リヴァー・フェニックスを覚えていますか…?(第2回)『スタンド・バイ・ミー』、そして青春スターへの道

『スタンド・バイ・ミー』の衝撃

スティーヴン・キングの原作小説のタイトルは「The Body(死体)」。これをベン・E・キングの大ヒット曲と同じ『スタンド・バイ・ミー』と改題して、同曲を主題歌に使うというアイディアはいったい誰のものだったのでしょうか? 脚本家のレイノルド・ギデオンとブルース・A・エヴァンス(アカデミー脚色賞ノミネート)? それとも監督のロブ・ライナー? あるいは音楽担当のジャック・ニッチェ? 今となっては信じられない話ですが、当初この作品は『フラッシュダンス』のエイドリアン・ラインが監督する予定でした。しかし、彼は『ナインハーフ』の撮影が長引いたためキャンセルとなり、代わりに起用されたのがライナー監督だったのです。結果的にこれが大成功。輝かしい少年期の友情物語をノスタルジアで包んだ珠玉の名品に仕上がり、ライナーの監督としての実力も認められたのですから。試写を観た原作者のキングが号泣したというエピソードは有名ですよね。これは、キング自身の体験をもとにした物語でもあるのです。

この『スタンド・バイ・ミー』に主演した4人の少年たちは、いずれ劣らぬ好演を見せてくれていますが、その中でも光っていたのはリーダー格のクリスを演じたリヴァー・フェニックスでした。大柄でふてぶてしく、父親の拳銃を持ち出したりタバコをくわえたりと大人ぶっているけれど、じつは繊細なハートの持主であるクリス。彼が深夜、ゴーディ(ウィル・ウィートン)に心情を吐露するシーンは忘れられません。父がアル中で兄が不良のため、世間から色眼鏡で見られる苦しさ、本当は正義感が強く正しく生きたいのに誰にもわかってもらえない辛さ、信じていた教師に盗みの濡れ衣を着せられた時の悲しさなどを告白し、こらえきれない涙を流す。12歳の少年にしては大きすぎるものを抱えた少年の揺れる心を、撮影当時14歳のリヴァーは見事に演じきったのです。最後にゴーディに背中を向けて去っていく姿などは、今になって見るとたまらないものがありますよ。

リヴァーは最初ゴーディ役でオーディションを受けたのですが、ライナー監督が「彼はクリスの方がいい」と変更させたのだとか。名作誕生の陰にはさまざまな運命の巡り会わせがあるんだなぁ、と感じさせてくれます。もし監督が交代しなかったらどうなっていたやら…?

全米で86年に公開された『スタンド・バイ・ミー』は大評判になり、リヴァーも一躍脚光を浴びます。日本では翌87年のゴールデンウィークに公開され、そのキャンペーンで初来日、ぐんと成長した16歳の美少年ぶりを披露して日本のファンを熱狂させたのですが(筆者はこの時初めてリヴァーに会いました)、その時のエピソードはまた改めてご披露したいと思います。

1年に3本も出演する売れっ子に

日本では公開順が逆になり、まだリヴァー人気が爆発する前の87年2月に公開されたのが次作の『モスキート・コースト』。ピーター・ウィアー監督が『刑事ジョン・ブック/目撃者』に続いてハリソン・フォードと組んだ作品で、理想郷を求めて未開のジャングルに家族を連れて移住した男の悲劇を描くもの。リヴァーは物語の語り手でもある長男チャーリーを演じました。この映画での最大の収穫は、偉大な先輩であるフォード(彼が共演した初めての大物俳優)の演技を間近で見て、演技とは何かを学んだこと、そして共演者のマーサ・プリンプトン(キース・キャラダインの娘)と恋に落ちたことでしょう。もちろんこの映画の撮影開始時点ではまだ『スタンド・バイ・ミー』は評判になっていませんから、リヴァーは数百人にも及ぶオーディションを勝ち抜いて役を得たことになります。人気ではなく実力で得た役というわけです。また、後年彼が傾倒する地球環境保護運動(特に熱帯雨林の保護)への関わりがここからスタートしたのかもしれません。

すぐにリヴァーは子役を卒業し、ティーンの役を演じるようになります。しかも、ハリウッドの注目を集めたことから主演作が連発。なんと88年だけで3本もの出演作が作られるという売れっ子になったのです。

初主演作は青春映画『ジミー/さよならのキスもしてくれない』(日本公開88年1月、全米公開同年2月)。60年代を舞台に、17歳の少年ジミー・リアドンの36時間を描いたものでした。恋とセックスとお金をめぐるお気楽青春コメディで、残念ながら批評も興行的にもいまひとつ。本人も「演劇の基礎クラスのようなもの」という評価で、自分が演じたジミーについても「衝動的に行動する夢想家。行動する前には自分が何をしようとしているのか考えなくちゃね」と手厳しい。しかし珍しいリーゼントヘアで決めたリヴァーは、この年頃の少年しか持ち得ない特有のきらめきを見せてくれました。

続いてベテラン俳優シドニー・ポワチエと共演した『リトル・ニキータ』(全米公開88年3月、日本公開同年6月)。これはサスペンスで、両親がソ連(当時)のスリーパー・スパイであることを知らされ、国際的陰謀に巻き込まれていく少年ジェフを演じました。しかしリヴァーの描写は徹底的にアイドル風美少年としてのものに終始し、後年彼はこの作品について「思い出したくもないひどい作品」と語っています(ポワチエとの共演には得るものがあったようですが…)。

そんな、アイドル人気をあてこんだ安易な企画が続いたあとにリヴァーが出会ったのは、名匠シドニー・ルメット監督の『旅立ちの時』(全米公開88年9月、日本公開同年10月)でした。70年代に反政府運動をしていた両親のために旅から旅の逃亡生活を余儀なくさせられているダニー。しかしそれでも彼はピアニストになりたいという夢を持ち続けていました。そんなダニーに名門ジュリアード音楽院進学のチャンスが。けれどその時、一家には追跡者の手が迫りつつあったのです。家族か夢か、ダニーの決断は…? というストーリー。リヴァーは人生の岐路に立たされた青年の悩める姿を好演し、『スタンド・バイ・ミー』を観て彼の出演を熱望したというルメット監督の期待に見事答えました。そしてリヴァーはこの作品でアカデミー助演男優賞にノミネート。18歳の若さにしてオスカー・ノミニーになったのでした(ゴールデングローブ賞でも候補に。ナショナル・ボード・オブ・レビューでは助演男優賞を受賞)。

リヴァー自身の境遇をも思わせるキャラクターを演じたこの作品は、彼にとっても満足のいくものでした。若手の演技派としてハリウッドでもトップクラスの存在になったリヴァー。しかし順調に見えたキャリアも、ここで陰りが見え始めてきます。理想と現実のギャップ、日々強くなっていくプレッシャー、そしてプライベートでのトラブルが、次第に彼を追い込んでいくのですが、当時の日本では誰もこのことに気付いてはいませんでした…。

(続く)

(付記)

4月5日から始まる「第2回 新・午前十時の映画祭」に『スタンド・バイ・ミー』がラインナップ。もう一度映画館の大スクリーンで観られるチャンスです。大人1000円、学生500円なので気軽に行けます。

第3回です。