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今季で引退のヤクルト三輪が“捕手”としてマスクをかぶった「あの日」

菊田康彦フリーランスライター
9月22日には神宮で引退セレモニーが行われた(筆者撮影)

 9月22日、東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ戦が終了した神宮球場で、1人の名バイプレーヤーの引退セレモニーが行われた。男の名前は三輪正義(35歳)。四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズから大学生・社会人ドラフト6巡目で入団し、ヤクルト一筋に12年間プレーした選手である。

 自慢の快足を武器に代走として重用されただけでなく、卓越したバント技術でたびたびピンチバンターとしても起用され、代打でサヨナラヒットを打ったこともある。また、内外野を守る貴重なユーティリティーとして、一軍ではバッテリーとショートを除く全ポジションで出場。ファームの試合では、ショートの守備にも就いた。

「小学校のソフトボール以来」の捕手

 公式記録には残っていないが、キャッチャーとしてマスクをかぶったこともある。今から6年前の2013年4月9日、ヤクルトの二軍とルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCとの練習試合でのことだ。

 当時のヤクルトは正捕手の相川亮二(現巨人バッテリーコーチ)が、左肩鎖関節の亜脱臼で離脱したばかり。22歳の控え捕手、中村悠平を中心にやりくりをしていたのだが、緊急時に備えて二軍で調整中だった三輪に経験を積ませておこうと、首脳陣が考えてのことだった。三輪が振り返る。

「面白れぇなって思いました。(捕手は)小学校のソフトボール以来だったんですけど、『できるか?』って聞かれて『できます。やります』とは言いましたね。『任せてください』って(笑)。それも気持ちですよね。後ろにやらなきゃいいんでしょっていう。(ワンバウンドの投球も)体にボーンってぶつけとけば、前に落ちんじゃんっていうぐらいの感じでした」

 前日には小野公誠二軍バッテリーコーチ(当時、現一軍グループ査定担当)とともにワンバウンドの投球を止める練習を行い、ブルペンに入って投手の球も受けたが、準備としてはそのぐらい。もちろん自前のキャッチャーミットもなく、伊東昭光二軍投手コーチ(当時、現編成部長)からの借り物だったという。

「難しいショートバウンドも捕るし、配球も考えている」

 そして、迎えた新潟戦。2番・捕手で先発出場した三輪のキャッチャー姿は、見た目にもなかなか様になっていた。当時プロ2年目で、先発として三輪とバッテリーを組んだ徳山武陽がいう。

「始まるまでは心配で仕方がなかったですが、いざ試合が始まると難しいショートバウンドも捕るし、配球も考えているし、しっかり試合を成立させてくれました。普段はふざけてますけど、器用な人なんだなって少し尊敬しました(笑)」

 ワイルドピッチやパスボールといったバッテリーエラーはなし。あとは盗塁を刺せるかどうかだったが、当時はヤクルトOBの“ギャオス”こと内藤尚行監督が率いていた新潟は、盗塁を仕掛けてくることはなかった。

 初回は二死から三番打者が安打で出塁したものの、2回、3回は走者が出ず、4回は3連打で先制した後、バントで送って犠飛で1点を追加。なかなか仕掛けるタイミングもなかったといえるが、三輪は「僕、ソフトボールの時は盗塁されたことがなかったんですよ。だから『来いや!』って思ってましたけど、たぶん(盗塁)されてたでしょうね」と述懐する。

 無難に4イニングの出番を終えた三輪“捕手”について、試合後に「なにしろ初めてですからね。あのぐらい守れればいいんじゃないかと思います。タイミングが合えば、これからもブルペンで受けたり、練習したらいいのかなと思います」と話していたのは、当時の真中満二軍監督(現野球評論家)。小野コーチも「ただ捕ってただけですけどね」といいながらも「ずっと出るわけじゃないし、あれぐらいできれば十分でしょう」と及第点を与えていた。

幻に終わった一軍戦での「捕手・三輪」

 ただし、その後は三輪が捕手として実戦に出場することはなく、公式には「捕手・三輪」の記録は残っていない。それでも一度、一軍でマスクをかぶる可能性もあったという。

「同じ年だったと思うんですけど、地方の試合で(ベンチ)裏で体を動かしてたら、まだ現役だった宮本(慎也)さんに『おい三輪、行くぞ』って言われて……。『どこですか?』って聞いたら『キャッチャーだ』っていうんで『はぁ!?』って(笑)。その時はキャッチャーが(ベンチに)2人しかいなくて、途中から出ていた中村にファウルチップが当たったんですよ。もう行くしかないなと思って腹くくったら、中村が行けるってなったんで、なくなったんですけど」

 22日の引退セレモニーでは、これまでも雨天中止の際などに何度も見せてきた「雨中のヘッドスライディング」を披露した三輪は、その後も二軍で代走などで出場を続けている。26日に戸田で行われる予定のイースタン・リーグ最終戦では「スタメンでフル出場ですから。『交代だ』って言われても、初めて高津さん(高津臣吾二軍監督)を無視する日になるんでしょう」と笑う。

 それならば個人的に期待したいのは、究極のユーティリティーとして最後の試合で全ポジションを守る姿だ。一軍では1974年9月29日に日本ハム・ファイターズの高橋博士が、南海ホークスとの試合で一塁手に始まって捕手、三塁手、遊撃手、二塁手、左翼手、中堅手、右翼手、投手とイニングごとに守備位置を替え、1試合ですべてのポジションを守ったことがある。二軍戦とはいえ、これを再現すれば実に三輪らしい締めくくりになると思うのだが、果たして……。

(文中敬称略)

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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