Yahoo!ニュース

『真田丸』成功要因2:長澤まさみ演じるきりの立場は最後まで流動的だった NHK 吉川邦夫Pに聞く2

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
最終決戦に向かう真田幸村 写真提供NHK
最終決戦に向かう真田幸村 写真提供NHK

いよいよ本日12月18日(日)に最終回を迎える大河ドラマ『真田丸』。今週は、ドラマと縁のある上田市で出演俳優たちによるイベントが連日行なわれたり、NHKの情報番組『あさイチ』や『スタジオパークからこんにちは』などに三谷幸喜や出演俳優がゲスト出演し、裏話を明かして、ファンの熱狂をいっそう煽った。

とりわけ、49話の最後、真田幸村(堺雅人)と彼に長く仕えつ続けたきり(長澤まさみ)がたどりついた関係に関して様々なエピソードが飛び出して話題になった。

ニュース記事もたくさん配信されているなか、最もたっぷりじっくり聞いていると自負する、吉川邦夫チーフプロデューサーインタビュー第2回は主に三谷幸喜の脚本について聞く。

インタビュー第一回目はコチラ

三谷脚本の可能性を4話で提示した

ー吉川さんは、『真田丸』で1話だけ、4話を演出されています。4話を担当されることにした理由はありますか。

吉川「選んだ……といいますか、『新選組!』の時に、三谷さんと初回から一緒に作ってきた脚本を、ぼくだったらこう演出したいという自分なりのイメージが心の内に積み上がっていて、最後の最後でそれを提示できたわけです。でも、最終回の直前になって別の視点を提示するのはちょっと遅い(笑)。だから『真田丸』では、僕が思っている三谷脚本の振れ幅みたいなものを最初のうちにひとつ提示しておこうと思ったんです。三谷さんの脚本は緻密ですが、台本の演出的な掘り下げを許さない作家ではありません。三谷さんの描く場面や会話の行間はとても深くて、あるシーンからあるシーンに行く途中のプロセスをあえて飛ばすことも多いし、台詞も心情をすべては説明しない。含みが残るので、その言動の意味を観た人なりの解釈ができて楽しめるのが、三谷さんのドラマの面白さのひとつだと思います。つまり、その深い行間の堀り方は演出家や俳優に託されている。とはいえ、どこまでやっていいか最初は悩みますよね。僕は三谷さんと長く台本を作ってきたので、自分なりに捕まえている勘所があります。ただ、演出陣の個々のアプローチに口を挟むことはしたくないので、その一例を、最初のほうで僕が1本だけ演出をすることで、提示してみようと考えました。1話はチーフの木村隆文が撮るので、当初は2話を撮らせてもらおうと思っていたんですが、ロケシーンが多いと出張が増えて、三谷さんとの脚本作りが遅れてしまうので、ロケの少ない4話をやることになったというわけです」

ー4話は室内劇がメインでしたね。

吉川「4話は『真田丸』の可能性を広げることを意識して、やや異質な表現を意図的にやってみました。たとえば、照明の使い方。中心になる舞台が、この回にしか出てこない織田信長の陣所・諏訪法華寺だったので、『得体の知れない魔王が住む迷宮』というイメージで、光のイリュージョン的な表現を試みたんです。信長と明智光秀は、ほんの少ししか出てきませんが、『真田丸』においても重要な存在です。信長と光秀の行動は信繁にも大きな影響を与えますから、ものすごく象徴的に、一度見たら忘れられないぐらいのインパクトにしたかった。信繁が迷宮のなかに迷い込んだように作りました。ちょうど織田の陣幕が黄色だったので、外から照明を当てると、普通の夕方とは思えない黄色い空間が出現したんですね。また、吉田鋼太郎さんが、フリルのついた衣裳を着せてもとてもよくお似合いなので(笑)」

ーシェイクスピアの世界のようでした。

吉川「洋装の信長はへたすると面白い格好に見えてしまうものですが、吉田さんなら着こなせるという期待がありました。さすが、見事に異世界の魔王そのものという存在感でしたね。そうそう、吉田さんは制作側から提案したキャスティングです。光秀役の岩下尚史さんは三谷さんの推薦ですね。強いインパクトという意味では大成功でした。『「真田丸」の光秀は、信長が好きすぎて殺すんです』とリハーサルで説明して(笑)、“この人がこんな仕打ちをするのは私にだけ[ハート]”みたいな感じの愛憎が屈折した人物像ができました(笑)」

ーそのあたりは『新選組!』で女子層を増やした手法に近いのではないかと。ピンク色の照明もありましたよね。

吉川「ぼくの発注は『血のように赤い異空間の夕景』だったんですが(笑)。あれは、想像を超える場面を目の当たりにした衝撃で、信繁の目にはあんな風に映ったというイメージの世界です。『真田丸』世界の振れ幅を、序盤でちょっと試した……冒険的な回でした」

ーサブタイトル「挑戦」にふさわしい回でした。

吉川「そうですね。例の“超高速本能寺の変”もありましたし。4話は一種の宣言みたいなものでした。“このドラマは信繁と真田家の見ていないものは可能な限り描きません”という。これは最初から三谷さんと決めていたことで、そのため、見ていない場面はオフにしてナレーションで物語るという方法を活用する中で、「ナレ死」が生まれました。4話の本能寺の変はナレ死第1号でしたね。5話では、チーフ演出の木村隆文が“伊賀越え”をああいうふうにユニークに見せました。家康や家臣たちの人間味があふれる語り口で、序盤でもっとも好きな回に挙げている視聴者も多いですね。彼は朝ドラ『ごちそうさん』(13年)のチーフで、オールラウンドに上手いのですが、とても優しいユーモアが持ち味の演出家だと思います。それは三谷さんの脚本と親和性があるんですよ。喜劇作家である三谷さんは、おもしろいことをたくさん脚本に描いていて、読むたびすごく笑っちゃうのだけれど、これをふざけて作ってしまってはいけないんです。おかしい場面でも会話でもあえて大真面目にやる。そうすることで、人間の本質的な滑稽さが見えたり、ペーソスがにじみ出たりするんです。木村演出はそのあたりをとても上手く引き出していると思います」

ー4話を、三谷さんのツボをよくわかっている吉川さんが撮った意味があると思うのは、信繁がはじめて家康と会う回だということです。大坂の陣で戦うふたりの出会いがここにあると思うと、あとから見返してぞくぞくします。でも、その間には昌幸がいて。途中で昌幸は死にますが、やっぱり最後の最後まで昌幸の生き方が関わってくる。昌幸と家康と信繁の話なんだなあというのも4話で描かれています。あとまた、信幸が、作兵衛にちょっと騙されて、「猿芝居は好きじゃない」というのも、のちに作兵衛を信之が逃がすことになる場面に繋がっていて面白いです。

吉川「作兵衛出奔の時は、信之は逃がす気はなく、諦めないなら本当に斬り捨てるつもりなんですが、作兵衛は『今回は殿が猿芝居をしてくれた』と勝手に思い込んだ。確かに言われてみれば繋がってますね。4話に限らず、ネットの反響でも、あれも伏線だったのか、これも伏線だったのかって、皆さんが深読みしてくれるのでありがたいですが、そこまで考えてなかったことも多々あるんです。例えば、きりが食べてしまう茶々の押し花(ヤマブキ)の由来、『黄泉の象徴』なども話題になりました(19回『恋路』)が、まったくの偶然で(笑)。信之が九度山の信繁に蕎麦を送る場面(39回『歳月』)では、蕎麦の花言葉は『あなたを助ける』だから!とツイートしてくれた方がいましたが、そのツイートを読むまで蕎麦の花言葉は知りませんでした(笑)。これも偶然です」

ー当時、花言葉は存在していないということでしたよね。

吉川「明治以降に西欧から輸入された文化と聞いています。そういう時代考証は油断なく徹底してきたつもりです。ちなみに『黄泉の象徴』は、花言葉ではなく万葉集由来のようです」

ー時代考証を徹底させている一方で、11話の雁金踊りは創作だったとか。

吉川「そうなんです。

「真田丸」48話。「恋ダンス」と並ぶ2016年の傑作ダンス「雁金踊り」創作秘話

幸村の名前をつけるところをくじにするのも思い切った創作ですね。考証の先生方は、同時代史料に出てこない『幸村』名を出すことにかなり難色を示されましたが、信之が捨てた『幸』を信繁が拾うことに物語としての深い意味がある、とご説明して、納得していただきました」

帰納的でなく演繹的に脚本を描く

ー最後からすべて逆算して描いているように構成が揺るぎないと思ってみていましたが、いまのお話のように、そこまで厳密に構成していたわけではない?

