日本プロ野球、そしてメジャーリーグで通算905試合に登板している東京ヤクルトスワローズの五十嵐亮太(41歳)が今シーズン限りで現役を引退すると、10月11日付で各メディアが一斉に報じた。

NPB通算822試合、メジャー通算83試合はすべて救援

 プロ2年目の1999年に一軍に昇格してリリーフだけで6勝を挙げた五十嵐は、翌2000年には11勝をマークするなど、早くから“勝ち運”を発揮。サウスポーの石井弘寿(現ヤクルト投手コーチ)との速球派コンビは、翌年からは「ロケットボーイズ」と呼ばれるようになった。

 守護神の高津臣吾(現ヤクルト監督)がFAでメジャーに移籍した2004年には、その後任として自己最多の42セーブポイント(5勝、37セーブ)で最優秀救援投手賞を獲得。2009年オフに自身もFA権を行使してニューヨーク・メッツに移籍すると、2012年までトロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースとメジャー3球団で、すべてリリーフで計83試合に登板した。

 2013年に福岡ソフトバンクホークスで日本球界に復帰し、翌2014年にはパ・リーグ最多の44ホールドをマーク。古巣・ヤクルトとの対戦となった2015年の日本シリーズでも、マウンドに上がっている。

 そして2018年オフ、ソフトバンクを自由契約になると、10年ぶりにヤクルトに復帰。プロ入りから12年間身にまとった愛着あるユニフォームに、再び袖を通した。

 復帰1年目の2019年は4月だけで5勝を挙げるなど、45試合に登板。この時点でNPB通算822試合登板は歴代7位、救援登板に限れば元中日ドラゴンズの岩瀬仁紀(1001試合)に次いで歴代2位となった。

ルーキーイヤーにファームで“完全試合”を達成

 さらにいえば、救援のみで822試合登板はNPB史上最多。まさに「リリーフ一筋のプロ野球人生」と言っていいが、米国ではマイナーリーグで2試合、そして日本でも二軍で通算18試合に先発として投げた経験がある。

 昨年9月、埼玉・戸田のヤクルト二軍施設を訪れた時のこと。ファーム調整中だった五十嵐に声をかけると、いたずらっぽい笑顔で「今度、先発するんですよ、僕」と返してきた。その時は半信半疑だったが、数日後に行われたイースタン・リーグの横浜DeNAベイスターズ戦(平塚)で実際に先発。もっともこの日は、五十嵐を筆頭に9人の投手が1イニングずつを投げる、いわゆるブルペンデーだった。

 ただし、その五十嵐も先発投手として“大記録”を成し遂げている。千葉・敬愛学園高からドラフト2位でヤクルトに入団して、1年目の1998年。9月26日のイースタン・リーグ千葉ロッテマリーンズ戦(ロッテ)で先発マウンドに上がると、6回までに6つの三振を奪い、1人の走者も許さないパーフェクトピッチングを披露した。

 試合は6回裏のロッテの攻撃が終わったところで突然の強い雨により中断すると、そのままコールドゲームが成立し、参考記録ながら五十嵐は完全試合達成。2回表の城友博のタイムリーにより1対0で勝ったヤクルトは19年ぶり、4度目のイースタン優勝が決まり、五十嵐の大記録はこれに花を添える形になった。

球団史上ただ1人のファーム選手権MVP

 この先発・五十嵐の“偉業”には続きがある。同年10月10日に、沖縄・宜野湾で行われたウエスタン・リーグ王者の阪神タイガースとのファーム日本選手権。再び先発として登板すると、5回までに5四球を与えながらも1安打、無失点に抑え、ヤクルトは4対1で勝利。八重樫幸雄二軍監督率いるヤクルトは初のファーム日本一に輝き、立役者の五十嵐がMVPに選ばれたのである。

 ちなみにヤクルトがファーム選手権で勝ったのは、今のところこれが最初で最後。つまり、五十嵐は球団史上でも唯一の同選手権MVPということになる。

 入団5年目の2002年には先発転向に挑戦したこともあったが、キャンプ中の練習試合で結果を出せず、実現はしなかった。おそらく球団は五十嵐に「花道」の舞台を考えているはずだが、一軍では最後までリリーフ一筋ということになるのだろうか。