『猿の惑星』シリーズを一気に振り返る!

(はじめにご注意。この文章には旧『猿の惑星』シリーズ、および原作小説、2001年版映画についてのネタバレが含まれます。あらかじめご了承の上、本文にお進みください。なお、新作の『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』『猿の惑星:新世紀(ライジング)』に関しては、ここではさらっとしか触れておりませんのでご安心を)

原作と最初の映画化

68年の映画『猿の惑星』はそのあまりにショッキングなラストシーンから、SF映画史に残る傑作として当時から今に至るまで高い評価を得ています。他の星系を探索するため飛び立ったアメリカの宇宙船が未知の惑星に不時着。しかしそこは、猿たちが支配し、人間は下等動物として虐げられている世界だった。宇宙飛行士テイラー(チャールトン・ヘストン)は囚われの身となるが、知り合ったチンパンジーの科学者たちの助けで脱走。やがて禁じられた土地に足を踏み入れた彼は衝撃の事実を知るのだった…。ここでその「事実」を隠しておいては先に進めませんし、あまりにも有名なので書いてしまいますが、テイラーが「猿の惑星」だと思っていたこの星は、未来の地球。彼は2000年後の故郷に戻ってきていたのでした。

ところで、この映画は63年にフランスの作家ピエール・ブールが発表した同名小説が基になっています。基本的なストーリーラインはほぼ同じ。しかし、決定的に違うのは、主人公が着陸したのはペテルギウス星系の惑星ソロールであり、未来の地球ではないということです。あの有名なラストは映画で脚色を担当したロッド・サーリング(TVシリーズ「トワイライトゾーン」のクリエイター)とマイケル・ウィルソンの功績なのです。

では、原作のラストはどうなっていたのでしょう? 主人公(フランス人のジャーナリスト)は映画同様にチンパンジーのコーネリアスとジーラの協力を得て、人間で伴侶となったノヴァと共に脱出します。この時ノヴァが彼との間に子供を出産しており、宇宙船に乗って地球への旅に出るのが大きな違い。やがて彼らは地球に帰還し、見慣れたパリの風景のもとに着陸します。しかし、その地を歩いているのは猿だったのです! しかも、さらに原作はもうひとひねりしています。この物語自体が宇宙を漂っていた瓶に入っていた手記という形式をとっており(と、すれば主人公たちは地球からも脱出し宇宙をあてどなく旅していたことになる)、しかもラストでは、その手記を拾って読んでいた若いカップルもまた別の惑星に住む猿であることが明らかになって終わるのです。

原作の「猿の惑星」ソロールもまた、1万年前は人間が支配する星でした。しかし知性を持った猿たちを訓練して人間と同じことができるようにし、召使として使っていたところ、彼らの反乱にあって人間は収容所に追いやられ、次第に衰退していったのです。

では、この「猿」とは何の比喩なのでしょうか? 映画の『猿の惑星』シリーズは黒人や人種問題が盛り上がりを見せた時期に製作され、そこへのアイロニーがあちこちに込められています(それがまたヒットの要因でもありました)。しかし、原作の方は…。作者のブールのもうひとつの代表作が、やはり映画化された『戦場にかける橋』。彼は第2次大戦中にマレーシアで日本軍に捕らえられ、2年間の捕虜生活を送った経験の持ち主で、『戦場~』はこの体験が結実したものだと言えます。こうした背景を考えてみたら、原作版にはヨーロッパの文化人がアジア人に対して覚えた脅威が含まれているのでは…、とも思えてきます。

映画版のシリーズ化

68年の映画『猿の惑星』は大ヒットし、ハリウッドの宿命として続編製作にゴーサインが出ます。当初は原作者ブール自身が「人間の惑星」と題した小説を書き、それに基づいて映画化するプランもありましたが、うまくいきませんでした。そこで、かつて『猿の惑星』のラストで考えられていたボツ案が復活します。前作のラストでは、あの自由の女神像発見の後にさらに続きが考えられていたのです。それは2通りあって、ひとつが「禁断の地にはまだ知性を持った人間が隠れ住んでいて、テイラーは彼らと共に人類の復権をめざす」という終わり方。もう一つは、「人類の未来に希望を失ったテイラーは自ら死を選ぶ」というものでした。この2つを合わせて、新たな要素(ミュータントやコバルト爆弾)を加えて再構成されたものが『続・猿の惑星』(70)として映画化されます。

