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日本人初の米プロリーグ参戦&優勝を成し遂げた女子ラクロス選手が見据える更なる高み

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
リーグ優勝を果たしチームと記念撮影する廣瀬藍選手(右端・本人提供)

【米のプロリーグに参戦した初の日本人選手】

 ラクロスというスポーツをご存じだろうか。

 日本ラクロス協会の公式サイトによれば、北米先住民族のスピリチュアルなゲームを開拓者たちがゲームとして楽しみ始めたのが現在のラクロスで、男女ともに参加できるチーム競技として人気を集めつつある。

 特に北米はラクロスの先進国で、同競技の世界組織『World Lacrosse』が発表している世界ランキングによれば、男女ともに1位米国、2位カナダと、北米2ヶ国が独占している状態だ。

 日本ではまだメジャーな競技とはいえないが、アジアでは最も早い1987年に日本ラクロス協会が設立されるなど、現在は大学やクラブチームなど協会加盟チームは全国各地に広がっている。

 そんな日本ラクロス界に今年、歴史に残るような出来事が起こった。1人の日本人女子選手が、米国プロリーグ参戦を果たしたのだ。

【所属チームはリーグ優勝を飾る】

 その選手とは、廣瀬藍選手。日本では2017年に代表入りも果たしているトップ選手の1人だ。とはいえ、日本女子の世界ランキングが9位であることからも分かるように、世界トップの米国のプロリーグに参戦するのは決して簡単なことではない。

 廣瀬選手が参戦したのは、今年設立2年目を迎えた『WPLL(Women’s Professional Lacrosse League)』だ。まだ新規リーグということもあり約2ヶ月間の短いシーズンでしかないが、米国のトップ選手たちが集結している。

 実はこの短いシーズンが、社会人の廣瀬選手にとって好都合だった。会社の協力を得て有給休暇を利用して、無事参加することができた。

 リーグは参加選手を5チームに振り分けて、すべてをリーグが統轄。各チームが総当たりを行い、成績上位4チームが決勝トーナメントで優勝を争うというもの。そして廣瀬選手が所属した『Brave』が見事に優勝を飾っている。

優勝メダルを噛みしめる廣瀬藍選手(右・本人提供)
優勝メダルを噛みしめる廣瀬藍選手(右・本人提供)

【様々な経験を積むことができた2ヶ月間】

 リーグ終了後、無事帰国した廣瀬選手は、今回の経験について以下のように感想を語っている。

 「まさか優勝するとは思っていなかったので、素直に嬉しいなと思いました。ただ自分が(優勝に)貢献できたかと思うと、出場時間は少なかったですし、それほどでもないなと思ったところに悔しさもありました。

 試合を重ねるに連れて、どこが通用して、どこが足りないのかが明確に分かってきました。ただ(シーズン中の)2ヶ月間で改善できるようなものではなく、これからしっかり取り組んでいきたいと思っています」

 ラクロス選手として更なる高みを見据える廣瀬選手。彼女にとって本当に濃密な2ヶ月間になったことは間違いない。

 彼女が話すように、世界トップクラスの外国人選手たちとプレーする中で、「日本で当たり前にやれていたことが通用しなくなった」ことで、自分の課題が浮き彫りになった。具体的には、オフボールの選手(ボールを持っていない選手)の付き方が根本から違っていたことを実感できたという。

 また米国のトップ選手たちは恵まれた環境でラクロスに集中できると考えていたのだが、実際はほぼすべての選手が一般企業やコーチとして働き、日本人選手と同じ環境でプレーしていることを知ることとなった。

 例えば、廣瀬選手と同じチームにいた米国代表の中心選手は、金曜日の試合には職場から仕事着のままグラウンドにやって来てプレーしていたという。そうした実情を目の当たりにして、「そこ(環境の悪さ)を言い訳にできない」と感じることもできた。

 廣瀬選手はこうした経験を、所属するクラブチームや日本代表にも積極的に還元していきたいと考えている。

【世界でも通じたクラシックバレエで培った体幹の強さ】

 一方で、改めて廣瀬選手の強みを再確認することもできた。体格の大きい外国人選手とマッチアップしてもバランスを崩さない体幹の強さだ。

 廣瀬選手がラクロスを始めたのは上智大学に進学してからだった。5歳から16歳まで本格的にクラシックバレエをやっていた反動で、大学ではチームスポーツをやってみたいと考えていた。そこで大学から始めても通用しそうなスポーツとして、ラクロスに興味を抱いた。

 それまで「ちょっと知っている程度で見たこともなかった」程度の競技だったが、体験会に参加して面白さを実感することができた。そしてラクロスにのめり込むまで時間はかからなかった。

 まさにラクロスは、廣瀬選手に合致するスポーツだったからだ。まだ日本では土台が確立していない発展途上の競技であり、完成形がなく常に改善点を見つけながら新しいものを考えていくスタイルが、クラシックバレエの取り組みやメンタルに類似していたのだ。

 さらにクラシックバレエで培った体幹の強さは、ディフェンス面で遺憾なく発揮された。前述通り、どんな選手とマッチアップして押し込まれても、簡単にバランスを崩すようなことはなかった。

 廣瀬選手が所属していた大学チームは3部リーグの中盤にいるような状態で、決して強いチームではなかった。だが彼女は、他大学の練習に参加するなど、ほぼ毎日ラクロスに没頭する日々を送った。その結果大学4年でU-22日本代表に選出されるまでに成長を遂げている。

【100人以上参加のトライアウトでただ1人の合格者】

 大学の仲間たちが卒業と同時にラクロスを辞める中、廣瀬選手はクラブチームでプレーを続行する道を選び、卒業と同時に日本では実力派の「NeO」に在籍。そこでさらに経験を積みながら社会人2年目でフル代表に選出され、2017年ワールドカップにも出場している。

 こうして国際経験を積んでいく中で「海外でプレーしたい夢があった」という廣瀬選手は、昨年11月に『WORLD CROSSE(日本を拠点とするラクロス推進団体)』が開催したWPLLのトライアウト「CrossCrosse」に参加。2日間の練習とWPLL選手との練習試合の末、廣瀬選手を含めた5選手がピックアップされた。

 その後米国にプレー動画を送るなどして現地で選考が続き、最終的に2選手にオファーが届いたのだが、リーグ参戦を決めたのは廣瀬選手ただ1人だった。

【これからもラクロスと向き合い続ける飽くなき探究心】

 現在は2ヶ月間で見出した課題克服を目指しながら練習に取り組んでいる廣瀬選手。そこには彼女が叶えたい夢があるからだ。

 「今回の挑戦で学んだことを時間をかけてでも修正して、大きく成長したいです、そして2021年のワールドカップでは日本の中核となり、世界の強豪国のトッププレイヤーたちを驚かすようなプレーを披露したいです」

 選手として成長したい自分のために、そして日本ラクロスの発展のために、廣瀬選手はこれからも走り続ける。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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