吉川「50本もあるドラマを、最初からすべて決め打ちして書くとストーリーが矮小化してしまうおそれがあります。決めたことの呪縛から逃れられなくなってしまい、せっかくもっと面白い展開を見つけてもできなくなることもあって。それに通じることだと思うのですが、三谷さんと脚本作りしていてとても面白いのは、登場人物の多面性です。昌幸はほんとに嘘つきだけれど、家族を愛し本気で守っている。信繁は、とても賢いけれど、意外と人の気持ちがわからないところもある。そんなふうに、いろいろな面を行ったり来たりすることでキャラクターが豊かになっています。信幸なんて、本来ならもっとずっとかっこよく描かれるはずの人物ですから、大泉洋さんは、信幸ファンのために、もっとかっこよく演じなくていいのかと、最初の頃におっしゃっていたのですが(笑)、いざというときは決めるけど、ふだんは、もうどうしようもなく被害者みたいになっているところが、ただカッコ良いだけの信幸像よりずっと魅力的に映りました。家康も、最後の最後まで、最初の心配性な部分を残しておいてくださいと内野さんには頼んでありました。きりも、最初はうざいとさんざん叩かれまくったにもかかわらず、いまやなくてはならないと言われています。伊達政宗の長谷川朝晴さんも、“ずんだパーティ”がゆかりの地でどう受け取られるか心配だったようです。これは三谷さんも心配していて……。ところが、いざとなったら強いけれど、ふだんはお調子者なところが、本当のうちの殿様らしいと、仙台方面のみなさんのありがたい反応をいただけたんですよ。もっともあれも、ずんだパーティーだけでなく、あとで信繁にしみじみ戦国大名の本音を語るシーンがあることで、説得力が出たのだと思います。三谷さんの巧みな仕掛けですね」

ー結果から逆算して一面的なキャラをつくるのではなく、いろいろな面を与えることで、最終的にどこに行き着くかわからない余地が生まれたんですね。

吉川「伏線もあるけれど、発展もあるっていうことですよね。ひとつのちいさな伏線を敷いておいたことが、別の形に飛び火して大きな物語のうねりになることもある。それは長編の連載漫画と似ているかもしれなくて、帰納的ではなく演繹的に作ることは意識しました。大河を何作も担当した中実感しているのは、30話すぎあたりに、中だるみみたいなものが起こりがちということです。『真田丸』でそれを回避できたのは、三谷さんが、選択肢を選べる余地を常に残していたからだと思います。つくっている最中に、新しい研究成果が次々にが出てくるものだから、それにキャラクター像を結びつけていくことで新たな側面が見えてくることも多かったです。最たる例は、秀次です。三谷さんが秀次役に推した新納慎也さんのイメージから、いわゆる“殺生関白”にはならないとは思っていましたが、秀次は切腹させられたのではなく、自害だったという論文が出てきたことが後押しして、秀吉の甥というプレッシャーに耐えられず自滅していく哀しい秀次像が完成しました。歴史はそれなりに筋道が決まっているとはいえ、大勢が知っている話=正解、とは限らないということですね。一般的な解釈とは別の可能性を想像することの大事さとおもしろさを、今回あらためて痛感しました」

ー『真田丸』の役は多面体ですが、他者の前では本心を言わず、ある一面を演じています。そういう日常の演じるという行為もそうですし、余暇に芸事を楽しむシーンも多くて、舞台をやられてきた三谷さんだからこそ書けたのだろうかと思って観ていました。演劇的なネタは意識されていたのでしょうか。

吉川「どうでしょう。三谷さんが意識していたかどうかはわかりませんが、演劇的なものを多く取り入れようという話を具体的にしたことはないです。ただ、“庶民とは何か”ということは考えてきました。また『新選組!』との比較になってしまいますが、新選組の主要人物は皆庶民で、彼らが立身出世を夢見て京都で警察官になったことで、いつの間にか政治に翻弄されてしまったという話です。真田は、トップでないとはいえ大名になり、作兵衛だって村長クラスです。ほんとの意味での庶民は、与八ぐらいなんですよ。そんな彼らを普通に“庶民”として描こうとすると無理があります。三谷さんは、大名たちが飲み屋で語り合うような交流を描きたかったのですが、当時はそういう習慣はないし、そもそも江戸期のような飲み屋が存在しない。しかも、大名たちには本当はおつきがぞろぞろ付いていますから、外を出歩く気軽さもありません。ただ、彼らにももちろん日々の暮らしがあり、他人との交流はもちろんある。当時あったのは、互いの屋敷に理由を作っては集い、飲み食いするという、サロン的な交流なんですね。その理由のひとつに芸事もある。能を見たり、舞を披露したり。中世は、日々の暮らしの中に芸事があったとも言えます。26回『瓜売』のやつし比べも、その延長上にありますね」

