リプケン、グウィン、マダックス、グリフィー…日米野球に出場した殿堂入りプレーヤーを振り返る

1996年の日米野球で、オリオールズ単独も含め3度目の来日を果たしたリプケン(写真:ロイター/アフロ)

 2014年以来、4年ぶりの開催となる日米野球。ドン・マッティングリー監督(マーリンズ)率いるMLBオールスターチームは、11月8日に行われた巨人とのエキシビションゲームを経て、9日から15日まで東京、広島、名古屋で侍ジャパンと計6試合対戦する。

 1980年代前半までは単独チームの出場が基本だった日米野球で、「MLBオールスター」と銘打った選抜チームが来日するようになったのは1986年から。その後の大会に出場した選手の中で、後に殿堂入りを果たしたプレーヤーを紹介する(所属はすべて日米野球出場当時のもの)。

1988年の日米野球からは5人が殿堂入り

 メッツの指揮官としてワールドシリーズを制したばかりのデーブ・ジョンソン監督(現役時代は巨人にも在籍)が率いた1986年のMLBオールスターチームで、後に殿堂入りを果たしたのはオジー・スミス(カージナルス)、ライン・サンドバーグ(カブス)、カル・リプケン・ジュニア(オリオールズ)、トニー・グウィン(パドレス)。スミスとリプケンはこれが初来日ではなく、スミスは両リーグのオールスターチームが日本で合いまみえた1979年にナ・リーグの一員として、リプケンは1984年の日米野球にオリオールズのメンバーとして、それぞれ来日している。

 続く1988年のMLBオールスターには、カービー・パケット(ツインズ)、ポール・モリター(ブリュワーズ)、バリー・ラーキン(レッズ)、アラン・トラメル(タイガース)、そして当時は来日メンバー最年少の22歳だったグレッグ・マダックス(カブス)と、後の殿堂入りプレーヤーが5人もいた。ちなみにラーキンはこの大会で打率.476をマークし、MVPに選ばれている。

 1990年の来日メンバーからはロベルト・アロマー(パドレス)、ランディー・ジョンソン、そして当時は弱冠20歳のケン・グリフィー・ジュニア(共にマリナーズ)が後に殿堂入り。グリフィーは同じマリナーズで現役選手だったケン・グリフィー・シニアと父子揃っての出場で、自身は打率.421でMVPに輝いた。

 1992年はオジー・スミスが1986年に続いて来日し、ケン・グリフィー・ジュニアは2大会連続の出場。1986年の日米野球で出場メンバーとして発表されながら、夫人の出産を理由にこれを辞退していたウェイド・ボッグス(レッドソックス)、アストロズ一筋に通算3060安打をマークするクレイグ・ビジオと合わせ、この年のメンバーには後の殿堂入りプレーヤーが4人いた。

 1996年の来日メンバーからは、オリオールズ単独も含めてこれが3度目の日米野球出場となるカル・リプケン・ジュニアのほか、当時は野茂英雄の女房役でもあったマイク・ピアッツァ(ドジャース)、ペドロ・マルティネス(エクスポズ)、イバン・ロドリゲス(レンジャーズ)が殿堂入り。1998年のMLBオールスターチームでは、トレバー・ホフマン(パドレス)が後にMLB史上初の通算600セーブを達成し、殿堂入りを果たす。

来日2度のクレメンス、4度のボンズはいまだ殿堂入りならず

 2000年の日米野球では、ランディー・ジョンソンがダイヤモンドバックス、ロベルト・アロマーはインディアンスと、いずれもユニフォームを変えて再来日。アロマーはメッツ時代の2002年にも日米野球に出場しており、3回とも違うユニフォームでの来日となった。

 2004、2006、2014年と、その後の3度の日米野球出場選手の中で、殿堂入りしたプレーヤーはまだいない。レッドソックス時代の1992年、アストロズ時代の2004年に来日したロジャー・クレメンスはメジャー史上9位の通算354勝、パイレーツ時代の1990年を筆頭に4度来日したバリー・ボンズはメジャー史上最多の通算762本塁打をマークしながら、禁止薬物使用疑惑が影を落としていまだに殿堂入りできていない。

 なお、MLBオールスターチームを率いて来日した監督では1988年のスパーキー・アンダーソン(タイガース)、そして2000年のボビー・コックス(ブレーブス)が、後に殿堂入りしている。

 今回の来日メンバーでは、捕手としては歴代3位となる通算9度のゴールドグラブ賞を誇るヤディアー・モリーナが将来の殿堂入り候補。今年のナ・リーグ新人王を争うフアン・ソト(ナショナルズ)とロナルド・アクーニャ・ジュニアは共に20歳と、野手には若きスーパースター予備軍もいるだけに、かつてのケン・グリフィー・ジュニアのように今後の成長に期待したい。