家族を守るはずの仕事が家族を引き裂いていく…。人は何のために働くのかを問いかける『家族を想うとき』

photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

 常に労働者階級や社会的弱者に目を向け、その悲しみや怒りを描き続けてきたケン・ローチ監督。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』で引退を表明していたのですが、「どうしても描きたいテーマがある」ということで再び映画界に帰ってきました(彼の引退撤回は2回目)。それは「人は何のために働くのか?」という問題。

 舞台はイギリスのニューカッスル。職を転々としてきたリッキー(クリス・ヒッチェン)は「勝つのも負けるのも自分次第」「稼いだ分だけ取り分も増える」という言葉に希望を見出し、フランチャイズの宅配ドライバーになることを決意します。すべては家族と共に過ごす夢のマイホームを手にするため。しかし、初期投資として配達用のバンを購入しなければならず、介護ヘルパーとして働く妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車を売るハメに。バスで通うことになったアビーの帰宅時間はどんどん遅くなり、家族で過ごす時間は削られていきます。リッキーもまた1日14時間週6日という過酷な勤務を強いられるうちに消耗していき、やがて高校生の長男は反抗的になり、小学生の娘は崩壊していく家族の姿に幼い胸を痛めていきます…。

 家族のために始めた仕事が家族を引き裂いていく。「個人事業主」の名のもとに元請けから重いノルマを課せられ、達成できない場合は「自己責任」として違約金を取られる。子供が学校で事件を起こしたのに、仕事に追われて面談にも行けない。働いても働いても報われない、なんともやるせない描写の連続です。

 生活を豊かにするために働いていたはずが、いつの間にか働くために生きているようになっている。現在、「働き方改革」が問われている我々にも決して他人事ではない問題が描かれています。映画では宅配ドライバーですが、日本の場合、コンビニチェーンの個人オーナーに置き換えてみればわかりやすいかもしれません。家族との時間を削り、休みを返上してまで働き続けることに意味はあるのか? 果たしてリッキーの一家は家族の絆を取り戻すことができるのか?

 原題の『SORRY WE MISSED YOU』とは宅配便の不在連絡票のこと。ハリウッド映画のように、一発大逆転でみんなハッピーという明るいエンディングが待っているわけではありませんが、その苦さが現実の重さと静かな怒りを感じさせてくれるのです。

(『家族を想うとき』は12月13日から公開)

配給:ロングライド

(c)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019

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