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『アンナチュラル』が好評の石原さとみの次なる挑戦。あらゆる記憶が消えていく物語『密やかな結晶』が尊い

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
ホリプロ『密やかな結晶』 撮影:渡辺孝弘

生・石原さとみを間近で見る喜び

主演ドラマ『アンナチュラル』(TBS 金曜10時〜)が好評の石原さとみは、すでにドラマの収録を終えており、2月2日から、4年ぶりの舞台出演をしている。

作品は、芥川賞受賞作家・小川洋子の小説を原作にした『密やかな結晶』。94年に発表された小川のほぼはじめての長編小説で、以降の彼女の作品にも影響を及ぼしている、ある種の原点のような作品は、鳥やバラの花など、少しずつものの記憶がなくなっていく島を舞台にして、失われていく記憶への愛惜の念に駆られる人々の姿を描く。

記憶が失われていく島とは

石原さとみが演じているのは主人公の〈わたし〉。小説家だ。〈おじいさん(村上虹郎)〉と一緒に暮らしながら、ある日、ふいに記憶から消えてしまったものたちをこっそり保存している。母親の指輪とか香水とか。だが、それがみつかると秘密警察に回収されてしまう上、なくなったはずの記憶を残している人たちは、特殊な「レコーダー」と呼ばれ、秘密警察に捕まってしまう。〈わたし〉の担当編集者〈R氏(鈴木浩介)〉はその「レコーダー」で、〈わたし〉は彼を秘密の部屋に匿うことにする。

島から消えていくものはやがて、人間の肉体にまで及んでいく。人間そのものが消滅してしまうかもしれないとき、〈わたし〉と〈R氏〉はどうなるのか……。

ロマンチックでミステリアスな物語は、ときどき、原作にはないユーモアや歌なども交え、“密やかな結晶”とは何か、その答の隠された森に分け入っていく。

 生の石原さとみを見る機会にわくわくする観客も多い撮影:渡辺孝弘
 生の石原さとみを見る機会にわくわくする観客も多い撮影:渡辺孝弘

「アンネの日記」を彷彿とさせるところも

小道具をうまくつかって、知的な小説家として登場する石原さとみは、島の状況を客観的に認識し、賢明な行動を取り続ける。ただ、頭のいい人というだけでなく、なくなったはずの父母の大切にしていた記憶を愛でる、少女のような純粋さも残して。物語がどんなに辛いことになっても、どんなにふいにユーモラスなことになっても、石原さとみはその賢明な切実さを失わない。何もかもなくなっていく、〈わたし〉そのものが損なわれようとしてもなお。毎日毎日、繰り返し、この演技を続けるのは、精神的に重労働だと思う。

原作は、ナチス政権下、密かに隠れて暮らしていたユダヤ人のアンネ一家を描いた『アンネの日記』の影響も受けたもの。人の生活から、あるときふいに、いろいろなものが奪われていき、それを保持しようとする者は秘密警察に徹底管理される。言葉や表現が制限されるようになったり、正しい情報が報道されないままいつの間にか状況に変化が起こっていたりするようなことは現代にも起こり得ることだ。

もし、この作品のように、明確にいろんなものがなくなっていったら、どうなるだろうと身震いする。

極端な話、エンタメ禁止令が出て、石原さとみを見ることができなくなったら、途方に暮れるではないか。

石原さとみの成長

そういえば、石原さとみがかつて出演した舞台、井上ひさしの遺作『組曲虐殺』(10年、13年)は、『蟹工船』など、プロレタリア文学の旗手・小林多喜二が、特高警察に表現の自由を奪われることと格闘し続けた話だった。石原さとみは、最後まで多喜二を愛し支える女性を演じた。彼女は、闘う多喜二が守りたいものの象徴でもあったと思う。そんな役から5年経って、石原さとみは、守られるほうから守るほう、表現をし続けようとする役を演じるようになった。彼女の人間として、俳優としての成長を感じる舞台でもある。

石原さとみを支える才能たち

〈わたし〉が必死に守ろうとした〈R氏〉を実直に演じる鈴木浩介、〈わたし〉に献身的に仕える〈おじいさん〉

を若くして演じ、不思議な存在感を出す村上虹郎(彼の歌が印象的)。秘密警察を率いるシリアスな立場ながら笑いを振りまく山内圭哉。同じく、笑いを担当しつつ、ふとした居ずまいにリアリティが滲むベンガル。チームワークがいい。

脚本、演出は、代表作『焼肉ドラゴン』が映画化されることが発表され、ますます注目される鄭義信。

年齢不詳の〈おじいさん〉村上虹郎 撮影:渡辺孝弘
年齢不詳の〈おじいさん〉村上虹郎 撮影:渡辺孝弘
繊細な感情を演じる鈴木浩介 撮影:渡辺孝弘
繊細な感情を演じる鈴木浩介 撮影:渡辺孝弘
飄々としながら場を支配するベンガル 撮影:渡辺孝弘
飄々としながら場を支配するベンガル 撮影:渡辺孝弘
関西弁でしゃべくる山内圭哉 撮影:渡辺孝弘
関西弁でしゃべくる山内圭哉 撮影:渡辺孝弘

時代も見る人も問わない開かれた作品

小川洋子の作品で有名なのは映画化もされた『博士の愛した数式』(04年)があり、それは、記憶が一日しか保たない博士の話であった。身体的な問題として記憶がなくなっていくことも、誰しもが身近に感じることでもある。『密やかな結晶』もいろいろな問題に置き換えて考えることのできる物語だ。歌やユーモアもあり、ビジュアルも美しいので、子どもが見ても楽しめると思う。ホリプロは、不朽の名作ミュージカル『ピーターパン』のような子どものためのエンターテインメントもつくり続けている会社だ。たくさんの人の心に鮮やかに残り、長く伝わっていく作品をこれからもつくり続けてほしい。

密やかな結晶

原作:小川洋子

脚本、演出:鄭義信

出演:石原さとみ、村上虹郎、鈴木浩介、山内圭哉、ベンガルほか

主催・企画制作 ホリプロ

東京 2月2日〜25日 東京芸術劇場プレイハウス

富山 3月3日〜4日 富山県民会館

大阪 3月8日〜11日 大阪新歌舞伎座

福岡 3月17日〜18日 久留米シティプラザ ザ・グランドホール

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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