突然の事故、脳死宣告、臓器提供。決断を迫られるその時、人々は…?『あさがくるまえに』

 フランスの海辺の街ル・アーブル。まだ夜が明ける前、シモンはまどろむ恋人のいるベッドを抜け出して、友人たちと海岸へサーフィンに出かけます。しかし、楽しい時間を過ごした帰り道、疲労のせいもあって彼らの乗った車は事故を起こしてしまいました。知らせを受けた彼の両親は病院に駆け付けますが、シモンは目を覚ますことなく、医師は回復の見込みのない脳死状態だと宣告。さらに両親に対し、移植を待つ患者のための臓器提供を求めるのです。しかも決断への時間的猶予はほとんどありません…。

 フランスで大きな話題となったベストセラー小説を映画化した『あさがくるまえに』は、青春映画のオープニングのような幕開けから、一気に衝撃の展開になだれ込んでいきます。突然、残酷な宣告を受けてしまった両親の受ける衝撃、そして哀しみの中で苦悩する様子を、映画は言葉に頼ることなく追いかけていきます。

 フランスでは「私は臓器の提供はしない」と正式に宣言していない人は、法的に潜在的ドナー(ドナー候補者)と見なされることになっているとのこと。しかし、原則的にそうだったとしても、家族の突然の死を認識する間もなく、重大な選択を迫られる(しかも移植手術は一刻も早く行なわなければならないので、時間の猶予もない)というのは大変な試練です。

 この映画は登場人物たちの約1日を描いたもので、基本的にそれぞれの現在が描写されますが、ここで例外的にシモンと恋人ジュリエットの出会いの場面がフラッシュバックされます。駅で別れた彼女の乗るケーブルカーを上り坂を全力でこいだ自転車で追い越し、降りて来る彼女を駅で待つシモン。青春の輝きがほとばしるシーンの、なんと切なく感じられることか。

シモンとジュリエットの愛の芽生え
シモンとジュリエットの愛の芽生え

 やがて物語の舞台はパリに移ります。音楽家のクレールは自分の心臓が末期的状況にあることを自覚していますが、他人の臓器をもらってまで若くもない自分が延命する意味があるのか自問自答しています。彼女を気遣う息子たち。そんな時、担当医から、ドナーが見つかったという連絡が入り…。

医師たちのドラマも描かれる
医師たちのドラマも描かれる

 それぞれの家族の苦悩のドラマであると同時に、医師や看護師、移植コーディネーターなどの医療に携わる人々の物語にもなっています。後半は医療ドラマのような様相も呈し、移植手術の詳細も(正直ここまではっきり描写しなくてもと思うぐらい)描かれていくのです。大切な「命のリレー」。一つの命が、別の形で繋がっていくということの大変さ、大切さを訴えかけてくるのです。別居中だったシモンの両親が、昏睡したままの息子のベッドに並んで身を横たえるシーン、移植コーディネーターのトマが手術前のシモンに話しかけるシーンなど、涙を誘う感動的な場面も登場。

息子に別れを告げる両親の姿に涙…
息子に別れを告げる両親の姿に涙…

 監督のカテル・キレヴェレは移動する人物をじっくりと追いかけていくカットや、オーバーラップを多用して独特のリズムを作り上げていきます。アレクサンドル・デスプラの繊細な音楽も印象的。デヴィッド・ボウイの「ファイブ・イヤーズ」が本作のテーマソング的に使われて余韻を残します。

(付記)

感動的な映画なのですが、ただ、“哀しみ”を強調するあまり、事故を起こしたドライバーに対する怒りや恨みがほとんど描かれていないことに若干の違和感があったことは一言付け加えておきます。

(『あさがくるまえに』は9月16日から公開)

(c) Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms