伝説のスター、リヴァー・フェニックス幻の遺作『ダーク・ブラッド』が20年の歳月を超えてよみがえる

 つい先日、フィリップ・シーモア・ホフマンがドラッグによる突然死を迎えて驚かされましたが、”ドラッグによる死”といえば我々の世代には忘れられないのがリヴァー・フェニックスです。93年10月31日、まだ23歳の若さの彼がロサンジェルス、サンセット大通りにあるクラブ「ヴァイパー・ルーム」で倒れ、救急搬送もむなしくヘロインとコカインの過剰摂取による心不全で亡くなってしまったというニュースは世界を駆け巡り、ファンの涙を誘いました。じつはその時、リヴァーは新作『ダーク・ブラッド』の撮影中だったのですが、彼の急死によってこれ以上の撮影継続が不可能となり、映画の製作は中止。この作品は幻の存在になっていました。しかし、約20年の歳月を経て、なんと『ダーク・ブラッド』が一本の映画として我々の目に前に現れたのです。

 監督はアカデミー外国語映画賞候補になった『ザ・バニシング 消失』やそのハリウッド版リメイク『失踪』、『マイセン幻影』などで知られるオランダの巨匠ジョルジュ・シュルイツァー。この映画を復活させたのは彼の執念でした。

 リヴァーが急死した時、撮影スケジュールはあと10日あまりを残すのみになっていました。しかし撮影されたフィルムは保険会社の管理下に置かれてしまいます。ハリウッドではさまざまな出資者が資金を出しているため、こうした製作中止などのトラブルの際には契約不履行で裁判になりやすく、フィルムは取り上げられてしまうのですね(さらにリヴァーの遺族と保険会社の間で撮影中のドラッグ使用をめぐって裁判が行なわれた、というのもあります)。やがて監督のもとに「フィルムが処分される」という知らせが入ります。この映画に愛着を持っていた彼は、アシスタントや友人に頼んでLAの倉庫からフィルムを持ち出し、ニューヨーク経由でこっそりヨーロッパに運びました。公式には『ダーク・ブラッド』のフィルムは「行方不明」ということになったのです。

 しかし監督自身が多忙だったこともあり、フィルムはそのまま眠り続けていました。状況が変わったのは07年、シュルイツァーが心筋梗塞で生死の境をさまよったことがきっかけです。一命をとりとめた彼は、「生涯最後の作品として『ダーク・ブラッド』を完成させたい」という思いにとらわれたといいます。そして資金集め、権利関係の解消、フィルムの修復、撮影できなかった部分の再現など、さまざまな問題をクリアして、12年に完成にこぎつけたのでした。

 物語の舞台はアメリカ南西部の砂漠地帯。ここを倦怠期を迎えた俳優夫妻ハリー(ジョナサン・プライス)とバフィー(ジュディ・デイヴィス)がドライブしています。だが見渡す限り砂漠という無人の荒野で車が故障して立ち往生。困り果てた二人は彼方に見えた小さな灯りを頼りに、一軒の小屋にたどり着きます。そこではネイティブアメリカンの血を引く青年ボーイ(リヴァー・フェニックス)が愛犬と暮らしていました。妻を亡くして以来、世界の終末を待ちわびている虚無的なボーイは、バフィーに異常な関心を示すようになり、都会人であるハリーをいらつかせていきます。やがて高まる3人の緊張感は、ある事件に結び付き…。

 完成させた、とは言え、追加撮影ができなかったため、いくつかの重要なシーンが未撮影のまま抜け落ちています。そこはなんと、監督によるナレーションで処理されているのです。冒頭には監督からのメッセージが。そこで語られる椅子の比喩がこの映画を端的に表しているので引用します。「我々は2本しか足のなかった椅子を3本足にした。立つことはできるが、永遠に未完成のままだ…」そんな不完全な状態であっても、スクリーンに映し出されるリヴァーは魅力的です。美しい中に秘めた静かなる狂気。彼が演じるボーイがバフィーに対して見せる執着は、ある意味『ミザリー』に近いものがあり、”悪役”という解釈も可能な役に挑んだ彼は、新たなる脱皮を目論んでいたのでしょうか。また、先住民族に対する白人の侵略を憎々しげに語る姿からは、ハリウッドの体制に反逆し続けた彼自身の姿も連想されます。実際、役柄にのめりこんだリヴァーは、映画に描かれていないボーイの背景まで自ら設定し、撮影中には「もっと社会批判を盛り込むべきだ」と主張していたそうです。しかも痩せこけた体を保つため、撮影中はトウモロコシとアーティチョーク(チョウセンアザミ、つぼみを食用にする)しか食べなかったという徹底ぶり。それでありながら、「こんなに熱演しています!」というオーラを微塵も出さず、自然にそこに存在している。本当に得難い俳優だったんだなぁ、ということを再認識させてくれました。

 前にも述べたように、この映画は未完成です。したがって監督の語りたかったことがすべて表現されているとは思えません。舞台である荒野がかつては核実験場であったこと、自然の中に生きるものと都市生活者の価値観の相違、ボーイが抱いている世界崩壊への想いなど、散りばめられている要素が完全に機能し、効果を上げているとは言い難いのです。しかし未完成であるがゆえに、その完成形は観客の想像にゆだねられ、逆に「リヴァーの不在」を強く印象付ける結果になったとも言えるのではないでしょうか。

(付記)

書いているうちに、彼のことが懐かしく思い出されてきました。リヴァー本人の経歴についてはほとんど触れなかったのですが、今のファンにとって彼はどんな存在なのでしょうか? 来日時にインタビューしたこともありますので、思い出話と共に彼の歩んだ道について近日書こうと思います。

(『ダーク・ブラッド』4月26日から公開)