リヴァー・フェニックスを覚えていますか…?(最終回)来日エピソードでつづる素顔のリヴァー

第1回です。

第2回です。

第3回です。

第4回です。

美少年ぶりが輝いた初来日

リヴァー・フェニックスが初来日したのは1987年4月18日。『スタンド・バイ・ミー』のキャンペーンでした。日本では『モスキート・コースト』が公開された直後のこと。今では考えられないことですが、当時のコロンビア映画(現ソニー・ピクチャーズ)はファンからの問い合わせに答えて、到着便の日程などを教えていました。まだ日本での彼の知名度がないと判断し、少しでも話題作りができればと考えたからですが、空港は押しかけたファンでパニック状態に。日本のファンの先物買い能力を甘く見ていたようです。

実際に来日した彼は、『スタンド・バイ・ミー』で見せた子供らしさはすでになく、成長した美少年ぶりでファンを魅了しました。語ることも16歳とは思えない大人びた発言が多かったのです。この時すでに彼は『モスキート~』に続き『ジミー』『リトル・ニキータ』の撮影も終えていて、現場での経験も豊富。大人や社会との付き合い方も学んでいたのですから。しかし、そんな中でも微笑ましいエピソードが。記者会見や取材の場では白いスーツを着こなしていたリヴァーでしたが、じつはこれ、会見の前日に東京で購入したもの。普段着しか持ってこなかったため、あわてて前日に用意することになったのは、いかにも外見にこだわらないリヴァーらしい。ちなみに、後に親友となるキアヌ・リーヴスにも数年後の初来日時にまったく同じエピソードがあります。やはり似た者同士なんでしょうか?

さらにリヴァーはお風呂も嫌いで、せっかくのサラサラヘアーも、すぐにアブラがたまってべったりしてしまいます。スタッフに注意されてしぶしぶシャワーを浴びに行くという調子でした。

食べ物に関してはお蕎麦屋さんでそばつゆに入っているカツオだしの匂いを嗅いで「食べられない!」と拒否した話は有名ですよね。結局リヴァーはお豆腐を主にした精進料理を好んで食べていました。それでも料理が運ばれるたびに「油は植物性のものを使ってる?」と確認する念の入れよう。一番気に入ったのはお豆腐に醤油をかけただけ、というシンプルなものでした。

音楽の話になると生き生きしてくるリヴァー。当時の彼のフェイバリット・ミュージシャンは、デヴィッド・ボウイ、ドアーズ、ビートルズ、ポリス、スティーヴィー・ワンダーでした。オフタイムには宿泊しているホテルを抜け出し、近くの公園へ。そこでは数人の若者グループがギターを抱えて歌っていました。リヴァーはそこに行くと彼らの輪に加わり、一緒に歌ったりギターを弾いたりしたそうです。しかし、その若者たちはこの少年がアメリカの映画スターだとは最後まで気付かなかったとか。

私がリヴァーの取材をしたのはテレビの収録合間のこと。開始まで時間があったので見本誌を袋に入れて渡しておいたのですが、気が付けばその袋にはリヴァーの落書きがいっぱい。自分の名前をいろいろなスタイルで書いてありました。サインの練習だったのでしょうか?

仕事のないときはビデオを見たり犬と遊んだりしている、と語ったリヴァー。いいな、と思う映画は『カッコーの巣の上で』『未来世紀ブラジル』『ダイナー』『ブレックファスト・クラブ』だそうですが、「ヘビーなので繰り返して観るものじゃないよね」と、普段よく観る映画として『スター・ウォーズ』やメル・ブルックスのコメディ、『スタンド~』のロブ・ライナー監督の『スパイナル・タップ』(やはり音楽映画!)の名前を挙げてくれました。

当時はマーサ・プリンプトンと交際中だったリヴァー。「長距離電話料金が大変なんだよ~』とちょっと恥ずかしそうに語ってくれました。

エコロジストの雰囲気が強くなった2度目の来日

2度目の来日が実現したのは1991年の6月23日。『マイ・プライベート・アイダホ』のキャンペーンで、この時の同伴者はガス・ヴァン・サント監督、妹のレインやバンド「アレカズ・アティック」のメンバー、それに当時のガールフレンド、スーでした。

割ときちっとした姿で取材に現れた前回とは違い、今回は舞台挨拶にスーツを着ただけで、基本的にラフなスタイル。その舞台も、グリーンの上下に紫色のカツラとサングラスをつけて登壇するという茶目っ気を見せてファンや取材陣を驚かせていました。季節が梅雨の最中だったこともあり、普段は半袖シャツ。取材時にはショートパンツ姿を見せることもあり、見た目への無頓着さは拍車がかかった感じ。髪の毛はボサボサ、無精ひげも伸び放題で、靴は(ベジタリアンゆえ革靴は履かないので)スニーカーか安っぽいエナメルのもの。「上から下まで衣装代はしめて5ドル」なんて豪語していました。

「映画の話だけじゃなくて、熱帯雨林や鯨の話を日本の若者と話し合いたい」とエコロジストらしい発言をしていましたが、実際にホテルの廊下で待ち構えていたファンからプレゼントを貰い、感謝の言葉を述べながらも「僕のためにプレゼントを買うお金があったら、自然保護などもっと世の中のためになることに使ってほしい」と添えるのを忘れない徹底ぶり。前回の来日では両親と京都の観光地めぐりに行ったりもしたのですが、今回彼が選んだのは同じ京都でも鞍馬山。一般客に交じって電車で登山口に向かい、山歩きを楽しんだのでした。

バンド・メンバーが一緒だったこともあり音楽漬けの日々だったリヴァー。ギターをいつも抱えていて、インタビュー中も弦を爪弾きながら質問に答えるということもあったそうです。

驚かされたのは、彼がかなりのヘビースモーカーになっていたこと。最初はインタビュアーに対しても「ノー・スモーキング」と指定していたのですが、途中からそんなことは忘れて本人がスパスパ。しかし、写真撮影の際はタバコや吸い殻、灰皿が写り込まないように配慮していました。青少年のファンへの悪影響を懸念していたのです。ただ、朝一番の取材で飲み物(普通はミネラルウォーターかコーヒー。スターによってはこだわりのお茶を用意する人も)について聞かれた時、ブラッディメリー(ウォッカのトマトジュース割り、お酒です)を注文したこともありました。今にして思えば喫煙量が増えたことも含め、精神的に不安定になってきていたのかもしれません。日本にはドラッグは持ち込めませんから…。

それでもリヴァーはいつも誠実で、まっすぐに質問に答えようとしていました。答えにくい質問にも、ジョークではぐらかしたりすることなく、一生懸命言葉を探してくれました。自分のことよりも自然や環境のことを考えていたリヴァー。音楽への夢や脚本家への挑戦について熱く語っていたリヴァー。まだ若かった彼が、”家長”的な役割を一人で引き受けなければならなくなり、大きな責任と義務感に押しつぶされてしまったことは大きな悲劇です。我々にできることは、残された彼の作品を観て、この素晴らしい俳優のことを偲ぶことだけなのですから。