故ハンク・アーロンの“メジャー新”715号ボールをキャッチした投手は、のちに中日、ロッテで…

ブレーブスの本拠地に展示されているアーロンの715号達成時の写真とユニフォーム(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 メジャーリーグ歴代2位の通算755本塁打、同1位の2297打点を記録したハンク・アーロンが1月22日に死去したと、MLB公式サイトなどが報じた。享年86歳。1974年に当時のメジャー通算本塁打新記録を樹立したアーロンは、引退翌年の1977年に読売ジャイアンツの王貞治(現福岡ソフトバンクホークス会長)が彼の通算本塁打数を超えたことが大きな話題となって、メジャーリーガーとしては日本でも有数の知名度を誇った。

外野のブルペンに飛び込んだ「ルース超え」の715号

 今はなき黒人リーグのニグロリーグでプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、1954年にメジャーリーグのミルウォーキー・ブレーブス(1966年からアトランタに移転)に入団したアーロンが、当時のメジャー新記録となる通算715号本塁打を放ったのは、1974年4月8日のこと。舞台はブレーブスの本拠地だったアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムである。

 それまでの記録保持者はニューヨーク・ヤンキースなどで通算714本塁打をマークしたベーブ・ルースであり、その記録を不可侵のものと捉えるオールドファンや人種差別主義者から、アーロンは時にひどい脅迫を受けたという。それらを乗り越え、第2打席でロサンゼルス・ドジャース先発のアル・ダウニングから左中間にホームランを打ち、ついに新記録を樹立した。

 ブレーブスのホーム開幕戦だったこの試合には、月曜にもかかわらず5万3775人の大観衆が詰めかけたが、その中に記念のホームランボールを手にする者はいなかった。アトランタ・スタジアムはかつての甲子園球場の「ラッキーゾーン」や、現在のPayPayドームの「ホームランテラス」、ZOZOマリンスタジアムの「ホームランラグーン」のように外野フェンスの手前に柵があって、それを越えればホームランになる。アーロンの通算715号は柵を越えたもののスタンドまでは届かず、その間のブルペンにいた自軍のピッチャーにキャッチされていたからだ。

記念のボールをキャッチしたのは26歳の救援左腕

 その投手が当時メジャー4年目、26歳の救援左腕トム・ハウス。この年から2年連続でチーム最多の11セーブを挙げるが、その後はボストン・レッドソックス、シアトル・マリナーズと渡り歩いて1978年シーズンを最後に31歳で現役引退。メジャー8年間の通算成績は289試合の登板で29勝23敗33セーブ、防御率3.79というものだった。

 ハウスが名を馳せるのは、引退後に指導者に転身してからだ。現役時代に当時はタブー視されていたウエイトトレーニングを取り入れていた彼は、テキサス・レンジャーズのコーチ時代に独自のトレーニング法や調整法で同い年のノーラン・ライアンから信頼を得て、共著書も出版する。その中で、ライアンはハウスについてこう記している。

「彼の話があまりに専門的なので、正直な話、私が彼の話を理解するのには時間がかかった。しかし、彼がいったい何を話しているか、わかるようになってからは彼の説に100パーセント賛成した」

出典:「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」(ベースボール・マガジン社)

 42歳でレンジャーズに移籍してからの5年間で51勝を挙げ、通算324勝、そしていずれも歴代最多の通算5714奪三振、7回のノーヒットノーランという大記録を残して46歳で引退したライアンは、1999年の殿堂入りスピーチでも「(レンジャーズ時代に)とても幸運だったのは、トム・ハウスという名の投手コーチに出会えたこと」と話している。

高木監督時代の中日、広岡GM時代のロッテで臨時コーチも

 ハウスはレンジャーズのほかに、ヒューストン・アストロズ、サンディエゴ・パドレスのコーチを歴任しているが、1990年代には高木守道監督時代の中日ドラゴンズにたびたびキャンプの臨時コーチとして招かれ、広岡達朗GM時代の千葉ロッテマリーンズでも臨時コーチを務めている。また、1991年のオフには福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)の手塚一志コンディショニングコーチが渡米し、ハウスの指導法を学んだこともあった。

 そして現在、73歳になったハウスは、アーロンの訃報に接して自身のツイッターを更新。「ハンク・アーロンは私の人生を変えました。『715』をキャッチしたのは、私の中で最高の瞬間です。あの瞬間が私たちを友人として、そしてチームメイトとして永遠に結び付けてくれたのです。彼の死を知り、私の心は痛んでいます」と、当時の写真を添えてツイートした。

「愛してるよ、ハマー(アーロンの愛称)。みんな寂しくなるよ」。ハウスのアーロンに関する一連のツイートは、そんな一言で締めくくられている。