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“プロ”から“サラリーマン”になってもマウンドに向かう佐村・トラヴィス・幹久が消し去れない未練

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
社会人クラブチームで新たな野球人生を開始したトラヴィス投手

 佐村幹久投手、沖縄県浦添商業高出身の23歳。2011年10月にDeNAからドラフト6巡目指名を受け、2012年シーズンは公式戦登板できないまま育成選手契約に移行。2014年から登録名をミドルネームの「トラヴィス」に変更したが、その年のオフに自由契約になり、今度は阪神と育成選手として再契約。しかし2016年に再び自由契約になってしまった。

 一時は身長193センチから繰り出す真っ直ぐが球速150キロを超える逸材として注目されることもあったが、昨年11月に実施された合同トライアウトに参加したものの、どこからも声がかからず野球を続ける場を失っていた。

 8月20日、滋賀県高島市の今津スタジアムを本拠地とするOBC高島が、京都大野球部と練習試合を行っていた。そこには味方投手の投球チャートをつけるため、バックネット裏から熱心に試合をみつめるトラヴィス投手の姿があった。彼は今年5月からこの社会人クラブチームに所属している。

 OBC高島は、現役メジャーリーガーだった(当時)大家友和氏が地元高島市の支援を受け2006年に創部したクラブチームだ。以降大家氏がGMとしてチームを統轄し、これまで社会人野球日本選手権大会出場1回、全日本クラブ野球選手権大会出場2回の実績を誇る。もちろん選手たちはすべて地元企業に受け入れてもらいながら野球を続ける“サラリーマン戦士”だ。

 トラヴィス投手がOBC高島に辿り着いたのは、今シーズンから同チームの監督に就任した野原祐也氏に誘われたのがきっかけだったという。

 「野原監督から(誘いの)お話を頂きました。自分が阪神時代にBCリーグ(福井ミラクルエレファンツ)に派遣してもらって、その時に何度か(富山サンダーバーズに在籍していた)野原監督と対戦したりしていました。それとやはり阪神時代の時に京都で行われた野球教室に参加させてもらった時に大家さんにもお会いしていました。元々自分が所属していたベイスターズの先輩というとで(何か縁がありました)。

 メジャーで活躍された大家さんだったり、阪神時代に育成から支配下に這い上がった野原さんだったりとか、そういう人たちの元で野球がやりたいという気持ちがありました。それと大家さんは投球動作のメカニックとかも理解されている方なので、まだ自分自身が投球フォームやメカニックを理解していない部分があるので、いろいろ聞いて自分というものを完成させたいと思いました」

 トラヴィス投手がチームに合流したのは5月のこと。すでにチームは都市対抗野球の地方予選が始まっていた。だが合同トライアウト以降、満足に野球ができなかったトラヴィス投手はいうまでもなく即戦力として期待されているわけはなかった。

 「(合同トライアウト後も)プロにいる間にあまり試合に投げられないまま終わってしまったので、(今後)どこに行くかを考えていなかったといえば嘘になりますけど、とりあえず何も(オファーが)来ていない間でも自分ができることはしっかり練習をやっていこうと考えて(練習を)続けていました。

 キャッチボール相手がいなかったので、自分でネットスローをするくらいでした。あとはランニング…短距離、長距離とか瞬発系(トレーニング)や体幹(トレーニング)をやってました」

 チーム合流後はまず野球が満足にできる身体づくりに専念してきた。現在もキャッチボールや遠投を行っているが、まだブルペン入りもせず本格的な投球は行っていない。その辺りは大家GMもじっくり構える覚悟を示している。

 「トラヴィスの場合NPBを経験している投手ですし、まずは自分が納得できるようなボールが投げられる状態になってから。(本格的な指導は)そこからですね。現在の状態でうちの主力クラスの仲間入りができるとは思っていないです。もし彼を上(NPB)に戻すとなると、1軍で通じるような投球ができないと難しいですよね」

 大家GMは現時点でトラヴィス投手の投球に手を加えるつもりはないと話しており、キャッチボールの際にしっかり身体を使えるようにヒントを与えている程度にしている。大家GM自身も高校卒業と同時にプロ入り、コーチから待ったなしでいろいろ指導されてきた苦い経験を持っているからだ。まずはトラヴィス投手の才能を伸ばすための土台作りだけを考えている。

 本人の言葉にもあるように、トラヴィス投手は故障が続いた不運も手伝い、プロ5年間で満足に試合に出場することすらできなかった。だがその一方で、しっかり指にかかったボールを投げた際には周囲がその才能に惚れ込んでしまうほどのボールを投げていた時期もあった。その感覚が本人の中にしっかり残り続けているからこそ、マウンドに戻りたいという未練を断ち切ることができないでいるのだ。

 「高校の時から成長痛であまり投げられていない感じでプロに入って、プロでも成長痛や怪我が続いてあまり投げられないまま(終わってしまった)。やはり凄く悔いが残るというか、しっかり指にかかったボールが投げられる時期もあったんですけど、基本投げられなかった。それが悔しくてもう一度這い上がりたいという気持ちが強いです。自分が理想としているものを(投球の)動作にできれば(NPBに戻れる)自信もあります」

 もちろんトラヴィス投手が追求する投球を手に入れられる保証は何一つない。だがOBC高島に合流してから野球選手として着実に成長している。その1つが精神面だ。昼間は食品加工会社で働きながらの生活を続けることで、社会人としての責任感、自覚が芽生えてきているようだ。

 「今は社会人なので、仕事あっての野球になっています。仕事をしていることで野球に生きることがたくさんあります。今まで自分は野球しかしてこなかったので、仕事の中で次の手順を考えたりすることが野球にも生きています。

 野球選手であると同時に社会人でもあるので、やはり人として成長しないと野球でも成長できないと思っています。両立するのは難しいとは思いますけど、ここから這い上がれないようではまた上ではやっていけないとも思います。(OBC高島で)いい経験をさせてもらっていますし、感謝しています」

 トラヴィス投手が再びNPBに戻るのは簡単な道のりではない。すべては彼次第だ。ただ大家GMはトラヴィス投手が納得できるまで野球をやらせてあげたいという親心で彼に接し続けているし、指導も行っている。

 「表現がちょっとおかしいかもしれませんが、とりあえずここで(野球選手として)成仏させてあげたいですね(笑)」

 願わくば再びトラヴィス投手がNPBに“昇天”する日が来るように…。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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