リヴァー・フェニックスを覚えていますか…?(第3回)音楽への夢、そして親友キアヌとの出会い

ハリウッドとの決別、ロック・バンド結成 

 リヴァー・フェニックスの人気が高まっていくにつれて、その家族にも変化が訪れます。まずは弟妹たちの芸能活動です。それまでもTV番組などには兄弟そろって出ていたりしていたのですが、86年にリーフ(現在はホアキン)が『スペースキャンプ』で主役の少年少女のひとりとして映画デビュー。翌年の『ラスキーズ』では妹のサマーとも共演しています。同年にはレイン(当時の芸名はレインボー)も映画デビューし、フェニックス家は芸能一家の様相を呈していくのです。この状況には母アーリンの助力と有名な子役エージェント、アイリス・バートンの力が大きかったものと思われます。中でもリヴァーはアイドル人気のみならず、『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートされる実力も発揮、若手のトップ俳優に上り詰めていきました。

 しかし、そんな状況になじめなかったのが父のジョンでした。ハリウッド的なライフスタイルに家族が呑み込まれていく、と感じた彼は次第にアルコールに溺れるようになり、父のためにもロサンジェルスを離れよう、と決意した一家はフロリダ州ゲインズビル近くの小さな町(人口はわずか600人だったといいます)の農場に転居したのです。一家は自然農法を開始し、自給自足生活を目指します。

 ここでリヴァーが出会ったのが音楽でした。もともと南米時代からストリート・ミュージシャンとして稼いでいた経験はあったのですが、それはあくまでも独学。このフロリダで出会ったミュージシャンたちとの交流によって、本格的にロック・ミュージックに目覚めていったのです。こうしてリヴァーは妹レインと共にバンド「アレカズ・アティック」を結成します。リヴァーの担当はギターとリードボーカル。曲作りにも参加しています。

 バンドを結成したとは言え、リヴァーが求めていたのはロックスターとしての成功ではありませんでした。彼の名声をもってすればメジャー・デビューは容易だったはずですが、リヴァーはガレージバンドとして仲間と演奏する方を選んだのです。そんな彼らの演奏はチャリティ・アルバム「テイム・ユアセルフ」に提供した「アクロス・ザ・ウェイ」と、91年の映画『マイ・プライベート・アイダホ』のエンドロールで流れる「トゥー・メニー・カラーズ」しか公式発表されておらず、特に前者は作曲者のクレジット以外にリヴァー・フェニックスの名前が記されていなかったために見過ごされがち(現在はたぶん廃盤)で、聴くことが困難だったのですが、今はYouTubeで他の曲も含め簡単に聴くことができるようになりました。便利な時代になったものです。

 ところで、リヴァーがドラッグに出会ったのもこの頃ではないかと推測されています。ミュージシャン関係からの接触らしいのですが、彼がのめりこんでしまった原因として考えられるのが、責任感でした。ハリウッドを離れたことにより母親は職を失い、妹弟の映画の出演も減ってしまいます。家族やバンド仲間の生活は(さらには両親の友人も何人か同居していたらしい)、すべてリヴァーの両肩にのしかかってきたのです。以前、このコラムの別の記事で「スターがドラッグにハマる理由」について書きましたが、リヴァーの場合がまさにそれでした。さらに彼には環境保護、動物愛護といったものに対する高い理想があり、現実とのギャップについて悩んでもいたのです。この当時、まだリヴァーは10代だったのですから…。

無二の親友キアヌとの出会い

 少年としてのリヴァー最後の作品と言えるのが『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)。少年時代のインディの役でした。これは尊敬するハリソン・フォードとの交友から実現したもので、ハリソンは自らの出演のない現場にも現われ、リヴァーに直接役作りの指導を行ないました。ちなみに日本公開版のポスターやチラシにはリヴァーの顔写真が入っていますが、本国では彼の登場はシークレット扱いでした(ファンはみんな知ってましたけどね…)。リヴァーの好演を気に入ったジョージ・ルーカスは、TV版『ヤング・インディ・ジョーンズ』の企画を立て、彼に主役をオファーしますが、もちろんすぐに断っています。

 バンド活動に夢中だった80年代後半以降、リヴァーの作品選択は明らかに変わっていきます。意図的にメジャーのヒット作は避け、オフビートな小品ばかりをチョイスしていくようになったのです。そんな中、ローレンス・キャスダン監督のコメディ『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』で、リヴァーは後に無二の親友となるキアヌ・リーヴスと出会います。この映画はケヴィン・クライン扮する浮気男が何度も妻(トレイシー・ウルマン)に殺されかける、というブラックな味わいの作品。リヴァーは年上の女性に想いを寄せるピザ屋の気弱な店員に扮し、コメディ・センスのあるところを見せ、キアヌはウィリアム・ハートとのコンビでジャンキーのおかしな殺し屋を演じていました。リヴァーもキアヌも最初はお互いのことを「人と簡単に打ち解けないクールなヤツ」と思っていたそうですが、撮影が進むうちに意気投合したのです。音楽という共通の趣味があったことも大きかったのかもしれません(キアヌも後にロック・バンド「ドッグスター」を結成し、アルバムを発表したり来日公演を行なったりしています)。

 ベトナム戦争に出征する直前の海兵隊員と冴えない女の子の一夜のデートを描いたほろ苦い青春映画の小品『恋のドッグファイト』(91)を経て、リヴァーとキアヌはガス・ヴァン・サント監督の『マイ・プライベート・アイダホ』で再共演を果たします。今にして思えばリヴァーのキャリアの最後の輝きとも言える映画なのですが、この作品に文字通り彼は全力投球しました。リヴァー演じるマイクとキアヌ扮するスコットは共にストリートで体を売る男娼。父の顔を知らず少年時代に母に捨てられたマイクはナルコレプシーという、突発的に深い眠りに落ちてしまう病気を持っています。一方のスコットは金持ちの御曹司に生まれながら父親への反発から家を飛び出した身の上。そんな二人がマイクの母を探す旅に出る、というロードムービーです。リヴァーは実際にストリートに出て男娼にリサーチ、焚火の前で野宿しながらマイクがスコットに想いを告げるシーンの脚本を自ら書いたりしています。リヴァーの発案でセッティングをまるごと変更して撮りなおしたシーンもあったそうですし、前述の通り自作の曲も提供しました。人気アイドルがゲイの役を演じるということで周囲には反対意見も多かったそうですが、彼は「世間や批評家がどう思うかなんて気にしない。自分がいいと思ったもの、自分が信じられるものを演じるだけ。そうじゃなきゃ、本当の自分がダメになってしまう」と言い切って、彼とキアヌの競演を熱望した監督の想いに応えているのです。そしてリヴァーはこの演技でベネチア映画祭主演男優賞、インディペンデント・スピリット賞主演男優賞、全米映画批評家協会男優賞を受賞。演技者としても高い評価を受けました。

 しかし、メジャーな作品から遠ざかっていることで一家の財政は苦しくなっていきます。リヴァーは珍しくロバート・レッドフォード、シドニー・ポワチエ、ベン・キングスレーらが共演のメジャー娯楽作『スニーカーズ』(92)に出演していますが、一説によれば家族を養うために高額の出演料(100万ドルとも言われています。もちろん彼が手にした最高額です)が必要だったための決断だったとか。それでも共演者のダン・エイクロイド(『ブルース・ブラザース』)と音楽の話を通じて親しくなり、エイクロイドのライブハウス「ハウス・オブ・ブルース」の共同経営者になったのですから、この選択も彼にとっては意味があったことなのかもしれませんが…。

(続く)

第4回です。