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最多本塁打&打点は現DeNA監督のラミレス、最多安打は…ヤクルト「2000年代ベストナイン」

菊田康彦フリーランスライター
2001年日本一決定試合のチケットとV戦士たちのカード(いずれも筆者所有)

 東京ヤクルトスワローズが今年で球団創立70周年を迎えたのを記念して、1950年から10年の年代ごとに「ディケード(10年間の意)・ベストナイン」を選ぶ連載の第6回。今回は新世紀を迎え、球団名に「東京」が付くことになる2000年代の「ベストナイン」を、各ポジションで最もレギュラーとして起用された野手、および最も勝利、セーブを挙げた投手を基準に選出した(名前の下は2000年代の球団在籍年数および通算成績)。

投手:石川雅規(いしかわ・まさのり)

8年=226試合84勝73敗0セーブ、防御率3.85

※主なタイトル=新人王、最優秀防御率1回

 青山学院大からドラフト自由枠で入団した2002年に、いきなり12勝を挙げて新人王を獲得。身長167センチという小柄な体でストレートは決して速くはないが、多彩な変化球とコントロールの良さを武器に、そこから5年連続で2ケタ勝利を挙げた。07年は4勝に終わるも新たにシュートを覚え、08年は12勝と復活。この年は最優秀防御率に輝くと、翌09年は自己最多の13勝をマークした。この年代に挙げた84勝はチームトップ。

投手:高津臣吾(たかつ・しんご)

6年=248試合3勝17敗158セーブ、防御率3.20

※主なタイトル=最優秀救援2回

 2001年は自身の持つ球団記録を更新する37セーブを挙げ、通算3度目の最優秀救援投手に。日本シリーズでも守護神として最後を締めくくり、シリーズ4度目の胴上げ投手となった。日本シリーズ出場4回で失点はゼロ、通算8セーブは歴代最多。03年には通算セーブの日本記録を更新して4度目の最優秀救援に輝くと、翌04年はFAでメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスに移籍。06年からヤクルトに復帰し、07年オフに退団後も、韓国、台湾、独立リーグなどで現役を続けた。

捕手:古田敦也(ふるた・あつや)

8年=789試合、打率.292、90本塁打、385打点、13盗塁

 2000年代に入り、ベテランになっても“正妻”としてチームをけん引。01年はリーグ2位の打率.324、日本シリーズではMVPに輝くなど、3年ぶりのリーグ優勝&日本一に導いた。03年には1試合4本塁打および4打数連続本塁打の日本タイ記録を樹立し、盗塁阻止率では3年ぶり10回目のリーグ1位。05年に捕手としては史上2人目、大卒・社会人経由では初の通算2000安打を達成している。06年から2年間は選手兼任監督として指揮を執り、07年限りでユニフォームを脱いだ。

一塁手:ペタジーニ(ロベルト・ペタジーニ)

3年=405試合、打率.320、116本塁打、317打点、11盗塁

※主なタイトル=MVP1回、本塁打王1回、打点王1回、最高出塁率1回

 来日1年目の1999年に本塁打王を獲得すると、そこから4年連続で打率3割、35本塁打、90打点をクリア。2001年は打率.322(リーグ3位)、39本塁打(同1位)、127打点(同1位)で二冠王となり、MVP受賞。日本シリーズでも4打点をたたき出すなど、チームにとって3年ぶりのリーグV&日本一に大きく貢献した。来日1年目から4年連続ベストナイン、00年から3年連続でゴールデングラブ賞にも輝いたが、02年オフに退団して読売ジャイアンツへ移籍。

二塁手:土橋勝征(どばし・かつゆき)

7年=644試合、打率.261、22本塁打、146打点、6盗塁

 1990年代から引き続きセカンドのレギュラーを務め、2000年は主に二番でリーグ最多の29犠打を記録。翌01年は自己最多の137試合に出場するなど、正二塁手として4度目の日本一の美酒を味わった。92年のリーグ優勝からこの年の日本一まで、9度の優勝決定試合にすべて出場しているのは、土橋のほかには古田敦也だけ。04年には通算1000安打を達成するが、05年途中からは控えに回ることが多くなり、06年シーズンを最後に現役引退した。

三塁手:岩村明憲(いわむら・あきのり)

7年=893試合、打率.300、177本塁打、535打点、60盗塁

 高卒3年目の1999年から三塁手として頭角を現わし、翌2000年からの7年間でゴールデングラブ賞を6回受賞。打っては02年にリーグ4位の打率.320、23本塁打をマークすると、04年はシーズン44本塁打の球団タイ記録(当時)を樹立した。この年から3年連続打率3割&30本塁打以上、04、05年は100打点も突破。02、06年とベストナインにも2度選ばれている。06年オフ、ポスティングでメジャーリーグのタンパベイ・デビルレイズ(08年からレイズ)へ移籍。

遊撃手:宮本慎也(みやもと・しんや)

10年=1188試合、打率.290、49本塁打、365打点、64盗塁

 1980年代の名ショート、水谷新太郎の背番号6を継承し、90年代後半から池山隆寛に代わって正遊撃手に定着。堅実な守備で97年にゴールデングラブ賞を初受賞すると、99年からは5年連続でその栄誉に輝いた。打っては、チームが3年ぶりのリーグ優勝を果たした01年に、シーズン67犠打の日本新記録を樹立。2000年の打率.300(リーグ9位)を皮切りに、この年代だけで4度の打率3割(規定打席到達年のみ)をマークし、1299安打はチームNO.1。

左翼手:ラミレス(アレックス・ラミレス)

7年=982試合、打率.301、211本塁打、752打点、12盗塁

※主なタイトル=本塁打王1回、打点王2回、最多安打2回

 来日1年目の2001年に29本塁打、日本シリーズでは第1戦で勝利を決定づける3ランと、リーグ優勝&日本一に貢献。03年は不動の四番打者として40本塁打、124打点で二冠を獲得し、打率もリーグ2位の.333と三冠王級の働きを見せた。07年は外国人、そして右バッターとしてもNPB史上初のシーズン200安打を達成し、2度目の最多安打、2度目の打点王に輝くも、そのオフに退団して巨人へ移籍した。211本塁打、752打点はこの年代ではチーム最多。現在は横浜DeNAベイスターズ監督。

中堅手:青木宣親(あおき・のりちか)

6年=697試合、打率.331、66本塁打、278打点、137盗塁

※主なタイトル=新人王、首位打者2回、盗塁王1回、最多安打2回、最高出塁率2回

 ドラフト4巡目で入団した2004年にイースタン・リーグで首位打者を獲得すると、翌05年は一軍の正中堅手として、1994年のイチロー(オリックス)以来のシーズン200安打を達成。打率.344で首位打者、新人王に輝いた。翌06年も2年連続リーグ最多となる192安打を放ち、41盗塁で初の盗塁王。07年は打率.346で2度目の首位打者に。この年代は青木と真中満が正中堅手の座を5年ずつで分け合っているが、センターでのスタメン出場数がより多かった青木を選出した。

右翼手:稲葉篤紀(いなば・あつのり)

5年=545試合、打率.281、75本塁打、234打点、18盗塁

 入団1年目の1995年途中からライトのレギュラーとなり、翌96年はリーグ11位の打率.310。2000年代に入っても正右翼手としてプレーし、01年は打率.311(リーグ7位)、25本塁打、90打点と、その時点でキャリアハイの数字をマーク。自身3度目の日本一となり、初のベストナインにも選ばれた。03年には通算100本塁打に到達し、サイクルヒットも達成。05年にFAで北海道日本ハムファイターズへ移籍した。14年に現役を引退し、17年から野球日本代表監督。

2000~05年:ヤクルトスワローズ、06~09年:東京ヤクルトスワローズ

順位=3位3回、2位2回、4位2回、1位1回、5位1回、6位1回

通算697勝695敗26引き分け  勝率.501

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フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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