ーああ、なるほど、演劇人が親しみある芸能事を手厚く描いたのではなく、当時は芸事が政治や生活に深い関わりがあった。そこも時代考証がしっかりしているということですね。

吉川「農民に関しても、これまでの戦国物では、彼らが畑を戦で荒らされて、平和な生活を武士のやつらが踏みにじるという構図で描かれがちでしたが、考証会議で教わったのが、そもそも中世の紛争とは隣村同士が水や薪を奪い合う諍いから始まるものだったと。だから戦国時代、百姓は帯刀していて、しょっちゅう争っていたそうです。その紛争の調停に村長同士が乗り出し、その村が国境だったら、収まらなければ、さらに上位の領主が出てきて、最後は大名同士の争いにまで拡大してしまう。結果として勝った大名は領地を広げることになる。つまり、戦国時代は、上から下まで皆戦っていた、ということです。そんな状態ですから、農民と武士の区別も厳密にはまだついていない。真田家まわりの人間関係にはその視点が取り入れられています。堀田作兵衛と高梨内記も、実は内記が主張するほどの身分差ではないんです。だからこそ、内記はきりを堀田家から遠ざけたいんですね」

きりとは何者だったのか

ー帰納的でなく演繹的に脚本を作ったという『真田丸』ですが、きりの行く末も流動的だったのですか? 彼女は最後の切り札かと思っていたのですが。

吉川「いちばん初期は決めていませんでしたが、わりと早い段階で、最後まで側にいることは決めて、幸村の子供を産むか産まないかと、正式に側室になるかならないかは、時代考証との兼ね合いもあって、保留にしていました。側室になって子供を産むことにしてしまうと、母としての側面が生まれてしまい、最も彼女に託したかった信繁の毒舌パートナーというか心の裏返しみたいな存在価値が薄らいでしまいそうなので悩みました。きりにあたる女性は、史実では梅の母親だと言われていますが、考証の先生から春の子だという説も存在すると聞き、その説を採用することで、最終的に49話の展開に落ち着いたんです。最後の戦いの前夜にきりと結ばれるイメージは、三谷さんとの間では、だいたい中盤ぐらいから考えはじめていました」

ーやっぱり男女間の愛情に昇華させようと。

吉川「信繁ときりをちゃんと寄り添わせるには、最後の最後までいかないと……と思ったわけですが、春を外に出してからきりと寄り添うという展開が、果たしてどんなふうに見えるか、不安はありましたね。でもいざやってみたらそんなことはまったく気にならず、冷静に見なくてはいけない編集室での試写で涙を止められませんでした。音楽もついてない段階なのに(笑)。撮影現場で堺雅人さんと長澤まさみさんが三谷さんの行間を膨らませたことが、感動を何倍にも大きくしてくれたように思います」

幸村ときりのキス(『真田丸』的に言うと”口吸い”シーンは、堺が提案し、口吸いしながらしゃべるのは長澤が提案したことは、三谷幸喜が出演した『あさイチ』と長澤まさみが出演した『スタジオパークからこんにちは』で語られた。

吉川邦夫プロデューサーインタビュー、最終回は、ドラマの最終回に関する話と大河ドラマの今後の可能性などについて伺います。

profile

吉川邦夫 Yoshikawa Kunio

1962年生まれ。NHKプロデューサー。NHK でドラマの演出やプロデュースに携わり、大河ドラマ『炎立つ』『毛利元就』『北条時宗』『新選組!』などを担当、10〜12年、NHK放送文化研究所メディア研究部主任研究員を経て、制作局に戻り、近年のドラマに千葉発地域ドラマ『菜の花ラインに乗りかえて』(演出)、人形劇『シャーロックホームズ』(制作統括、演出)、大河ドラマ『真田丸』(制作統括、演出)など。

趣味はバンド演奏。ビートルズから学んだのは「大勢を楽しませることと新しい挑戦は両立する」

NHK 大河ドラマ「真田丸」

作:三谷幸喜/毎週日曜 総合テレビ 午後8時 BSプレミアム 午後6時

12月18日放送 第50話(最終回) 演出:木村隆文

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

木俣冬の最近の記事