世界の混乱を招いた悪役は副大統領のチェイニーだった! その実像にブラックな笑いと共に迫る『バイス』

 これは、日本では決して作られないタイプの映画です。なにしろ、数代前の政権の中枢人物(しかもまだ健在)を実名で、はっきり「悪の存在」として描いているのですから。それでいて、単なる告発ものに終わるのではなく、ちゃんとエンターテインメントとして笑いや皮肉もたっぷりの楽しい映画に仕上がっています。

 これまでアメリカ大統領を主人公にした映画は数多く作られてきました。しかし、本作の主役はジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領だったディック・チェイニー。本来、副大統領は大統領が死去したり辞任した場合に代わりをつとめる目立たないポジションであるため「大統領の死を待つ仕事」などと揶揄されてきたもの。が、その「目立たなさ」を逆手にとって、大統領を陰から操って絶大な権力をふるい、起こすべきでなかった戦争に国全体を巻き込み、世界をとんでもない方向にねじ曲げてしまった副大統領の実像に迫る、というセンセーショナルな作品がこの『バイス』なのです。ちなみにタイトルには「副大統領」の「副」という意味と、「悪徳」という意味の両方がかけられています。

 1960年代、飲んだくれのダメ青年ディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は才媛の恋人リン(エイミー・アダムス)に尻を叩かれ、政界入りを決意します。連邦議会のインターンシップに参加したチェイニーは、そこで型破りな下院議員ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)と出会い、政治の裏と表を学んでいくことに。やがて権力をふるうことの魅力にとりつかれた彼は、フォード政権下で大統領首席補佐官に就任。レーガン政権を経て、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の下では国防長官にまで上り詰めます。しかし、ここで次女が同性愛者であることが判明。保守的な共和党にあって大統領への道を閉ざされたチェイニーは政界を引退。巨大石油会社のCEOとして、ヴァージニア州ののどかな自然の中で、家族と悠々自適の生活を送るのです。

 ここで、映画はちょっとしたいたずらを仕掛けます。それは「ここで終わっていれば世界は平和だったのに…」という作り手側からのメッセージ。監督は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』で経済書をエンターテインメントにしてしまったアダム・マッケイで(製作・脚本も担当)、その変幻自在の編集テクニックと、ポップなビジュアルは健在。地味で退屈になりがちな政治ドラマをブラックなユーモアたっぷりに快調なテンポで描いていきます。

別人のようにでっぷりと太ったクリスチャン・ベール
別人のようにでっぷりと太ったクリスチャン・ベール

 引退していたチェイニーを表舞台に呼び戻したのは、ブッシュ元大統領の息子で、かなり出来が悪いという評判のジョージ・W・ブッシュ(サム・ロックウェル)でした。彼から副大統領候補になることを要請されたチェイニーは、大統領の陰に隠れてすべての権力を掌握することを思いつきます。そして9.11の同時多発テロを経て、石油資源が豊富なイラクへの侵攻を提案するのです。やがて世界はとりかえしのつかない悲劇の連鎖に向かって突き進んでいきました…。

 主演のベールは当人とわからないほどの特殊メイクでチェイニーになりきり、でっぷりと太った姿で登場。彼はかつて『マシニスト』で断食して激やせし、アカデミー助演男優賞を受賞した『ザ・ファイター』では歯まで抜いたという体当たり演技を見せる役者。今回も「本人がどこにもいない」壮絶な演技を見せてくれます(アカデミー主演男優賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門で主演男優賞受賞)。ブッシュに扮したロックウェル(アカデミー助演男優賞ノミネート)、ラムズフェルドのカレルをはじめ、パウエル、ライスといった閣僚たちのそっくりぶりも見もの。妻のリンに扮したアダムスもアカデミー助演女優賞候補になりました。

サム・ロックウェルが扮したジョージ・W・ブッシュ大統領
サム・ロックウェルが扮したジョージ・W・ブッシュ大統領

 この映画がもうひとつすごいのは、チェイニー本人の了承を得ていないこと。なぜならば「話をチェイニーに持ち込んだら、内容を確認する法的権利を与えてしまう」からで(監督談)、そのため「入念なリサーチを行ない、すべてを事実で固めた」そうです。訴えられても負けないようにと。

 こういう映画を作るのも大したものですが(製作には「プランB」も参加、ブラッド・ピットやウィル・フェレルも製作者として名を連ねています)、それを正当に評価し、アカデミー賞でも作品・監督をはじめ8部門で候補にしている(メイク&ヘアスタイリング賞受賞)のですから、アメリカ映画界の懐の深さを感じずにはいられません。

(付記)

 この映画を反対側から見た、と言えるのが前週日本公開された『記者たち 衝撃と畏怖の真実』。イラク戦争開戦に至った事情を別の角度から見られるので、比べてみるのも興味深いです。

(『バイス』は4月5日から公開)

配給:ロングライド

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『記者たち 衝撃と畏怖の真実』のレビューはこちら