普遍的な「呪い」の物語としての『呪術廻戦』

 芥見下々による『呪術廻戦』は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で2018年から連載が開始され、2020年にはアニメ放送が開始。2021年12月24日からは映画『劇場版 呪術廻戦0』が公開されるなど、今日を代表する少年マンガのひとつ。

 東京都立呪術高等専門学校に通う虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇ら呪術師の主人公たちが、この世にはびこる様々な呪霊を彼らの呪力で祓うべく奮闘するバトルものだ。

 本作における呪いとは何か。作中で伏黒恵が次のように説明している。

日本国内での怪死者・行方不明者は年平均10000人を超える

その殆どが人間から流れ出た負の感情

“呪い”による被害だ

[中略]

特に学校や病院のような大勢の思い出に残る場所には

呪いが吹き溜まりやすい

辛酸・後悔・恥辱 人間が記憶を反芻する度

その感情の受け皿となるからな(第1巻 p. 27)

 文化人類学者/民俗学者の小松和彦は『呪いと日本人』(角川ソフィア文庫、2014年)において、呪いとは「呪い心」と、わら人形を用いて行う丑の刻参りのような「呪いのパフォーマンス」が組み合わさって成立するものだと定義する。

 われわれが負の感情にさいなまれて「呪い心」を抱くこと自体は特段珍しいものではなく、誰にでも思い当たる節があるはず。それでも、少なくとも表面上、問題なく社会生活が営まれているのは、パフォーマンスさえ伴わなければ「呪い心」は不可視だからである。

 しかし『呪術廻戦』では「呪い心」は呪霊として可視化され、主人公たちがそれらと対峙しては戦いを繰り広げることとなる。目を引くデザインの呪霊たちが次々登場するのも本作の魅力のひとつだ。

 「この令和の時代に呪いがテーマの作品が大ヒット? なんで?」と思われる方もいるかもしれない。

 だが、先述したように「呪い心」とまったく無縁で生きていけるという人はあまりいないだろうし、だからこそ『ゲゲゲの鬼太郎』、『地獄先生ぬ~べ~』、『地獄少女』など、様々な時代の少年たちが「呪い」を主題(のひとつ)に持つ作品を愛好してきた。『呪術廻戦』もそうした系譜の一端を担う、普遍的なテーマを扱った作品であるのは間違いない。

呪術師たちを苦しめるもうひとつの「呪い」

 しかしながら、それだけにとどまらない「呪い」のありようを描いている点こそが、『呪術廻戦』の白眉であると思われる。

 例えば作品の冒頭、虎杖が病室で亡くなる直前の祖父から次のように声をかけられる。

オマエは強いから 人を助けろ

手の届く範囲でいい 救える奴は救っとけ

迷っても感謝されなくても

とにかく助けてやれ

オマエは大勢に囲まれて死ね

俺みたいにはなるなよ(第1巻 p. 23-4)

 虎杖は50mを3秒で走り、砲丸を30m投げるといった異次元の身体能力を持ち、誰とでも分け隔てなく接する性格の、いかにも『少年ジャンプ』の主人公然としたキャラクターだ。だからこそ初めて呪霊と対峙した際には、伏黒にその場からすぐに立ち去るよう進言されても、虎杖はヒロイックに逃げず戦うことを選択する。

 その結果、虎杖は呪術師ならではの葛藤に苦しんだり、挙句の果てには死んでしまったり(色々あって甦るが)というなかなかに過酷な日々を送ることとなる。

 一方で、この選択の場面が見逃せないのは、伏黒に対して虎杖が、上述した祖父の発言を回想しながら「こっちはこっちで面倒くせえ呪いがかかってんだわ」(第1巻 p. 49)と逃げない理由を説明しているからに他ならない。

 つまり、彼が呪術師として生きていく直接的な動機のひとつがこの祖父の発言にあり、これは紛れもなく、彼の人生を決定的に変えてしまった「呪い」の言葉なのである。

 また虎杖の同級生である釘崎野薔薇に対して、呪術高等専門学校京都校に在籍する西宮桃が次のように発言する場面も見逃せない。

女はね 実力があってもカワいくなければナメられる

当然カワいくっても実力がなければナメられる 分かる?

女の呪術師が求められるのは“実力”じゃないの“完璧”なの

そして真依ちゃんはそれ以上の“理不尽”と戦ってるの(第5巻 p. 130)

 呪術師には禪院家、加茂家、五条家という御三家があるのだが、ここでは京都校所属の禪院真依がその名家の血筋という「呪い」によっていかに苦悩しているかが西宮により代弁されている。しかも性別による「呪い」のおまけつきだ。

 ここに示したのはほんの一例だが、こうした描写からわかるのは、本作において呪術師の少年たちが対峙する「呪い」が、悪意に満ちた「呪い心」によるものだけにとどまらず、家族からの何気ない言葉や生まれ育った環境、性別に起因する「呪い」まで包含しているという事実だ。

 もちろんこれらの「呪い」は、呪力をもって力づくで解決することは難しい。社会システムや旧来の価値観に紐づいた問題であることを考えると、かなり厄介な代物と言わざるを得ない(ネタバレになるので詳述は避けるが、この度映画化された『劇場版 呪術廻戦0』の原作である『東京都呪術高等専門学校』も、愛する相手によかれと思ってかけた一言が発端の「呪い」を巡る物語だ)。

 こうした「呪い」の表象がフレッシュに映るのは、少年マンガにおいて主人公の血筋がモノを言って各種トラブルがスルスル解決するケースが少なくないからだ。といっても虎杖の親が特別な存在である可能性は先述した彼の祖父によっても仄めかされており、この記事を執筆している2021年12月時点では確定的なことは言えない。

 しかし、血や性別といった我々の世界を絶えず廻り続けている「呪い」の鎖を断ち切るべく、呪術師たちが戦うからこそ『呪術廻戦』というタイトルがつけられたのではないかと、今後の展開につい期待してしまう。

 少なくとも、わら人形や丑の刻参りから連想されるようないわゆる「呪い」と並置させる形で、呪術師たち(≒私たち)の日常をむしばむ「呪い」を『少年ジャンプ』という媒体を通じ描いているだけでも、十分触れる価値のある作品だろう。

 『呪術廻戦』の呪術師たちは、今日を生きる我々が苦しむ、終わりなき「呪い」とも戦っているのだ。