最愛の人との別れは2度訪れる…。沖縄離島の風習を題材に、家族の再生と命のリレーを描く感動作『洗骨』

 この映画のタイトルになっている『洗骨』とは何か? 今ではほとんどなくなってしまった沖縄伝統の風習で、亡くなった方の遺体を風葬し(この映画では島の西側=死者の方角にある海岸の洞窟に棺のまま納められる)、数年後にその骨を故人と縁の深かった人たちが酒や水できれいに洗うという儀式。死者は穢れた存在なので、骨を洗い清めて初めて神仏の前に出られて成仏できると考えられていたゆえのことです。しかし衛生面などの問題で沖縄本島では戦後には消滅し、わずかな離島にだけ風習が残されています。この映画の舞台になっている粟国島(あぐにじま)は、そんな地域のひとつ。

 粟国村に住む新城家の母・恵美子(筒井真理子)が亡くなり、東京の大企業に勤める息子の剛(筒井道隆)と、名古屋で美容師をしている娘の優子(水崎綾女)が島に戻ってきます。葬儀は無事に終わったものの、父の信綱(奥田瑛二)は妻を失った悲しみから酒に逃げるばかり。剛はそんな父に愛想を尽かし、家族は母との「洗骨」での再会を約束して別れていきます。「オカア、じゃあ4年後…」

 それから4年、優子と剛は島に戻ってきますが、優子は大きなお腹を抱えて「シングルマザーになる」と宣言、妻子を連れずに帰ってきた剛も何かワケアリの雰囲気。信綱は4年の月日が流れても妻の死を認めることができず、腑抜けのようになっています。こんなバラバラになった家族は、洗骨の日までに絆を取り戻すことができるのか…。

 沖縄独特の風土の中で、家族の再生を描いた感動作です。監督の照屋年之とはお笑い芸人、ガレッジセールのゴリの本名。実は彼、日本大学芸術学部演劇コースで学んだことがあり、2006年からは短編を中心に映画監督としても活動、短編では数々の賞に輝いている本格派なのです。本作でも人間や家族をじっくりと見つめ、芸人の余技を超えたヒューマンドラマを作り上げています。

 誰からも愛され、家族の中心だった母。「葬儀」という別れの時を終えた後も、「洗骨」の儀式が終了するまでは、真の「別れ」はやってきません。しかし、二度目に訪れるこの別れはあまりにも残酷です。肉が落ち、骨だけになった人との再会。それを自らの手で洗うのですから。このシーンは丁寧に描かれ、ある意味とてもショッキング。劇中のセリフに「泣き出す子供もいる」とある通り、我が身に置き換えて想像すると、目をそむけたくなる情景かもしれません。しかし、そこには「弔う」ということの根源的な意味があります。照屋監督は、このクライマックスである事件を起こすことにより、祖先への想いと繋がっていく「命」の大切さを描こうとしたのでしょう。

 こうした重いテーマを選びながら、ただただ湿っぽい話にしないのは、お笑い芸人ゆえの感覚でしょうか。深刻な場面の後には、クスッとしてしまうユーモアを放り込み、見事な「泣き笑い」の状況を作り上げていきます。このあたりの緩急がお見事なのです。脚本も照屋監督自身が執筆していますが、前半から散りばめられたキーワードが、解説くさくならない感じで繋がっていく構成も気が利いています。

 俳優では奥田瑛二が今までになかった顔を見せてくれます。徹頭徹尾情けなく、ただただ現状から逃げ続けている弱い男という、彼にとっては異色の役柄。監督は「カッコいい奥田瑛二を消してくれ」という演出をしたのだそう。筒井道隆や水崎綾女も熱演していますが、奥田演じる信綱の姉・信子に扮した大島蓉子がはまり役。堂々として口が悪く、しかし大いなる愛情にあふれた「島のオバァ」として人々を繋ぐ、物語の要になっているのです。

 冒頭ですでに死亡し、遺体や遺影でしか登場しない筒井真理子は、ワンシーンだけ動く姿を見せてくれます。余計な説明抜きで、彼女がいかに皆に愛されていたのかを理解させるそのはかなげで優しい笑顔が絶品。いつまでも心に残るのです。

(『洗骨』は2月9日から公開)

配給:ファントム・フィルム

(c)『洗骨』製作委員会