人はなぜ動物を殺すのか? ハンティングの実態に迫り、獲物解体シーンはホラー映画以上の衝撃『サファリ』

 少し前、アメリカ人の歯科医師がジンバブエで研究対象として保護されていた14歳のライオンのセシルを弓矢で射止め、その写真を自分のSNSにアップしたことで世界中から非難が殺到したことを覚えている方も多いと思います。この医師は世界でも最大のハンティング・クラブに所属しており、こうした行為を“トロフィー・ハンティング”と呼びます。文字通り、トロフィー(角や皮、頭部の剥製などの狩猟記念品)の獲得を目的とした狩猟で、動物たちの“狩り”とは違い、生存のための糧を得るものではなく、単に楽しみのために行なわれるもの。そんなトロフィー・ハンティングの実態に迫ったドキュメンタリーが本作『サファリ』です。『パラダイス3部作』で知られる監督のウルリヒ・ザイドルは、あるインタビューでこのように疑問を呈しました。「人はなぜ不必要に動物を“殺す”のか?」

 現在、サハラ砂漠以南のアフリカ24か国で野生動物の狩猟が許可されていて、年間1万8500人のハンターがアフリカを訪れています。アフリカ諸国がこのトロフィー・ハンティングで得る利益は年間約217億円とされていて、各国の貴重な観光収入であるため積極的にこうしたハンターを受け入れているのです。

 通常のドキュメンタリー映画でしたら、こうした情報をナレーションが語り、観客をある結論に向けて誘導していきます。しかし、本作は違います。あくまでも淡々と、ハンティングが行なわれている場面に同行し、余計な語りを入れることなく、それを追い続けていくのです。

”トロフィー”の数々が飾られた豪華な部屋でハンターたちは自らの狩猟について語る
”トロフィー”の数々が飾られた豪華な部屋でハンターたちは自らの狩猟について語る

 サファリを熟知したガイドのもと、風下から動物が通る道に先回りし、草木に身をかがめ気配を消すハンターたち。スコープを覗き込み発砲音がすると、彼方で獲物が倒れ、やがてそれに近づくと至近距離からとどめの一発。そして仕留めた獲物の横でハンターは誇らしげに記念撮影。子供たちは父親を尊敬のまなざしで見つめ、中には感動のあまり涙ぐむ者もいます。

 そうした描写の合間には、ハンターたちが自らの行為について語る姿も映し出されます。ハンティングはたいへんお金のかかるものですから(映画の中では“トロフィーの相場”も明かされます)、参加しているのは富裕層。トロフィーが飾られた広い居間(暖炉付きのところが多い)に座って誇らしげに語るそのほとんどが白人です。曰く「病気や高齢の動物を撃つことは生態系の維持を助けている。ハンティングは動物のための救済なんだ」「ハンティングを禁じている法律はない。だから自分を正当化する必要なんてないんだ」「私たちは通常の観光客が2か月で使う額を、たった1週間で使っている。アフリカのような途上国に利益をもたらしているんだよ」。

 一方で、現地の黒人たちの声は残されておらず、彼らが黙々と作業をする姿がとらえられています。特にショッキングなのがラスト近くのキリンの解体場面。毛皮を剥がすために、切り刻まれた体から、血と内臓が噴出するシーンは、下手なスプラッター映画など及びもつかないような戦慄の映像。首をへし折り、クレーンで吊るしながら手際よく解体していくサマは、この(我々から見た)惨状も、彼らにとっては日常であることが理解できるのです。

トロフィー(頭部や皮)のために解体されたキリンの衝撃シーン
トロフィー(頭部や皮)のために解体されたキリンの衝撃シーン

 確かに、貴重な外貨収入であることは間違いないでしょう。しかし、ハンターたちの豪奢な暮らしとは違い、現地人たちはトタンでできたプレハブのような家に住み、仕事の報酬として持ち帰った肉を干し、焚き火で焼いて食べる日々。

 トロフィー・ハンティングは善か悪か? この映画は安直に結論を出してはいません。合法だから許されるのか。動物愛護の精神から告発すべきか。アフリカの人たちが暮らしていくためにやむを得ないことなのか。スポーツとしての狩猟は西洋文明の一つの形なのか。――ハンターたちの饒舌と現地人たちの沈黙は、現在の社会が抱えている「単純に答えを出すことのできない問題」を象徴しているかのようです。そんな歪んだ世界について考える機会を与えてくれる映画なのです。

(『サファリ』は1月27日から公開)

配給:サニーフィルム

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