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うつ症状を公表した大坂なおみの心労とそれを報じた当事者意識の希薄なメディア

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
メディアとの付き合い方に苦しんでいるのは大坂なおみ選手だけではない(写真:ロイター/アフロ)

【全仏オープンを途中棄権した大坂選手】

 大坂なおみ選手が自らの意思で、全仏オープンを途中棄権したことは、日本のみならず世界中を驚かせた。

 彼女が棄権するに至った経緯については、すでに各所で報じられているのでそちらに譲るとして、今や大坂選手がWTAで年間グランドスラムを狙える最有力候補だっただけに、このようなかたちで潰えてしまったことが、ただただ残念でならない。

 彼女が発表した声明にあったように、大会や競技からしばらく離れることになりそうだが、1日も早く万全の状態で復帰してくれることを願うばかりだ。

【当事者意識が薄いように思うメディア】

 その一方で、今も続いている今回の大坂選手に関する一連の報道について、今回は取材に従事していない立場から観察しながら、ずっと違和感を拭えないでいる。

 今回の騒動は、本来ならメディアも当事者であるはずなのに、どうも当事者意識が希薄なように感じられるのだ。それらの報道を見る限り、“大坂選手対大会取材者”という対立構図から報じられているのが大勢を占めていたように思う。

 だが考えてほしい。もし仮に大坂選手が、あのまま大会出場を続けていたのなら、もしくは途中棄権を発表した声明で、彼女がうつ症状に悩まされていた事実を公表していなかったとしたら、大坂選手に対する風当たりはどんなものだっただろうか。間違いなく強烈なバッシングが続いていただろう。

 彼女が大会直前に会見を拒否する声明を発表した時点で、世の風潮は大坂選手に対し、かなり批判的だった。そうした人物像を作り上げたのは、誰あろうメディアだったはずだ。

 ところが大坂選手がうつ症状を公表した途端、そんな風潮は一変し、彼女を支持する声が大勢を占めるようになった。つまり彼女が声明を発表するまで、メディアは正確でない情報で大坂選手の虚像を作り上げ、批判してきたことになる。

 にもかかわらず彼女の声明発表後も、自分たちの報道を謝罪し、また反省する記事はほとんどなく、むしろ今なお大坂選手を批判するメディアがいるほどだ。

【常に世界中のメディアと向き合う息苦しさ】

 もちろん「大坂選手がうつ症状だったことを知らなかった」ことは理解できる。だが会見拒否を発表した後、他の選手たちのコメントを集めるなどして、如何に大坂選手が他の選手たちと違っているかのような印象操作を行ったのも、他ならぬメディアだ。その事実は認めるべきだろう。

 以前ATPやWTAの取材経験はあるものの、取材時期がずれてしまい大坂選手を直接取材することはできていないが、大会主催者が配信する会見動画を何度となくチェックしてきて感じたことは、彼女はメディアの人たちと良好な関係を築き上げていたということだ。時にはユーモアな回答で会場が笑いに包まれるなど、常に和気藹々の雰囲気を醸していた。

 大坂選手は声明で、そうした現場で取材してくれたメディアに対し、「彼らは自分に対しいつも親切でしたし、特に(今回の件で)傷つけてしまったかもしれないクールなジャーナリストの人たちに謝罪します」と説明していることからも明らかだ。

 だが昨年の全米オープンで人種差別に抗議する行動をとるなどして、現在の大坂選手の影響力は、テニス選手としての枠を超えてしまった。今や彼女の言動は会見場に集まるメディアに止まらず、世界中に拡散されるようになった。

 そんな状況に、大坂選手は日々不安を募らせていったようだ。だから声明でも「自分は生まれながらの演説家ではありません。世界中のメディアと話す前は凄く不安に苛まれます」と説明しているのだ。

 もう大坂選手は大会が用意した会見で、気心知れたメディアの人たちと会話を楽しめるような立場でなくなってしまった。今後大坂選手が大会に復帰したとしても、彼女を取り巻く環境(メディアの報道姿勢)が変わらない限り、彼女の心労が絶えることはないだろう。

【メディアとの関係に苦しむアスリートたち】

 今回の騒動は、大坂選手に限った問題ではない。これまで多くのトップアスリートたちがメディアとの関係に苦しめられてきた過去がある。

 自分自身も米国で取材してきた中で、野茂英雄投手をはじめイチロー選手、中田英寿選手らメディアと一定の距離を置くアスリートと対峙する機会があったが、彼らだって最初からメディアと一線を画していたわけではないはずだ。

 例えば、ある日本人メジャーリーガーの例を紹介する。彼は米国に来た当初、メディアに対して非常に親切に対応してくれていたのだが、度を超した取材や事実でない内容を報じられることが続き、いつしかメディアに対して心を閉ざすようになってしまった。その変貌する姿を直に目撃してきた。

 つまり彼らにとってメディアと距離を置くことは、ある意味自己防衛措置であるのだ。大坂選手のようにうつ症状に悩まされていたかどうかまでは定かではないが、一般の人とは比較にならないような精神的負担を背負い続けていたことだけは確かだ。

 実は自分自身も配慮の欠ける取材をしてしまい、取材拒否をされた経験があるし、人様にとやかく言えるような人格者でもないことは重々承知している。

 だが繰り返すが、今回の大坂選手のうつ症状公表で世の風潮が一変してしまったことに、メディアが大いに関与していたのは紛れもない事実だし、現在のメディアとトップアスリートの関係が、健全なものだとは決して思えない。

 このまま放置されたままで本当にいいのだろうか。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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