2作目のラストで地球は大爆発してしまいますが、映画がヒットしたことでさらなる続編『新・猿の惑星』(71)が作られます。なんとタイムトラベルで3匹の猿人が1970年代のアメリカにやって来るのです。続く『猿の惑星/征服』(72)の背景は当時では近未来だった90年代。奴隷化されていた猿たちは反乱を起こして、人類にとってかわっていくのです。この3・4作目では特に公開当時のアメリカが抱えていた人種問題が、猿に投影する形で描かれていて(暴動シーンなどは、現実の事件そっくりに描写されています)、そういう意味でも話題を集めました。

しかし、シリーズものの常として、次第に予算も減らされ先細りになってしまったため、『最後の猿の惑星』(73)で一旦終止符が打たれます。ここで猿と人間、ミュータントは一時休戦というかたちで共存への道を探ろうとします。結局、シリーズ化され、タイムスリップという要素を取り入れたために、どこが始まりでどこが終わりなのか説明しづらい作品になってしまい、第1作の衝撃が薄れてしまった感は否めませんでした。

ティム・バートンによる「リ・イマジネーション」

2001年にはティム・バートン監督による『PLANET OF THE APES 猿の惑星』が公開されました。「68年版のリメイクではなく、リ・イマジネーションである」と強調されたこの作品。最初はジェームズ・キャメロンが映画化する予定になっていましたが、「続編の製作が可能なシナリオにする」という条件を満たすことができず、キャメロンは降板しました(結局バートン版も続編は作られなかったのですが…)。

当時はかなり酷評された作品ですが、今観直すと、確かに68年版のリメイクではなく、原作を忠実になぞりながら、現代的なSF解釈でうまくまとめた映画だったことが改めて感じられました。なぜ猿の惑星が誕生したのかも解明されていますし、猿が人間の文明を真似ているこっけいさも原作の雰囲気を出しています。ラストもパリとワシントンの違いはあれど、原作と同じ。続編が作られれば「なぜ地球が猿に支配されてしまったのか?」の謎解きが中心になったものと思われます。

ちなみに68年版ではジョン・チャンバース(映画『アルゴ』でジョン・グッドマンが演じた人です!)が猿のメイクを担当、アカデミー特別賞に輝きました(当時はまだアカデミー賞にメーキャップ部門がなかったため)が、この2001年版は猿作りに情熱を傾けた男、リック・ベイカーが特殊メイクを担当。しかし、その10年後に作られた『猿の惑星:創世記』(11)では、もはやメイクではなく、モーションキャプチャーによるCGIで猿がクリエイトされるようになりました。微妙な表情の変化まで俳優の動きをトレースできるため、その迫真性は比べものになりません。技術の進歩に驚かされるばかりです。

2011年スタートの新シリーズ

そして『猿の惑星:創世記』(11)から新たなシリーズの幕が開きました。これも最初は1作で完結するよう作られていましたが、好評を受けて続編『猿の惑星:新世紀』(14)が作られ、さらにもう一本作られることになりました。ストーリーラインは旧シリーズの3・4作目を新たな視点で語り直したものですが、タイムスリップという荒技は使わず、原因を人類自身の過ちによるものとしたところが新味です。また、旧作では人種問題がアイロニーとなっていましたが、今回は現代社会が抱えている様々な文化的・宗教的・民族的対立までも包括したような、より現実的な問題提起をしているところに大きな特徴があると言えるのではないでしょうか。

もっともこの新シリーズ(特に最新作『猿の惑星:新世紀』)は、そんな小難しいことを抜きにしても、アクション・エンターテインメントとして十分に楽しめるスリリングな作品になっています。完全に猿のシーザーに感情移入して観てしまいましたけどね。

(『猿の惑星:新世紀』は9月19日から公開)