も中身どっちも大事です」と言う結論を導きだします。

ここで、「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)の第10、11話を思い出す人もいると思います。このドラマには、ヒカル(加藤あい)という二重人格のヒロインがいて、脚本集を見ると、10話のト書きには彼女のもうひとつの人格が「ヒカルB」と称されています。

そして、彼女を心配する主人公マコト(長瀬智也)は11話で「ほらCDだってさ、レコードだった頃はA面B面だったけど、CDは全部表じゃん。だから……がんばれ、早くCDになれ……(以下略)」と励ますのです。

私はこの台詞が大好きで、宮藤さんのことを書いたり話したりする時、何度も何度もこれを引用していて、完全にバカのひとつ覚えみたいになっているのですが、今回、DVDのパッケージと中身が出て来て、ついにCDの進化系が現れたと嬉しくなりました。

レコードのA面B面を、CDの全部表面でいいじゃないかと説いた宮藤さんが、もはや、A面B面、表面という問題を超えて、パッケージと中身が違っていてもいいじゃないか、どっちも大事という境地に、我々を連れていってくれた、忘れられない「ごめんね青春!」第8回。”

出典:エキレビ!

「名もなき 予選で敗退する選手ですら生涯自慢できる大会にしたい」

だからこそ、選手村を会場に近い代々木に作りたい。でもそこには米軍将兵と家族が住んでいる、日本の中のアメリカの町であったが、そこから立ち退いてもらおうとする田畑。40回で、戦争が終わったとはいえ、日本各地に米軍の基地があると平沢が語っていたことと、土地問題がつながっていた。

余談だが、代々木ワシントンハイツを指す地図の端っこに私が生まれ育った家がある地区が映り、当時、定年を迎えた祖父がここに終の棲家を建て、暮しはじめたのだと思って、じんっとなった。オリンピックのとき、祖父母は何を思っていただろう。また、初台の新国立劇場がいまあるところは工業試験場だったなーとか思って映った地図をしげしげ見てしまった。

【第四十二回「東京流れ者」 演出:北野 隆  11月10日(日)放送】

「朝霞でやったら埼玉オリンピックじゃないか」(田畑)

選手村を代々木にと主張する田畑に対して、お金をかけずに朝霞でやるという政治家たち。

まったく、2019年のいまと同じではないか。いま、「すこし札幌オリンピック」になりかかっているところである。

しかも、立派なポスターまでできたのに、若者が無関心で、田畑は焦る。こんなところも現代と変わらない。こういう、「オリンピックあるある」や「政治あるある」が楽しいから、みんな「いだてん」見るといいのに。

オリンピック村を代々木に作るため奮闘努力する田畑たちの軽妙なやりとりは絶好調で、そのなめらかな弁舌の気持ちよさと同じく事態は好転していく。

四十二回も、オリンピックを巡る人たちが、ほんとうに愛らしく描かれている。

オリンピックのために二年間、女を捨てる覚悟で臨む選手たちの親に挨拶にいく大松が、河西のことを「コイツ」と呼ぶのは失礼だから「ウマ」と呼ぶ可笑しさとか、大松のスパルタは虐待ではないと、2019年の価値観に沿って説明することとか、ときの総理大臣「所得倍増計画」で、テレビ局をつくって、テレビが売れてお金になると聞いて、代々木計画に乗る池田勇人(立川談春)とか、41回よりもたくさん声で出て、ホラー映画のようなポルターガイスト現象みたいなことも起こし(シャンデリアが揺れるところとか細かい)、オリンピック返上したことを知らない、放送局案のヒントをくれた嘉納治五郎とか、テレビを売って所得倍増とテレビコマーシャルのように語って池田を説得する田畑とか、悲劇のマラソンランナー・円谷幸吉と四三の邂逅とか、枚挙にいとまない。ひとつひとつ振り返っていくと、長くなってしまうので、泣く泣く注目人物をふたりに絞る。

聖火リレー踏査隊に選ばれたタクシー運転手・森西(東京03角田晃広)と、

ついに四三に会った五りん(神木隆之介)だ。

オリンピックのための工事による渋滞がいやになって、聖火リレー調査隊に志願したタクシー運転手・森西は「いだてん」第一回から登場していた。志ん生(ビートたけし)を乗せたタクシーの運転手がまさかまさかのオリンピックに関わってくる人物だとは……。しかも、それは創作部分でなく、実話部分であった。一話で、この人は重要人物ですよーみたいなアナウンスがないところがにくい。

森西には現地で味わった苦悩を語り尽くす大きな見せ場もあった。

五りんは「あまちゃん」におけるアキに成り得る

それから、五りん。この人も最初から出ていて、彼の場合は若干、抑えておきたい重要キャラと思わせる雰囲気があったものの、見た目も言動もちゃらいあんちゃんという印象だったが、志ん生に弟子入りして以降、すっかり真面目な青年になって、四十二回では脳梗塞で右半身が麻痺した志ん生を背負って歩く。すっかり弱気な志ん生を背負いながら「富久」をやって励ますところは、テレビを見ているお年寄りも涙したに違いない。

そう、神木隆之介は「一億人の孫」って感じの日本の理想の子供像なところがある。だいぶ成長されて、そろそろ子供的な役から卒業していきそうではあるけれど。

そして、この、つぶらな瞳で、賢いんだけどどこかいたいけな雰囲気のあるところが、「あまちゃん」のアキとも重なるようではないか。

そう思いませんか、皆さん。

宮藤官九郎の描く人物は、美川くん(勝地涼)みたいなとことんおバカな人と、田畑みたいにキレッキレの人が特徴的だが、ときどきアキちゃんや五りんみたいに、人間の純真無垢な部分の結晶のような、大切にしたい、応援したい人が出てくる。

五りんのキラキラを見つけた田畑は、オリンピックの広告塔として白羽の矢を立てる。

まさか、五りんが救世主(未来を背負う希望の若者)だったとは。朝の情報番組のコメンテーターを務めるなど、そろそろ大人のターンに向かいそうな神木きゅん(愛をこめてこう呼ぶ層がいる)の少年役の花道がオリンピックの広告塔だとしたら、これほど華々しいものはない。とってもふさわしいと思う(五りんは少年でもないし、神木さんが最後の少年かわからないし、ドラマで広告塔作戦が成功するかもわからないが)。

「走れ25万キロ」は史実では自伝ではなかった

五りん「志ん生の富久は絶品」

志ん生「圓生じゃねえのか」

このやりとりと、五りんが戦争で死んだ父・小松(仲野太賀)の恩師・四三と出会ってサインをもらった自伝「走れ25万キロ」にも「志ん生の富久が絶品」と書かれたこととが泣かせる。このへんはフィクション。四三の本も史実では、熊本日日新聞社の記者だった長谷川孝道(今年4月に亡くなっている)の書いた評伝だった。

志ん生と五りんのシーンはロケ場所も良かった。

志ん生が練習している神社は、若いとき(森山未來)から練習に使っていた場所だ。ここから見える風景はだいぶ変わっただろうけれど、神社はずっと建ち続けている。

おぶって歩く道の脇は墓場で、おびただしい数の墓場が並ぶ。ここにも「いだてん」が書いてきた長い長い歴史を感じる。明治、大正、昭和……たくさんの人が生きて死んでいくなかで、志ん生はこの国を、主に下町に暮らして、変わりゆく様子をずっと見つめて来た。志ん生も若いとき、師匠を人力車に乗せて落語を稽古しながら走っていた。歴史は繰り返す。

また、墓場の風景に、五輪会場として工事中で今月完成予定に新国立競技場からたくさんの人骨が出てきたという最近のニュースが重なって見えた。バレー人気が生んだ漫画「サインはV」が原作のドラマでコーチを演じた中山仁が亡くなったニュースにも、あのコーチはおそらく、大松監督を意識して描かれていたに違いない、なんてことも思った。

時代と並走し、切り開いていくドラマ

こんなふうに昔の思い出、現代の出来事、日本のいろいろを、テレビドラマを見ながら考えることができるのが「いだてん」だ。

1964年の東京オリンピックにどんどん近づいて来て、視聴者の心がどんどんひとつになっていく。このひとつの素は「楽しい」という無垢な感情。例えるなら、「ちびくろサンボ」で何匹もの虎たちがぐるぐるまわってバターになってそれを使って作ったホットケーキが美味しいという感覚。呼称の問題で絶版になってしまったこともある絵本の無念なわかりあえなさも含めて、ちょっと重なる気がするというのはほんとうに勝手な妄想ではあるが、本当の平和とか本当の楽しさや幸福を獲得することがどんなに難しくとも、目標に向かって困難に負けずひたむきに進んでいき、たくさんの人達と目標に近づいていくときの軌跡の輝きがいまの「いだてん」にはある。何もかもがまとまって強い光になっていくのを感じながらテレビを見ている。

昔の思い出も、リアルタイムで起こっていることも含め、今、最も時代と並走しているドラマと言っていいと思う。

42回では、オリンピック村をつくるために、放送局をつくる(NHK)という流れになった。「いだてん」は初期からオリンピックをどう伝えるかということも書いていて、それが最終的にNHKの場所になるのだから、まったくよく練られている脚本である。落語という話芸を入れているのも含め、どう伝えるか、何を伝えるか、という作り手の問いが「いだてん」には密やかにでも強く流れているように感じてならない。

第二部 第四十三回「ヘルプ!」 演出:津田温子 11月17日(日)放送

<あらすじ>

開催まで2年。国民のオリンピック熱は盛り上がりに欠けていた。テレビ寄席の「オリンピック噺」に目を付けた田畑(阿部サダヲ)は五りん(神木隆之介)を呼び、広告塔に任命する。組織委員会では準備が本格化。アジア各都市を回る聖火リレーの最終ランナーの候補に金栗四三(中村勘九郎)が浮上する。田畑はジャカルタで開催されるアジア大会を席巻し、五輪開催にむけ勢いをつけようと目論むが、開幕直前に大問題が発生する。

<みどころ>

国旗のスペシャリスト・吹浦忠正(須藤連)も加わり、東京オリンピックに向けた準備がさらに加速する一方で、ここまで勢いよく突き進んできた田畑が、戦後最大の壁にぶつかります。当時の政治や国際情勢など、いろいろなしがらみの中で田畑がどのような判断を下すのか。

大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」

NHK 総合 日曜よる8時〜

脚本:宮藤官九郎

音楽:大友良英

題字:横尾忠則

噺(はなし):ビートたけし

語り:森山未來

出演:阿部サダヲ 中村勘九郎 / 星野源 松坂桃李 麻生久美子 安藤サクラ / 

神木隆之介 荒川良々 川栄李奈 / 松重豊 薬師丸ひろ子 浅野忠信 ほか

演出:井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根 仁ほか

制作統括:訓覇 圭、清水拓哉

「いだてん」各話レビューは、講談社ミモレエンタメ番長揃い踏み「それ、気になってた!」で連載していましたが、

編集方針の変更により「いだてん」第一部の記事で終了となったため、こちらで第二部を継続してお届けします。

第一部の記事はコチラhttps://mi-mollet.com/search?mode=aa&keyword%5B%5D=%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%A6%E3%82%93%E3%80%9C%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E5%99%BA%EF%BC%88%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97%EF%BC%89%E3%80%9C

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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