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金田正一は10年で234勝! ヤクルトの「50年代ベストナイン」の顔ぶれは…

菊田康彦フリーランスライター
2015年に開かれた「野球と鉄道」展には国鉄スワローズに関する展示も(筆者撮影)

 東京ヤクルトスワローズが「国鉄スワローズ」として産声を上げたのは、1950年1月のこと。2リーグ分立に伴って発足したばかりのセ・リーグに加盟し、今年で70周年を迎えたことになる。その記念すべきシーズンはまだまだ開幕が見えない状況にあるが、この長い“オフ”の間を利用して、球団創立から10年の年代ごとに「ディケード(10年間の意)・ベストナイン」を選んでみようと思う。

 野手であれば各ポジションでその年代に最もレギュラーとして起用された選手、投手は最も勝利を挙げた選手を選出した。まずは1950年代から(名前の下は50年代の球団在籍年数および通算成績。投手の防御率は現在の計算方法で算出)。

投手:金田正一(かねだ・まさいち)

10年=555試合234勝183敗、防御率2.30

※主なタイトル=最多勝利2回、最優秀防御率2回、最多奪三振8回、沢村賞3回

 愛知・享栄商高(現享栄高)を中退し、1950年のシーズン途中で国鉄に入団。17歳にして8勝を挙げると、翌年から50年代の終わりまで、毎年20勝以上を挙げた(その後、64年まで20勝以上を継続)。初登板、初勝利、初完投、初完封などはもちろん、初安打、初打点、初本塁打などの球団最年少記録保持者でもある(17歳2カ月での初本塁打はプロ野球記録)。

捕手:佐竹一雄(さたけ・かずお)

7年=703試合、打率.239、14本塁打、155打点、17盗塁

 国鉄時代の正捕手といえば「カネやんの女房役」として知られた根来広光の印象が強いが、根来の入団は1957年。50年代に関していえば、51年から6年間レギュラーを張ったこの佐竹になる。1リーグ時代には大陽ロビンスでも正捕手を務め、51年に金銭トレードで移籍すると、いきなりリーグ12位の打率.297をマーク。54年も、規定打席未満ながら.291と高いアベレージを残した。

一塁手:森谷良平(もりや・りょうへい)

4年=327試合、打率.271、33本塁打、135打点、21盗塁

 レギュラーとしての年数では石田雅亮(55、58年)、飯田徳治(57、59年)も2年で並んでいるが、一塁での通算試合数が最も多い森谷を選出した。法政大卒業後は社会人の八幡製鉄で長きにわたってプレーし、1948年のシーズン途中に35歳で大陽ロビンスに入団。50年の途中で国鉄に移籍すると、主に四番としていずれもチームトップの打率.288、21本塁打と気を吐いた。52年も打率.288でチームの首位打者に。

二塁手:福田勇一(ふくだ・ゆういち)

4年=418試合、打率.214、8本塁打、111打点、37盗塁

 専修大を卒業後、社会人チームを渡り歩き、1950年に誕生したばかりの国鉄に入団。球団初年度の開幕戦で一番打者として出場し、この年はチーム3位の45打点を挙げた。54年まで二塁のレギュラーを務め、この年を最後に34歳で引退。スワローズの初代背番号8でもある。

三塁手:箱田淳(はこだ・じゅん、54年までの登録名は箱田弘志)

9年=828試合、打率.265、52本塁打、249打点、62盗塁

 投手として3年間で4勝を挙げた後、1954年から二塁手として野手に専念。いきなりリーグ4位の打率.323で、球団史上初の3割バッターに。これは72年に若松勉に更新されるまで、球団記録として残っていた。三塁手に転向したのは56年で、この年に自身初の2ケタ本塁打を放つと、リーグ最多の13三塁打、同10位の打率.259をマーク。その後も58年までサードのレギュラーを務めた。

遊撃手:中村栄(なかむら・さかえ)

7年=636試合、打率.261、7本塁打、127打点、72盗塁

 戦前は阪急、戦後は社会人野球でプレーし、1950年に新生・国鉄にとって唯一のプロ経験者として入団(シーズン途中で松竹ロビンスから森谷良平と千原雅生も獲得)。1年目から全試合に出場してキャリアハイの打率.279、翌51年はチーム3位の打率.276をマークするなど、54年まで正遊撃手として活躍した。

左翼手:安居玉一(やすい・たまいち)

2年=228試合、打率.252、11本塁打、90打点、20盗塁

 1950年代は実に8人の外野手が正左翼手としてプレー。安居と同じくレフトのレギュラーを2年務めた佐藤孝夫は中堅手部門で選出したため、ここでは安居を選んだ。戦前、戦後は阪神(大阪タイガース)、2リーグ分立後は大洋ホエールズで活躍した後、53年に国鉄に移籍。同年はチーム3位の44打点を挙げている。

中堅手:佐藤孝夫(さとう・たかお)

8年=847試合、打率.239、115本塁打、321打点、188盗塁

※主なタイトル=新人王、本塁打王1回

 仙台鉄道局から内野手として入団した1952年に、主に一番・遊撃で新人王を獲得。翌53年に外野手に転向して22本塁打、55年には自己最多の24本塁打を放つなど、56年まで正中堅手を務めた。定位置を左翼に移した57年には22本塁打で、青田昇(大洋)と同数でホームラン王に。小柄な体格ながら抜群の飛距離を誇り、躍動感あふれるプレーと童顔で「バンビ」の異名を取った。

右翼手:町田行彦(まちだ・ゆきひこ)

8年=809試合、打率.237、102本塁打、317打点、94盗塁

※主なタイトル=本塁打王1回

「バカ肩」と称された強肩を買われ、プロ入り後に内野手から外野手に転向。入団2年目の1953年からライトのレギュラーに定着すると、20本塁打以上を3度マークした。55年には佐藤孝夫との争いを制し、31本塁打で球団史上初の本塁打王を獲得。59年には、これも球団史上初のサイクルヒットを達成している。

1950~59年:国鉄スワローズ

順位=4位4回、5位4回、6位1回、7位1回

通算535勝712敗23引き分け 勝率.429

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フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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